イエスの声

 「そのころ、エルサレムで、宮きよめの祭りがあった。時は冬であった。イエスは、宮の中で、ソロモンの廊を歩いておられた。
 それでユダヤ人たちは、イエスを取り囲んで言った。「あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください。」
 イエスは彼らに答えられた。「わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。わたしが父の御名によって行なうわざが、わたしについて証言しています。
 しかし、あなたがたは信じません。それは、あなたがたがわたしの羊に属していないからです。
 わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。
 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。」(ヨハネ10:22-28)

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 「わたしは話しました」。
 イエスは今もってなお、聖書を通してそのことを話し続けている。
 そのこと、というのは、イエスが救い主キリストである、ということ。
 イエスの羊はその声を聞き分けたとき、イエスについてゆく。
 イエスは羊に「いのち」をお与えになる。これが救いだ。
 その羊はイエスのうちにおり、誰一人としてその羊を奪い去ることはない。

 しかしイエスは仰る。
 「しかし、あなたがたは信じないのです」。
 それはなぜかというと、イエスの羊ではないからだという。
 イエスの羊か、そうでないか。
 それは、「わたしの声を聞き分け」たときに、はっきりする。
 そして、そのときに信じるのである。

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