まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「ミラクル近鉄」の復刻・1

2011年08月14日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

Dscn9964「LEGEND OF Bs 2011」のイベントとして近鉄バファローズのユニフォームでの試合となったオリックス・バファローズ対埼玉西武ライオンズの3連戦。その3戦目をナマで観戦することができた。ちょうどお盆の最中、かなり早くに指定席券を押さえたものである。ようやくにあの赤と白のユニフォームに袖を通すことができた。

この日の入場前、特設ステージで行われたのは近鉄の大エース・鈴木啓示氏のトークショー。近鉄のユニフォームやTシャツ姿のファンたちが早くから陣取っており、その出番を楽しみに待つ。

Dscn9967そして颯爽と登場した「近鉄の背番号1」。やはりお年を召したなという印象だが、長年エースを張ってきたオーラのようなものを感じる。

Dscn9978話では現役時代のエピソード、思い出、いろんなことが出てきた。「熱将」という言葉で表現した西本監督の下、それまでのお山の大将的な投球から、チームの勝利に貢献する真のエースとしての指導を受けた鈴木投手。勝つためには何が必要か、勝つためには練習と自己管理が必要ということで、徹底して地道な努力に取り組んだ投手生活。

Dscn9986それがあってこその317勝ということだが、鈴木投手の言うには「ええことなんて、あんまり覚えてないもんですわ」と。「ええことばっかり覚えているうちはアマチュア。やはり苦い経験や苦労したことというのがプロとしての自分を育ててくれる」として、一番の勲章として「560本のホームランを打たれたこと」を挙げる。この被本塁打数は世界記録でもあり、通算78の無四球試合と合わせて、常に真っ向勝負を挑んだ投球スタイルを物語る。

Dscn9983「日本一のピッチャーになるんや」ということを目標としてつけた「背番号1」。新人の頃はノーコン、打たれまくって「大阪城公園で投げて来い!」と、その背番号のこともあって結構野次られたそうだが、それが最後はパ・リーグ唯一の永久欠番となった。球団合併の後で、「バファローズの背番号1」の扱いについて打診を受けたそうだが、「これは近鉄からもらったもの。新しい球団になったのだから、それは新しい人につけてもらったらええこと」ということである。心中複雑というか、球団そのものがなくなったのだから仕方ないということか。

Dscn9991参加者からの質問で「鈴木投手といえば梨田ではなく有田捕手とバッテリーを組んでましたが、あれは鈴木投手が決めたことですか」というのがあった。「あれは西本監督が決めたこと。別に梨田が嫌いというわけではない」と。2人のレギュラー捕手、それぞれ投手への接し方に特徴があるようで、「家におる古女房なら有田、外で恋人として連れて歩くなら梨田」という例え。相手を持ち上げるのがうまい梨田スタイルは、その後の近鉄・日本ハムの監督となって好成績を収めていることからもうなづける。ただそれでも、鈴木投手には有田捕手のほうが合っていたんだろうな。

Rscn9999あっという間に過ぎたトークショー。私にとっても懐かしい(藤井寺球場での300勝の試合をナマで観戦したのが思い出)一時に、これだけでもやってきた甲斐があるというものだ。いつまでもお元気でいてほしいものである。

Dscn0051そして鈴木投手は試合前のメモリアルピッチにも登場。「近鉄の背番号1」がマウンドに帰ってきた。

Dscn0058対する打者は、現在のバファローズの背番号1・後藤。ダイナミックなフォームで投じられた一球にスタンドが大いに沸いた。新旧の背番号1同士のショットも実現した(オリックス・ブルーウェーブから背番号1を張ってきた(一時、シルク姐さんと熱愛報道も出たあの監督に取られましたが)後藤としては複雑な気分だったかもしれませんな・・・)。

Dscn0062さて試合のほうは鈴木投手に後押しされてか、最後までもつれて大いに熱戦となったのだが、いつの間にか往年の大投手の話だけでここまで来てしまった。ということで観戦記についてはまた稿を改めることに・・・・。

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