七宝瀧寺の本堂を目指して歩きを進める。道のいたるところにさまざまな祠や仏像があり、山全体が信仰に包まれているのを感じる。
途中にペットの慰霊碑があり、その横には後ろから見る形だが犬の像がある。義犬の墓とされるところだ。犬鳴山の名前の由来にも関係している。その昔、猟師がこの山で狩りをしていた時、お供の犬が突然激しく鳴き出し、狙った獲物を取り逃がした。怒った猟師は犬の首をはねた。するとその首は飛び跳ね、大蛇の首に噛みついた。この大蛇は猟師を襲おうとしており、犬は主人に知らせようと鳴いて、首をはねられても大蛇にかみついて主人を守ったのだ。猟師はこれを悔いて、犬を供養するとして七宝瀧寺の僧になったという。忠義の生き物らしい伝説である。
しばらく進むと観音堂がある。弘法大師空海が彫ったとされる十一面観音が祀られている。ちょうど車道の下をくぐるところで、実は川沿いに駐車場がある。バス停の手前から林道を使えばクルマでアクセスできるところで、この辺りからはクルマでお参りに来た手ぶらの人と、しっかりハイキングの格好をした人が入り交じる。ちょうど、本堂とハイキングコースとの分岐もある。この上の五本松までは2時間のコースとある。
ようやく七宝瀧寺の中心にやって来た。護摩壇の広場がある。まずは入口の鐘楼で鐘を撞く。3回までだと回数に応じた功徳があるが、4回撞くとパーになるという。何事もほどほどにということか。ちなみに私は一度だけ撞く。
護摩壇の向こうには巨大な不動明王像が立つ。身代り不動で、両脇に神変大菩薩(役行者)と弘法大師を従えた横綱のような迫力である。七宝瀧寺の本尊、シンボルはこれだと言ってもいいくらいだ。私も山の中の不動像にうなるばかりである。
七宝瀧寺は斉明天皇の時に役行者が開いたら修行の場で、大峯山よりも早くに開かれたことから「元山上」と呼ばれている。葛城山系での修験道の根本道場として栄えたが、豊臣秀吉の根来攻めの時には焼き討ちに遭った。江戸時代には岸和田藩の保護も受けていたが、明治の廃仏毀釈で修験道は迫害を受け衰退した。その後は少しずつ復興して現在に至るが、昔からの山岳信仰や神仏習合の歴史をよく残していると思う。
この上には水掛け不動やボケ封じ不動といったところがいるが、本堂の中で祀られているのは倶利伽羅大龍不動明王という。役行者が彫ったとされ、その姿は剣に龍が巻き付いたものだという。
本堂の外でお勤めとする。ちょうど内陣では僧侶による祈祷が行われていて、護摩壇で炎が上がっている。
ここでいつものように般若心経、聖不動経、そして不動明王の「のうまくさんまんだ~」の真言を唱えて、一心地。そこでふと、正面の扉に貼られた倶利伽羅大龍不動明王の解説文が目に入ったが、それを読むとこれには独特の真言があるという。「のうまく しっち しっち そう しっち しっち きゃららやくえんさん まま しっち あじやま しっち そわか」・・・どこぞの国の早口言葉かいな。
「しっち」というのが6回出てくる。漢字では「悉地」となり、成就するという意味だそうだ。この真言を6回唱えるとある。六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)つまり身体と心の悩みを消し、願いを成就させようという意味が込められているという。これは結構強力な感じがする。貼り紙を見ながら、たどたどしくながら6回唱える。
ここで近畿三十六不動のバインダー式の朱印をいただき、いよいよ奥の行者の滝に向かう。少し歩くと向こうにその姿が見える。
途中に山道に続く鳥居があるが、この先は行者道。一般の参詣者は入ることができない。ここを訪ねた人のネット記事やブログなどで、自己責任で行者道を歩いたという文章もあるが、無断で入ったら警察に通報するという注意書きもあり、寺としても対応には苦慮しているようだ。どうしても入りたいなら、七宝瀧寺が主催する修験道の1日体験に参加することである。
滝の手前のお堂で手を合わせると、その先が行者の滝である。高さは20メートルくらいだろうが、水量はたっぷりある。滝壺の手前まで行くと、暖かくなったとはいえまだ3月、ひんやりした空気が漂ってくる。今この場で滝に打たれることができたとしても、水の冷たさに悲鳴をあげるのではないかと思う。
そんな中だが、ちょっとでも修行に近づこうと、滝壺の手前で手を合わせて般若心経を唱える。・・・まあこれで、犬鳴山七宝瀧寺の真髄にほんの少し触れたということで・・・。
滝壺の手前には役行者の荒くれた顔の像が立つ。この下が行者くぐり岩となっている。「六根清浄」と唱えながら3回くぐるとある。せっかくなのでくぐる。私の体格でもくぐることができるだけの空間があってホッとした。改めて滝と役行者に手を合わせる。
ここで七宝瀧寺のお参りを納めることにして、次の行き先である。今回は役行者に見守っていただくとしてアプリで出た次の候補は・・・
1.東住吉(法楽寺、京善寺)
2.豊中宝塚(不動寺、中山寺)
3.左京(曼殊院門跡)
4.富田林(明王寺)
5.神戸(大龍寺、無動寺)
6.和歌山(根来寺)
その中でサイコロアプリが出したのは・・・「1」。今回の自然の中とは対照的な、大阪市内の町の中である。京都の市街地が一向に出ないのはどういうことかと思うのだが・・・。
この2つは七宝瀧寺からの帰りに立ち寄ることもできるが、そこはまた日を改めて、大阪市南部編として訪ねることにする。
行者の滝を折り返しにして、この先の山には行かずにバス停に戻ることにする。先ほどの身代り不動の護摩壇の周りが休憩スペースになっており、ここで昼食にする。山の中の札所、こうした場所での昼食はおにぎりが合う感じだ。
来た道を引き返し、バス停近くの温泉地に出る。立ち寄りで入浴して、生ビールの一杯というのもありかと思ったが、なぜかこの時、入りたくなるような建物がなかった。温泉センターというのもあるがどうも古臭い建物だし、他の旅館の昼間の立ち寄り湯も結構料金が高い。真夏で汗をかいたならともかく、この時季は無理に入浴しなくてもいいのではという感じだ。ちょうど、あと数分で泉佐野へのバスが出発するところだった。1時間待つならこれに乗ったほうがいいかなと、そのままバスに乗った。まあ、これでいいのかなと思う。
帰りは日根野で下車。関空・紀州路快速で天王寺まで戻る。
今回訪ねた犬鳴山七宝瀧寺。まだ近畿三十六不動は3分の1ほど回っただけだが、これまで訪ねた札所の中でもっとも自然の風情も味わえたし、神仏のパワーというのか、信仰心の強さというのを感じることができたように思う。家田荘子さんが南海の泉佐野駅で広告に出るのもうなずける。今後滝に打たれることがあるか・・・と訊かれてもまだ答えは出ないが、昔の修験道というのを感じるための入口としての雰囲気は十分に感じられた。
これからの不動めぐりも楽しみである・・・。
途中にペットの慰霊碑があり、その横には後ろから見る形だが犬の像がある。義犬の墓とされるところだ。犬鳴山の名前の由来にも関係している。その昔、猟師がこの山で狩りをしていた時、お供の犬が突然激しく鳴き出し、狙った獲物を取り逃がした。怒った猟師は犬の首をはねた。するとその首は飛び跳ね、大蛇の首に噛みついた。この大蛇は猟師を襲おうとしており、犬は主人に知らせようと鳴いて、首をはねられても大蛇にかみついて主人を守ったのだ。猟師はこれを悔いて、犬を供養するとして七宝瀧寺の僧になったという。忠義の生き物らしい伝説である。
しばらく進むと観音堂がある。弘法大師空海が彫ったとされる十一面観音が祀られている。ちょうど車道の下をくぐるところで、実は川沿いに駐車場がある。バス停の手前から林道を使えばクルマでアクセスできるところで、この辺りからはクルマでお参りに来た手ぶらの人と、しっかりハイキングの格好をした人が入り交じる。ちょうど、本堂とハイキングコースとの分岐もある。この上の五本松までは2時間のコースとある。
ようやく七宝瀧寺の中心にやって来た。護摩壇の広場がある。まずは入口の鐘楼で鐘を撞く。3回までだと回数に応じた功徳があるが、4回撞くとパーになるという。何事もほどほどにということか。ちなみに私は一度だけ撞く。
護摩壇の向こうには巨大な不動明王像が立つ。身代り不動で、両脇に神変大菩薩(役行者)と弘法大師を従えた横綱のような迫力である。七宝瀧寺の本尊、シンボルはこれだと言ってもいいくらいだ。私も山の中の不動像にうなるばかりである。
七宝瀧寺は斉明天皇の時に役行者が開いたら修行の場で、大峯山よりも早くに開かれたことから「元山上」と呼ばれている。葛城山系での修験道の根本道場として栄えたが、豊臣秀吉の根来攻めの時には焼き討ちに遭った。江戸時代には岸和田藩の保護も受けていたが、明治の廃仏毀釈で修験道は迫害を受け衰退した。その後は少しずつ復興して現在に至るが、昔からの山岳信仰や神仏習合の歴史をよく残していると思う。
この上には水掛け不動やボケ封じ不動といったところがいるが、本堂の中で祀られているのは倶利伽羅大龍不動明王という。役行者が彫ったとされ、その姿は剣に龍が巻き付いたものだという。
本堂の外でお勤めとする。ちょうど内陣では僧侶による祈祷が行われていて、護摩壇で炎が上がっている。
ここでいつものように般若心経、聖不動経、そして不動明王の「のうまくさんまんだ~」の真言を唱えて、一心地。そこでふと、正面の扉に貼られた倶利伽羅大龍不動明王の解説文が目に入ったが、それを読むとこれには独特の真言があるという。「のうまく しっち しっち そう しっち しっち きゃららやくえんさん まま しっち あじやま しっち そわか」・・・どこぞの国の早口言葉かいな。
「しっち」というのが6回出てくる。漢字では「悉地」となり、成就するという意味だそうだ。この真言を6回唱えるとある。六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)つまり身体と心の悩みを消し、願いを成就させようという意味が込められているという。これは結構強力な感じがする。貼り紙を見ながら、たどたどしくながら6回唱える。
ここで近畿三十六不動のバインダー式の朱印をいただき、いよいよ奥の行者の滝に向かう。少し歩くと向こうにその姿が見える。
途中に山道に続く鳥居があるが、この先は行者道。一般の参詣者は入ることができない。ここを訪ねた人のネット記事やブログなどで、自己責任で行者道を歩いたという文章もあるが、無断で入ったら警察に通報するという注意書きもあり、寺としても対応には苦慮しているようだ。どうしても入りたいなら、七宝瀧寺が主催する修験道の1日体験に参加することである。
滝の手前のお堂で手を合わせると、その先が行者の滝である。高さは20メートルくらいだろうが、水量はたっぷりある。滝壺の手前まで行くと、暖かくなったとはいえまだ3月、ひんやりした空気が漂ってくる。今この場で滝に打たれることができたとしても、水の冷たさに悲鳴をあげるのではないかと思う。
そんな中だが、ちょっとでも修行に近づこうと、滝壺の手前で手を合わせて般若心経を唱える。・・・まあこれで、犬鳴山七宝瀧寺の真髄にほんの少し触れたということで・・・。
滝壺の手前には役行者の荒くれた顔の像が立つ。この下が行者くぐり岩となっている。「六根清浄」と唱えながら3回くぐるとある。せっかくなのでくぐる。私の体格でもくぐることができるだけの空間があってホッとした。改めて滝と役行者に手を合わせる。
ここで七宝瀧寺のお参りを納めることにして、次の行き先である。今回は役行者に見守っていただくとしてアプリで出た次の候補は・・・
1.東住吉(法楽寺、京善寺)
2.豊中宝塚(不動寺、中山寺)
3.左京(曼殊院門跡)
4.富田林(明王寺)
5.神戸(大龍寺、無動寺)
6.和歌山(根来寺)
その中でサイコロアプリが出したのは・・・「1」。今回の自然の中とは対照的な、大阪市内の町の中である。京都の市街地が一向に出ないのはどういうことかと思うのだが・・・。
この2つは七宝瀧寺からの帰りに立ち寄ることもできるが、そこはまた日を改めて、大阪市南部編として訪ねることにする。
行者の滝を折り返しにして、この先の山には行かずにバス停に戻ることにする。先ほどの身代り不動の護摩壇の周りが休憩スペースになっており、ここで昼食にする。山の中の札所、こうした場所での昼食はおにぎりが合う感じだ。
来た道を引き返し、バス停近くの温泉地に出る。立ち寄りで入浴して、生ビールの一杯というのもありかと思ったが、なぜかこの時、入りたくなるような建物がなかった。温泉センターというのもあるがどうも古臭い建物だし、他の旅館の昼間の立ち寄り湯も結構料金が高い。真夏で汗をかいたならともかく、この時季は無理に入浴しなくてもいいのではという感じだ。ちょうど、あと数分で泉佐野へのバスが出発するところだった。1時間待つならこれに乗ったほうがいいかなと、そのままバスに乗った。まあ、これでいいのかなと思う。
帰りは日根野で下車。関空・紀州路快速で天王寺まで戻る。
今回訪ねた犬鳴山七宝瀧寺。まだ近畿三十六不動は3分の1ほど回っただけだが、これまで訪ねた札所の中でもっとも自然の風情も味わえたし、神仏のパワーというのか、信仰心の強さというのを感じることができたように思う。家田荘子さんが南海の泉佐野駅で広告に出るのもうなずける。今後滝に打たれることがあるか・・・と訊かれてもまだ答えは出ないが、昔の修験道というのを感じるための入口としての雰囲気は十分に感じられた。
これからの不動めぐりも楽しみである・・・。