写真①:西鉄「宮地岳線」の宮地岳駅から津屋崎駅までの路線延長を祝う「津屋崎どんたく」パレード隊の記念写真(左端が津屋崎小1年生の私です)
=福津市津屋崎で、1951年7月撮影(私のアルバムから写真をスキャン)
蘇る〝津屋崎どんたく〟の記憶
―55年前、西鉄「宮地岳線」津屋崎駅延長を祝う
西鉄「宮地岳線」(貝塚―津屋崎間、20.8㌔)のうち、当初開業していた「和白駅」(福岡市東区)までの路線が「宮地岳駅」(福津市宮司)まで延長されたのは大正14年(1925年)。さらに、「宮地岳駅」から「津屋崎駅」(同市津屋崎)まで延長されたのは、旧津屋崎町時代の昭和26年(1951年)7月1日のことでした。私が津屋崎小学校1年生だった同月、宮地岳線の津屋崎駅までの路線延長を全町で祝う〝津屋崎どんたく〟が催され、天神町どんたくパレード隊の〈紳士ダンス・チーム〉の一員として私も参加した記念写真=写真①=が今も小学生時代のアルバムに残っています。
私のおぼろげな記憶では、津屋崎駅から津屋崎町のメーンストリート・天神町の往還を大勢のどんたく隊が鳴り物入りでパレード。チョビヒゲをはやした私たち小中学生8人の〈紳士ダンス・チーム〉は、要所要所で余興ショーとして、ステッキを振りながら足を揃えて上げたり、体を回転させてラインダンスを鮮やかに披露したようです。白いカンカン帽子に蝶ネクタイ、ストライプ入りのズボンと衣装はまずまずですが、手にしたステッキが竹あり、木ありとまちまちで、もう一つ格好が決まっていないのがご愛嬌です。記念写真は、天神町にある金刀比羅神社の御仮屋のレンガ塀をバックに撮っているようですね。
電車延長を祝う記念碑が建っているのを知っていますか
昭和26年といえば、プロレス大会に力道山が初出場して日本中にプロレス人気が高まった年。〝津屋崎どんたく〟では、津屋崎町民も津屋崎駅までの路線延長の喜びに沸きあがったのです。宮地岳駅から津屋崎駅までわずか1駅の延長ですが、当時の町関係者は政治的、経済的に大変な努力をして延長を実現させたことでしょう。津屋崎駅舎の西側には、電車延長を祝う記念碑=写真②=が建っていますが、気付く人はほとんどないようです。
写真②:津屋崎駅の西側に建つ電車延長記念碑
=福津市津屋崎天神町で、07年1月4日午前9時27分撮影
電車延長を実現させた津屋崎町民の偉大な熱意を思えば、西鉄「宮地岳線」新宮(福岡県新宮町)―津屋崎駅(福津市津屋崎)区間の3月限りの廃線を止められなかった政治状況には、大いに不満が残ります。06年12月31日、福津市が津屋崎海水浴場で初めて主催した同年最後の夕陽(ゆうひ)を見送るイベント「結びの夕陽」で、主催者挨拶に立った池浦順文市長は宮地岳線新宮―津屋崎駅区間の廃線はやむを得ないとの口調で語っただけで、人ごとのような印象を受けたのは私だけだったでしょうか。
公害の排気ガスや温熱も出さず、環境に優しい電車は、ローカルで豊かな自然を残す津屋崎にふさわしい交通機関です。津屋崎の人たちにかけがえのないこの郊外電車を、4月から津屋崎駅ホーム=写真③=に迎えられなくなるのは残念です。
あす10日は、西鉄「宮地岳線」新宮―津屋崎駅区間の廃線と、07年の津屋崎について書きます。
写真③:「宮地岳線」津屋崎駅ホームに入る西鉄電車
=07年1月3日午後0時54分撮影
=福津市津屋崎で、1951年7月撮影(私のアルバムから写真をスキャン)
蘇る〝津屋崎どんたく〟の記憶
―55年前、西鉄「宮地岳線」津屋崎駅延長を祝う
西鉄「宮地岳線」(貝塚―津屋崎間、20.8㌔)のうち、当初開業していた「和白駅」(福岡市東区)までの路線が「宮地岳駅」(福津市宮司)まで延長されたのは大正14年(1925年)。さらに、「宮地岳駅」から「津屋崎駅」(同市津屋崎)まで延長されたのは、旧津屋崎町時代の昭和26年(1951年)7月1日のことでした。私が津屋崎小学校1年生だった同月、宮地岳線の津屋崎駅までの路線延長を全町で祝う〝津屋崎どんたく〟が催され、天神町どんたくパレード隊の〈紳士ダンス・チーム〉の一員として私も参加した記念写真=写真①=が今も小学生時代のアルバムに残っています。
私のおぼろげな記憶では、津屋崎駅から津屋崎町のメーンストリート・天神町の往還を大勢のどんたく隊が鳴り物入りでパレード。チョビヒゲをはやした私たち小中学生8人の〈紳士ダンス・チーム〉は、要所要所で余興ショーとして、ステッキを振りながら足を揃えて上げたり、体を回転させてラインダンスを鮮やかに披露したようです。白いカンカン帽子に蝶ネクタイ、ストライプ入りのズボンと衣装はまずまずですが、手にしたステッキが竹あり、木ありとまちまちで、もう一つ格好が決まっていないのがご愛嬌です。記念写真は、天神町にある金刀比羅神社の御仮屋のレンガ塀をバックに撮っているようですね。
電車延長を祝う記念碑が建っているのを知っていますか
昭和26年といえば、プロレス大会に力道山が初出場して日本中にプロレス人気が高まった年。〝津屋崎どんたく〟では、津屋崎町民も津屋崎駅までの路線延長の喜びに沸きあがったのです。宮地岳駅から津屋崎駅までわずか1駅の延長ですが、当時の町関係者は政治的、経済的に大変な努力をして延長を実現させたことでしょう。津屋崎駅舎の西側には、電車延長を祝う記念碑=写真②=が建っていますが、気付く人はほとんどないようです。
写真②:津屋崎駅の西側に建つ電車延長記念碑
=福津市津屋崎天神町で、07年1月4日午前9時27分撮影
電車延長を実現させた津屋崎町民の偉大な熱意を思えば、西鉄「宮地岳線」新宮(福岡県新宮町)―津屋崎駅(福津市津屋崎)区間の3月限りの廃線を止められなかった政治状況には、大いに不満が残ります。06年12月31日、福津市が津屋崎海水浴場で初めて主催した同年最後の夕陽(ゆうひ)を見送るイベント「結びの夕陽」で、主催者挨拶に立った池浦順文市長は宮地岳線新宮―津屋崎駅区間の廃線はやむを得ないとの口調で語っただけで、人ごとのような印象を受けたのは私だけだったでしょうか。
公害の排気ガスや温熱も出さず、環境に優しい電車は、ローカルで豊かな自然を残す津屋崎にふさわしい交通機関です。津屋崎の人たちにかけがえのないこの郊外電車を、4月から津屋崎駅ホーム=写真③=に迎えられなくなるのは残念です。
あす10日は、西鉄「宮地岳線」新宮―津屋崎駅区間の廃線と、07年の津屋崎について書きます。
写真③:「宮地岳線」津屋崎駅ホームに入る西鉄電車
=07年1月3日午後0時54分撮影