まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第13回四国八十八所めぐり~第51番「石手寺」

2017年12月04日 | 四国八十八ヶ所
四国八十八所をこれまで50あまりを回ってきたが、これから訪ねる石手寺というのは中でも有名な寺ではないだろうか。道後温泉とセットで観光で訪ねる人も多いと思う。そうした観光名所の寺として知られる一方で、人によっては「珍スポット」と見ることもあるようだ。

さてへんろ橋から山門に着くと、道路に面してブッダやその他の石像が並ぶ中、「集団的自衛権不用」と書かれたパネルが立てられている。これまでの札所でこのようなメッセージが正面に掲げられているのを見たのは初めてだ。

まずは手水場で手を清める。ふと横を見ると膝まづく男性の石像がある。その視線の向こうには弘法大師が立ち、男性の横には一体の球形の石が安置されている。ご存じの方も多いだろうが、この男性は衛門三郎である。前にも徳島の焼山寺、そして前回久米の南の文殊院で衛門三郎の像があった。

石手寺は元々安養寺という名前で、聖武天皇の勅願で行基が薬師如来を祀ったとされている。それが石手寺という名前になったのは、四国遍路の末にようやく弘法大師に出会った衛門三郎が、最期に「河野氏の家に生まれ変わり、世のため人のために尽くしたい」と弘法大師に語った時に、弘法大師はその手に石を持たせた。後に、河野氏に一人の男の子が産まれたが、生まれつき左手を結んで離さない。そこで安養寺で祈祷してもらったところ、左手が開いて、中から石が出てきた。その石には「衛門三郎再来」と書かれていた。このことから石手寺と言われるようになったという。遍路の初めとされる衛門三郎に関する寺ということで、八十八所めぐりの中でもポイントになるところだ。

名物のやきもちや遍路用品、仏具など売る回廊を抜けると、国宝の仁王門に出る。巨大な草鞋が奉納されている。ただここで仁王門を彩って?いるのが、何やら七福神の像や、先ほどもあった「集団的自衛権不用」の看板、さらには山積みのパンフレット、小冊子の類である。その小冊子も、仏教と日本国憲法の関連について書かれたものや、今の大乗仏教というよりはブッダの教えについて書かれたもので、色合いも派手である。質素な感じの雰囲気が多い四国の寺にあって、結構賑やかだ。何やら政治臭がしないでもない。

とは言え、仏教というものをベースに、あるいは本当の仏教の意味を発信しようという積極性はこれまでになかった光景である。私もあちこちの札所めぐりをしているが、あまりそうした面は意識していなかった。たまには(と言うと怒られるだろうが)仏教について正面から見るのもいいだろう。ということで、何種類かの冊子をいただき、とりあえずリュックにしまう。

境内は広く、正面奥の本堂とともに、手前の三重塔が存在感ある。その三重塔の前にも千羽鶴やら、不戦、平和についての文字が並ぶ。ここまで来ると「平和」というのが石手寺の訴えるところであり、そのベースには「不殺生」というのがあることが伝わる。そして、それを積極的に発信しようとしていることも。その意味で非常に現代的な寺だなと思う。

本堂に向かう。その前には、平和を祈念するとして愛媛県知事、松山市長や、地元選出の国会議員の名前が書かれた札が立つ。ここでいつものようにお勤めだが、何だか空気に圧されているように感じる。

本堂からは矢印に導かれるように、裏手の洞窟に向かう。地底マントラ洞窟というもので、石手寺が珍スポットだとか妖しいだとか、一方でパワースポットとも言われる要因の一つだそうだ。「100円以上のお気持ちを」とあるので、100円玉を賽銭箱に入れて中に入る。

金剛界と胎蔵界という密教世界を体感できるとあるが、果たしてその意図することはどこまで伝わるか。中は照明はあるが暗く、金剛杖を頼りに前に進む感じである。歩けばものの数分の長さだが、入ってみると実際の時間より長く感じる。そこをくぐって外に出ると山道が現れた。ここでさらに歩くと石手寺の奥の院ということでさまざまな仏像が並ぶ一角(珍スポット)に着くのだが、この時の私はそうしたことは知らず、また洞窟を引き返し、さらに横手にある暗い洞窟を抜ける。洞窟を歩くのも修行というか、金剛界、胎蔵界を実体験しようというもので、洞窟内にもいくつかの仏教用語の解説板があるが、これらを理解するにはこちら自身の頭をもっとフラットにしなければならないなと思うところである。

ちょうど出たところが大師堂。こちらは落書き堂の異名があり、かつては正岡子規や夏目漱石も何か書いたそうである。ただ、こうして見ると全体的に意味不明というか、昔の人に比べて落書きの中の語彙や発想も貧弱になっているのかなという感じがする。

大師堂でのお勤めの後、三重塔の下に出る。塔の下の二辺に砂袋が置かれている。四国八十八所のいわゆるお砂踏みであるが、ここは衛門三郎ゆかりの寺、お砂踏みは88番からの逆打ちでするようにとある。その順番で回り、第1番の霊山寺で終了。ここで、衛門三郎に関する小冊子をいただく。後日これを読んでみたが、衛門三郎伝説というのが改めて深い話だと紹介されている。また「新訳』として、衛門三郎が弘法大師(初めに衛門三郎の屋敷を訪ねた時は貧しいボロボロの僧の姿)を追い払ったのはなぜか、また衛門三郎がずっと四国を回り続けたのはなぜか、逆打ちの理由や意味は何なのか・・・ということについて、石手寺としての解釈を紹介している。さまざまな表現に限界のある古文に現代的な解釈を加えたもので、衛門三郎側からのアンサーソングのような構成だが、こういう解釈ができるのかと、なかなかうなるものがある。これまで聞いていた衛門三郎の話に、「一石」投じる感じである。石手寺における衛門三郎伝説の解釈をベースに映画一本できるのではないか。

それはさておき、三重塔の前のお堂が納経所で、ここでご朱印をいただく。ちょうど団体客の添乗員が納経所で大量の朱印帳を出している中で、途中割り込んだ形である。この前もこの後も、境内では白衣、笈摺姿の人を多く見かけていて、巡拝ツアーに参加の人たちも石手寺にはいろんな期待を胸にお参りしていることだろう。

これで石手寺はおしまいにしてもいいのだろうが、せっかくなので宝物館に向かう。入館料200円は入口の賽銭箱に納める方式で、中は史料保存のためか薄暗い。そこに、衛門三郎が生まれ変わった時に手にしていたという石が展示されている。衛門三郎が石を手にして河野氏の家に生まれ変わるというのは現実にはあり得ないことだし、話としてでき過ぎていると思う。衛門三郎の伝説じたいが伊予の権力者だった河野氏の創作であると思うが(五来重の『四国遍路の寺』でも、石手寺については寺の知名度の割にはあっさりとした記述で終わっている)、単なる創作なら現代にいたるまで遍路の話として伝わることもないだろう。

宝物館を出て、仁王門に向かう。途中には、戦争や災害で苦しむタイやミャンマーなど東南アジアの国々へのボランティア活動について紹介したパネルが飾られている。こうしたことも石手寺の積極的な活動なのだろう。これらを見てふと思い出したのは、西国三十三所の中でも前衛的な活動をしている壷阪寺。あちらは巨大な石仏を建てたりして「珍スポット」と紹介される一方で、目の不自由な方への支援を積極的に行っている。この石手寺とも根っこのところでは同じような精神があるのかなと思う。

これで石手寺のお参りは終了。この後は松山めぐりの定番ということで、まずは道後温泉を目指す。四国八十八所めぐりもこれで松山市内シリーズは一段落・・・・。
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