まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第19回四国八十八所めぐり~少林寺拳法の総本山から

2018年08月25日 | 四国八十八ヶ所
多度津の町を歩く。これから目指すのは少林寺拳法の総本山の建物がある桃陵公園である。多度津の町を囲んで先ほど訪ねた道隆寺、これから目指す桃陵公園、そして多度津駅が三角形のようにある。その三角形のように歩くわけだが、最も長い辺が道隆寺~桃陵公園ということで、暑さがじわじわとダメージを奪っていくように感じる。

多度津は瀬戸内の港町だが、江戸時代は丸亀藩の支藩の多度津藩というのがあったそうだ。その中心だった陣屋がある。今は多度津町の資料館だが、残念ながら訪ねた13日は月曜日ということで休館だった。また近くにはJR四国の多度津工場もあるし、昔の洋館を残した建物もある。

歩くうちに、桃陵公園の上り口に出る。中世には讃岐西部を治めていた香川氏の居城があったところで、現在は町並みの展望台として、また公園として地元の人たちに親しまれているところである。

坂道を上ると、展望スポットに出た。多度津の町並み、そして町に面する港がよく見える。瀬戸大橋まで眺めることができる。

その展望スポットに銅像がある。偉人というわけではなく、「一太郎やあい」という老婆の像である。日露戦争の時、多度津から出征する息子を見送りに来て、海に向かって「うちのことは心配するな、天子様によく御奉公するんだよ」と叫ぶ様子を像にしたものである。かつては兵士の出征の美談として教科書にも取り上げられていたそうだ。そうして見送られた「一太郎」はパソコンのソフトとしてお国のために役立った・・・というのは冗談として、多度津というところが香川にてさまざまな役割を持つ港だったということは歴史の一コマであることは確かだ。

桃陵公園から下ったところで、少林寺拳法の総本山の建物に出た。お盆ということか門も閉まっており、本部の建物は遠くに望む形での訪問となった。

少林寺拳法は宗道臣が1947年に多度津で創始されたものである。宗道臣は戦前は満州に渡っていたが、戦後に帰国し、戦後の混乱の中で自分のことしか考える余裕のない日本人の姿に心を痛め、若者たちに他人を思いやる心を持ってもらおうと少林寺拳法を始めた。私も小学生~中学生で習っていたが、試合をして相手に勝つことを目的とするのではなく、心を鍛えるものだということを教えられた。その点では空手と違うのだと。

突き、蹴り、技の練習もあるが、その中に「鎮魂行」というのがあった。いくつかの文章を覚えて、昇級(私は黒帯まで行かなかったので昇「級」でしかなかったが)のテストでも書かされたものだが、その最初に「聖句」というのがあった。それを引用すると・・

 己れこそ己れの寄るべ、己れを措きて誰に寄るべぞ、
 良く整えし己れこそ、まこと得がたき寄るべなり

 自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが浄し、
 浄きも浄からざるも自らのことなり、他者(たのもの)に依りて浄むることを得ず

小学生の時はよく意味もわからず「暗記」のような感じで教えられたかもしれない。ただ、何事も最後は自分次第だということは何となく理解していたようにも思う。

四国の八十八所めぐりをするようになり、その中で57番の栄福寺を訪ねた。この寺は『ボクは坊さん。』などの著作で知られる白川密成師が住職を務めているのだが、その『ボクは坊さん。』を読む中で、上記の「聖句」の文言が出て来たのに驚いた。法句経(ダンマパダ)の一節にあり、「聖句」のほうが法句経から引用して少林寺拳法の教えに組み込んだわけだが、白川師はその中で、

 「自分」という個人は、ある意味で自己をコントロールするための、唯一のドライバーのような存在だから(中略)
 そして、他への過度な期待をたしなめ、自分というものの大きさを繰り返し語り かける。

としている。また、

 「神様、仏さま、どうか、なにとぞ、お願いします!」というような超越者やヒーローに期待する 構造は皆無だ。
 やるのは、ひとり、ひとりの「自分」なのだ。仏は自己に喚起をうながし、甘えを 拒絶する。

少林寺拳法の総本山である多度津で、子どもの頃に習った拳法の「自己確立」の精神と八十八所めぐりが巡り合った感じである。まあ、少林寺拳法も釈尊(釈迦)の教えというのをベースにしていたのだが。今からもう一度拳法を習おうとは思わないにしても、そうした精神世界というのを思い出し、自分の気の持ち方には活かしていきたいものである。

そんなことを思いつつ桃陵公園から多度津駅に戻ってきたが、とにかく暑い。冷房で休憩しようと思えば駅前のコンビニになるが、イートスペースは陣取られている。ふと、「いっそのこと列車に乗ってしまえばいいのでは」という気になった。ちょうど高松行きが来るのでそれに乗ることにする。ただ丸亀に戻るには早い。ならば、いっそのこと掟破りだが高松まで行ってしまおうか。多度津から東の予讃線ではICカードが使えるので、ともかく改札口でピッとやって乗り込む。己れこそ己れの寄るべはどこかに吹っ飛んだ。前日の熱中症か体調不良の二の舞だけは避けようというところである・・・。
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