イエスの命令

 「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。
 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。
 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(ヨハネ15:13-16)

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 これから十字架へと、「友のためにいのちを捨て」に行くイエスは、語り続ける。

 「あなたがたに命じること」とは、個人的には、十字架の道を歩むことだと思っている。
(その中には例えば「互いに愛し合いなさい」も含まれるのだろう。)
 つまり、今イエスが歩んでいる十字架の道、この道をイエスが切り開いたので、この道を歩め、と。
 理不尽にも最高刑によって死に(つまりあなたは、それほどの重罪人なのだ)、そしてよみがえって「いのち」をいただく。
 そんな道だ。

 イエスは、「わたしがあなたがたを選」んだ、と仰る。
 「あなたがたがわたしを選んだのでは」ない(こちら参照)。
 だから、この十字架の道は、歩きたくなくとも歩まざるを得なくなる。
 そのように選ばれたのだから。
 イエスは友に、「父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせた」。
 逆に選ばれなければ、どれだけ志望しようと、この道の入り口すら見いだせない。

 この十字架の道を歩むことがイエスの命令であり、実を結ぶことである。
 イエスが友として付き添ってくださる道だ。

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