善行

 「すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。」(コロサイ1:10新共同訳)

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 「善行」、カネ払ってでも、したいもんです。
 「頼むっ、やらせてくれっ!」って。
 そうすることは、とっても気持ちいいことですので。
 自分にとっても、皆にとっても。
 ということは、主にとっても。

 「善い業を行って実を結び」、ここにだけフォーカスを合わせてしまうと、「善行を行う→『実』を結ぶ」という因果律、化学式として捉えることになってしまう。
 そして、そう捕らえる人にとっての「実」というのは、もっぱら「自分の豊かさ」としての「実」。
 それ、誰の役に立つの?
 かくして、「善行」は「善行」からは凡そ程遠くなってしまう。
 全体を俯瞰することの大切さの、ほんの一例。
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