小さき門

 「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。
 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7:13-14)

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 滅びに至る門はあまりにも大きい。
 大きすぎて、それしかないようにすら見える。
 大勢の人が、この広い門をくぐっていく。
 いのちに至る門など、その存在すら知らないかのように。

 実際のところ、いのちに至る門はあまりに小さく、大きな門を目の前にしてこの小さき門を見いだせる人は稀なのだと、イエスは仰る。
 地図も看板もない。
 それでも、捜すならば見つかる(マタイ7:7)のである。
 捜そうと思う時点で、その人は希有な人なのだ。
 この門についてイエスは、「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。」(ヨハネ10:9)と仰っている。

 大きな門に続く道は、広々している。楽に通ることができる。
 一方、この小さき門に続く道は、狭いという。
 世から救われたのだから、世にあっては狭いのも当然だろう。
 小さき門をくぐったことははっきりと分かるので、道の狭さは、ますます強い確信を与えてくれる。


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コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (ヨッシー)
2008-07-21 02:49:45
小さき門をくぐった事がはっきりわかるのですね。
素晴らしい思いあがりですね。

砕かれたほうがいいと思いますよ。

世ではなく、主からあなたは遠いと感じます。
 
 
 
Unknown (Levi)
2008-07-27 15:47:37
 一般的に、砕かれることはとても大切なことです。
 この砕きに縁のない人が、山ほどいます。

 ところでルターは終生、「あまりに傲慢」と評され続けました。
 私はルターではないですが、そういうことです。

 ヨッシーさんのコメントはいい材料ですので、後日記事にさせていただきます。
 
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