ローマへの到達

(1)
 「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。」(使19:21)

(2)
 「いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。」(ローマ1:10)

(3)
 「こうして、私たちはローマに到着した。」(使徒19:21)

---

 パウロは早々と「ローマ行き」の腹をくくっている。(1)
 だが、(2)のロマ書にあるように、その思いはなかなか叶わない。
 話をすっ飛ばして、(3)にあるように、遂に!念願のローマ行きが叶う。

 それにしても……、予定では今年は平坦な年のはずだったんだがな…。
 今年ほど色々と種々雑多あった年というのは、多分初めてではなかろうか。
 悩み苦しみあり、大いなる歓びあり、かくかくしかじか…。

 そんな私は、いつになったら「ローマ」に行けるのであろうか。
 「目的」までの道のりは、まだまだ遠い。
 また紆余曲折も、ざらだ。
 それこそ、これらのことについて腹をくくった方がよいように思う。
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ヨハネが伝えるイエスのエルサレム入城

 「その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
 イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。
  「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」
 初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行なったことを、彼らは思い出した。」(ヨハネ伝12:12-16)

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 イエスのエルサレム入城記事は、4つの福音書とも伝えている。
 しかし上のヨハネ伝の伝え方は、他の3つの伝え方とは大分異なる。
 16節「初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行なった……」。
 ここが他の福音書にはない、際だった特徴だ。
 この「特徴」と真っ向から対立する箇所が、ルカ19:40「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます」。

 さてもう一つ、4福音書とも取り上げているのだが、ヨハネ伝の角度が際だって異なる聖書箇所がある。五千人の給食、その後の記事だ。

  「人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ。」と言った。
 そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。」(ヨハネ伝6:14-15)

 「人々」という存在は「パン」というマテリアルで満足しきって、その「マテリアルとしてのパン」を与えてくれたイエスを担ぎ上げようとする(しかも「パンをくれる預言者、王」として)。
 イエスはたまらず山に逃げてしまう(イエスは「いのち」を与えに来た)。

 ここで話を元に戻そう。
 エルサレム入城のとき、イエスはどうして「この人々の」歓待を受けるだろう?
 訳も分からず「ホサナ!」と叫ぶ「人々」、その歓待を。

 後日での弟子の気付き。
 それは「預言の成就」のため、また、「そうならなくてはならないことをやるため」……。
(特に後者については、何といっても十字架への歩みが当てはまる)。
 「人々」と共にエルサレムに入城するというのは、ヨハネ伝ではそういう義務感の類からのものだったのではあるまいか。

 このようなイエスの後ろ姿を見ていると、次のような気持ちがわき出てくる。
 「やるときには嫌でもやらなくてはならない事というのがある」。
 「心の内がどうであろうと、やることをあくまで淡々とやる」。

 ところでヨハネ伝では、イエスは結構「逃げ」を見せている。
(例えばヨハネ11:53-54。)
 逃げてもいいときというのは、確かにある。あるいは「隠れる」とか。
 ただ、逃げられない場面というのが、ある(例えばマタイ26:54)。
 そのときは、やる、淡々と。

 あるいは「エルサレム入城」ということ自体が、そういう類の決意を要するのかも知れない、そうとも思う。
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孤独について

「だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。(ヨハネ伝16:32新共同訳)

 人類のために尽くそうとして世に交際を求める必要は、一つもない。私たちは単に独りであっても人類のために尽くすことができる。人はなんぴとも人類の一部分である。
 そのため己に尽くして人類のために尽くすことができる、独り真理を発見することができる、独り神と接することができる、独り霊性を磨いて完全の域に向かって進むことができる。
 私たちは人類のよい標本として、己を世に提供することができる。単独は決して無為の境遇ではない。」
(「一日一生」新版(内村鑑三)、2月11日の項より本文)

---

 「孤独であるためのレッスン 」という本がある。
 2001年10月発行、とのこと。
 いつものように?Amazon を開いた私は、新刊本としてトップページに広告されたこの本に飛びついてワンクリックしたものだ。
 すると「あのワンクリック」は、5年以上前の話になる。
 この本の要旨は、大方こんなあたりだったように覚えている。
 「孤独の中にいる方が、真に自分のやりたいことをできるもんだ。」

 さて、ほんじつ抜き出した箇所で、鑑三は「人類」という大所から論じる。
 「人類」というと、あまりに高き高所のように思える。
 だが、やはり鑑三の書である「後世への最大遺物」、「後世」とはやはり大所に見えるのだが、この本の焦点は、日々淡々ときちんと背筋正して歩んでゆく、その歩みがだんだんにつながってゆくんだ、という、「全く日常的な」次元だ。
 そして話を上の「一日一生」に戻すと、「人類」というのは、やはり同様に「全く日常的な」次元のように思える。
 たとえば夫婦円満。ひとりの配偶者との生活が円満であり続けるというのは、大いなる「人類」への貢献だろう。
 仕事で書類の山を片付ける、これにしても、仕事が早く終わるのならば、大いなる「人類」への貢献となる。
 このように「自然と課せられたこと」をやるとき、世の交際というのは不要物、さらには邪魔者になってくる。

 そして鑑三は書く。「人類のよい標本として、己を世に提供することができる」、と。
 上に挙げた「後世への…」と全く同じ考えを当てはまるならば、「日々淡々ときちんと背筋正して歩んでゆく、その歩みがだんだんに重宝される」、このように私には読める。

 孤独を打ち忘れて「与えられたこと」に没頭すること。
 ひたすら、「世の交際」は邪魔になる。

 一番最初に引用した本「孤独であるためのレッスン」は、随分前に、全くの不要物となってしまった。
(何故かは分からない。)

 最後に、神との交わり、これも「全く孤独な」営みだ。
 正確に言うと、違う。
 「神とのただ二者のみによる営み(交わり)」。
 他人は、いない。ひとりも、いない。
 まさにイエスが次のように仰ったように。
 「わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。」

 上記の引用において、若干の読点、漢字の補正また改行を施したことを付記する
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罪について(2)

(1)
 「罪とは神を離れることであり、義とは神に帰ることがわかって、救いとは何であるのかが分かる。救いとは単に罪を去って義しい(ただしい)人となることではない。こういうことはまた、実際に人のなしうるところではない。救いとは神の側より見て背いた神に背いて神に帰ることである。そして神と人との仲保者であるキリストの立場よりみれば、二者の調和を計ることである。……」
(「一日一生」新版(内村鑑三)、1月14日の項より本文)

(2)
 「しかし今、キリストはさらにすぐれた務めを得られました。それは彼が、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者であるからです。」(ヘブル8:6)

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 「罪について」という同じタイトルで、今年の9月22日に書いていた。
こちら。このときも不思議なことに、内村鑑三から材を取っている。)
 このときに記したことの焦点は、こうである。「本当に「罪」に気付こうものなら、内村鑑三が「求安録」でしたためたように七転八倒の苦しみにのたうち回る、今の私はそう思う。「おもしろい」わけが、ないじゃないか。苦しみにのたうち回ってのたうち回って、最後に贖罪の十字架輝き、新生叶う……。」

 今日の引用箇所には、こうある。
 「罪とは神を離れること」。
 神から離れることは、なるほどひどく苦しい。

 ところでさくじつも、私は罪を取り上げた。
 その中で、この語句を頻用している。
 「罪という状態 ( "states" ) 」。
 しばしば、「これは罪です」と、行為を指して指摘される(一番分かりやすく馬鹿らしいのが、仏像を見ることを罪と指摘するご指導)。
 私は罪とは「状態 (states) 」ではないかと、かねがねから考えていた。
(実はさくじつも書いて、文章の収まりがつかなくなって消してしまった。

 罪という状態、すなわち、「神から離れたという」状態。

 「救いとは神の側より見て背いた神に背いて神に帰ることである。そして神と人との仲保者であるキリストの立場よりみれば、二者の調和を計ることである。」、それからヘブル8:6、「それは彼が、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者であるからです」。
 罪からの救いとは、神と人との仲直りの意。
 その仲直りは、イエスの仲人によって。

 さて、ほんじつ「一日一生」に題を取ることは決まっていたのだが、いろいろあって、全くはかどらなかった。
 夕食時になり、すると些末なことから夫婦喧嘩になってしまった。
 「七転八倒」というほどではないが、非常に後味が悪い。
 策を弄さず(弄することもできないが)、仲人イエスに祈りを捧げる。

 上記の引用において、若干の読点、漢字の補正を施したことを付記する。
 また、「1月14日」で本来引用されているのは、別の聖句である。
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キリストに来た者

 「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。」(コロサイ1:13-14新共同訳)

 「キリスト教化されようと望んでキリストに来た者は、必ずキリストを捨てることになろう。新しい思想を得たいと望む者、また広い交際に入ろうと望んでキリストに来た者も、またキリストを捨てることとなろう。その罪を贖われその霊魂を救われようと思ってキリストに来た者だけが、よく永久にキリストと共にとどまることができよう。……。」
(「一日一生」新版(内村鑑三)、1月6日の項)。

---

 かつて私は、自宅に程近い地にある教会の門を叩いた。
 おそらくは、「キリスト教化されようと望んで」のことと思う。
 そのうち、私はその教会でなされていた「広い交際」での社交にあこがれるようになった。
 しかし、その教会は新参者には冷淡だった。
(下に書くが、今思えばこれは「私にとって」よかったと思う。)

 「その罪を贖われその霊魂を救われようと思ってキリストに来た者だけが、よく永久にキリストと共にとどまることができよう」。
 私は、「罪を贖われその霊魂を救われよう」、そうとはっきり思ったことは、教会に通っていた間はただの一度もない。
 何故か?
 「自分が罪という状態にあること」自体を指摘してくれる指導者というのが、誰一人として!いなかったからだ。
(念のために書くと、「それ」を正鵠を射て「指導」に与った教会の人々というのは、私を含めて誰一人いないこと受け合いである。)
 私は3つの教会を転々とした。一時期に至っては「教会の掛け持ち」までした。だからのべ4つの教会に行ったことになる。
 そうしてついに私は、「教会」そのものから離れざるを得なくなった。
(このことも「神が働いた」としかいいようがないと思う。)

 「教会」から離され聖書に目を通すことすら叶わなかった時期の長かった私を、しかしながら神は見放さないどころか、かえって莫大に憐れんでくださった。
 私に「ある一点を乗り越えさせてくださった」神は、続いて、「封印されていた聖書」の封印を解いてくださった。。
 するとかつてはあんなに嫌悪していた律法群が、「罪の壁」を明白にあぶり出してくれているかのようだった。
 以来私は、この「律法の壁」を実にありがたいものと思うようになった。
 私が「罪という状態 ( "states" ) にあること」を心の底から分かったのは、この「律法の壁」にぶち当たったからである。

 罪の贖いにあずかりたいとき、鑑三が書いているように、教会での「交際」は忌避すべきだ(いっときは私も身をやつした)。実に、単なる忘罪行為でしかない。「目をそらす」というやつだ。
 「キリスト教化」(教理なるものが、これに当たるか?)、「新しい思想」(神学)、それらはむしろ、罪の「解決」とは正反対の性質のものだ。
 このことはヨブ記が最も雄弁だと思うが、固い自説を披瀝しても4人の友とはますますいさかうだけであり、また「贖いの間近」になるとただ一人して神に向かわざるをえず、「そこ」では理屈の類など、およそ全く役立たないではないか。

 だからこそ、「その罪を贖われその霊魂を救われようと思ってキリストに来た者だけが、よく永久にキリストと共にとどまることができよう」。
 まずは「罪の内にいるというその "states" の自省から」だ。
 アウグスティヌスは、この段階で長くもんどりうっている(「告白」に詳細な記載がある - それにしても、よくぞ書けたものだ)。
 この states に気付いただけでも、実は「もうけもの」だろう。
 というのは、こうあるからだ。
 「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです」(「マタイ7:13新改訳)。
 狭い道だ。
 この狭さについて、そして、しかしながら通り抜けることができることについては、ヒルティが頻繁に書き記している。
 この「狭い道」は確実に「キリストに来た道」なのだ、必ずや、すぐにでもその states からキリストが贖いだしてくださる。こうあるとおりに。
 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない」(ヘブル10:37新改訳)。

 キリストを求めるのは、「真の目的」のためにこそ。
 行事形式を求めるではなく、思想・学術(神学)を求めるでもなく、人付き合いを求めるでもなく。

 「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7:7新改訳)


 なお、この「一日一生 新版」は内村の文語体文章を口語体に翻訳しているのだが、上記の引用では、その口語体文章にさらに数カ所の補正を施したことを付記する。
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執筆不可能な伝記

(1)
 「すべての人間の生涯に非常に多くの神秘的なものが含まれているので、ある点からすれば、完全に真実な伝記などは世になく、またありえない、とも主張することができよう。すくなくとも私は、自分の真実の重要な体験のかずかずを、全く真実のままに、しかも他人にも理解できるように表現するとすれば、どうしたらいいかわからないようだ。」
(ヒルティ、「眠られぬ・1」、草間・大和訳、岩波文庫)

(2)「それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16:24)

---

 私は伝記を書いてもらうような「たいそうな人」ではないので、仮に、歳を取ってのち、自伝を書くことにしよう。
 すると、「今までの私の」生涯の中だけでも、上のヒルティにあるように「真実のままに、しかも他人にも理解できるように表現するとすれば、どうしたらいいかわからない」としかいいようのない事項が、どんなに少なくとも2つある。
 ヒルティは上に「すべての人間の生涯に」と書き出しているのだし、このようなことはことの大小はあれどの人にもあるかも知れない。ただ、宝のようなこれらのことを、「些末な問題」として無視してしまう人が大勢なのかも知れない。
 上に私について「どんなに少なくとも2つ」と書いたが、この「2つ」はあまりに突出しており、実に、全くもって「真実のままに、しかも他人にも理解できるように表現しようと」すればするほど、頭を抱え込んでしまう。
(1つは、「その時」に書き遺そうと試みたのだが、全くもって無理だった。)

 さて、そういうこともあって、自分は「誰の者とも全く異なる人生を歩んでいる」、そのように実感を持って感じる。
(これ自体は誰だってそのはずだ。)
 それでマタイ伝の聖句を上に引用した。「自分を捨て」はまだまだだなのだが、「自分の十字架を負い」、ここが「誰の者とも全く異なる人生を歩んでいる」部分だろう。

 この道が平らかなものとは言えず、寧ろ険しい(参/マタイ7:13「狭い門からはいりなさい」)。
 そしてこの険しさ、これを受け入れざるを得なかった。
(あるいは後に平らかになるのかも知れないが、イエスの公生涯は平らかさからは程遠いものであった)。

 ただ「誰の者とも全く異なる人生」を歩み続けるということ、それ自体にはとても感謝している。
 この道を歩み続けるためには、きちんと記述しようがない出来事群という「担保」、この「支え」の手助けを、しばしば借りる。
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時代

 「この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに呼びかけて、こう言うのです。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』
 ヨハネが来て、食べも飲みもしないと、人々は『あれは悪霊につかれているのだ。』と言い、人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』と言います。でも、知恵の正しいことは、その行ないが証明します。」
 それから、イエスは、数々の力あるわざの行なわれた町々が悔い改めなかったので、責め始められた。」(マタイ11:16-20)

---

 19節での「食いしんぼうの大酒飲み」の記載だけを根拠に、「自身の酒飲み」に根拠付けを与える人が実に多い。「イエスも大酒飲みだった」、と。
 それなら「食いしん坊」の方も「学んで」、それこそ食い倒れてしまえばよい。

 飲み食いについては、バステスマのヨハネとの対比で話を切り出してこそ、初めて意味を有する。
 ヨハネが属するエッセネ派、その禁欲ぶりとの話の上でのコントラスト、それ以上のものではないのではないか。
 そして何より、上の引用箇所は、どれも「(今の)時代への責め」ということで共通している。

 イエスが言っても誰も振り向かないという、子どもたちに材を取った例え話。
 外見上常人と違うというだけでイエス達に陰口を叩く、知恵なきパリサイ人・律法学者。
(だから、酒の話などでは全くない)。
 そして、イエスが悪霊の追い出しや癒しをなされた町々が、イエスのそのわざを見ても何か思うこともなく「悔い改めなかった」話、これが引用箇所以降もしばらく続く。

 「こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。」(マタイ13:14)。

 このような「時代」であったから、イエス御自身を実際に間近に見ようとも、その「時代」が悔い改めることはなかった。上記の聖書箇所はいずれも、そのような時代への言及である。

 ましてや「今の時代」はどうであろうか。
 酒飲みたさの口実にまで聖書を持ってくるのであれば、彼にとって聖書は酒を飲む口実を与える以上のものではない。そして、そんな口実はテレビに幾らでも転がっている。
 私は個人的には、「飲みたいんなら素直に飲めばいいじゃないか」くらいにしか思っていないことを付言する。どうでもいい問題だ。
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イエスの血を浴びよ

(1)
 「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」(ローマ4:25)

(2)
 「苦しく嶮しい小道、幾年月もの不安な旅よ。
  とうとうお前を登り終えた。
  キリストの血の恵みを我が身に経験しなかったなら、
 わたしはとっくに引き返していたろう」
(ヒルティ「眠られぬ夜のために・1」(草間、大和 訳、岩波文庫)の4月15日掲載「成就」からの一節)

---

 イエスは私の大罪をあがなうために、十字架につかれた。
 そしてそのイエスは、よみがえられる。

 「キリストの血の恵み」。
 イエスの血を浴び、十字架の贖罪を受け入れよ。
 倒れ、そうして再び立つ、これぞ恵みだ。
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鑑三に見る回心

(1)
 「しかし余の回心は多くの回心者のそれよりももっと頑固なものであった。エクスタシー、突如たる霊的イルミネーションの瞬間は皆無ではなかったけれども、余の回心は遅々として暫時に進行した。余は一日で回心しなかったのである。
(内村鑑三著、鈴木俊郎訳、「余は如何にして基督教徒となりし乎」、岩波文庫版の p.7 、「序」)

(2)
「 ……
 第二章 基督教に接す
 第三章 初期の教会
 ……
 第五章 新教会と感傷的基督教
 第六章 基督教国の第一印象
 第七章 基督教国にて - 慈善家の間にて
 第八章 基督教国にて - ニュー・イングランドのカレッジ生活
 ……」
(同本、目次から)

(3)
 「4月5日 復活日の日曜、美しき日。霊は力を与えられ、余の生涯において初めて、天と不死とをかいま見た! ああ、その歓喜は測り難い! このような聖なる歓喜の一瞬間は、この世が与え得るあらゆる歓喜の数年分に値する。……。」
(同本第七章 p.145 において引用された日記)

(4)
 「3月8日……「キリスト」は余の全ての負債をお支払い下さり、余を堕落以前の最初の人の清浄と潔白とにお返し給うことを可能にされた。」
(同本第八章 p.163 において引用された日記)

(5)
 「余はそこで、故国で洗礼を受けてから約十年の後に、本当に回心させられた、すなわち向きかえさせられた、のであると信ずる。」
(同本第八章 p.179 )

(6)
 「9月20日 A(註:アマースト・カレッジ)における最後の日。- 非常に印象的な日。余は過去2年間ここにおいて遭遇した多くの闘争と誘惑を思った。余はまた神の御助けによって余の罪と弱点を克服し得た多くの意気揚々なる勝利と、彼より来りし多くの輝かしき啓示とを思った。実に、余の全生涯は新しい方向に向けられ、そこにおいて余は今や希望と勇気とをもって進むことができるのである。」
(同本第八章 p.181 において引用された日記)

---

 まず始めにお断りしておきたい。日記部分は、文語体を私が(!)翻訳している。そもそも翻訳すべきであったかどうかも疑わしいし、また、翻訳者としての資質を欠いていることをお詫びする(一箇所、全く自信のない箇所がある)。
 それでも暴挙を承知で口語訳化を試みたのは、わかりやすさが欲しかったからである。


 さて、回心を扱ったこの本の中で、顕著に回心を認めることのできる最初の記述は(3)、アマースト・カレッジに入学するより前の「4月5日」でのことである。
 ある人格者の医者の元で働いていた鑑三は、労働のためでもなく、対人関係のためでもなく、ただ罪の問題に憔悴しきってしまい、その医者の薦めで職を辞した(カレッジへの紹介も、この医者の厚意ではなかったかもしれないが、うろ覚えだ)。
 この「4月5日」の記述は、それ以前とは顕著な相違が認められる。
 なにしろ歓び(それも突出して大きな)が綴られているのだから。

 この日以来、「回心的記述」(?)は増加し、その傾向は第八章(カレッジでの生活)でクライマックスを迎える。しかし上の引用では、三箇所だけに絞った。

 (4)は、コロサイ2:14 「規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。」(新共同訳)が念頭にあるものと思う。だが、聖句を字面で眺めるのと「心底実感」するのとでは全く違う。
 また「3月8日付」の日記であるから、(3)の約1年後に記載されたことになる。

 (5)は、「洗礼を受けてから約十年の後に、本当に回心させられた」という下りに、大きな意義を見いだす。また、(1)にあるように、「余は一日で回心しなかったのである」。
 さて、わざわざ(2)の目次を引用したのも、鑑三は札幌で洗礼を受け国内教会活動に尽力していた時期の存在、それを傍証したかったからである。
 回心から程遠かったがそれを心から願った時期と言えばよいのであろうか。
 渡米の理由も、ただその一点に尽きる。

 「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイ7:7)

 まさに求めれば与えられる。鑑三もそのように、求め続けて歩んだ。
 そして、「ほんとうに欲しいもの」によって徐々に満たされていった。

 最後にカレッジ卒業の日、その日の日記が(6)である。
 「戦いの収束」、この一言で済むかと思う。
 鑑三の回心には数年を要した。(6)の日記文は、その「期間の終結」についての確信のように思える。
 あるいは鑑三は以前から割合に子細な日記を記していたから、このように「期間を計測することができた」のかも知れない。
 それよりも、鑑三の慎重さに目を向けたい。
 例えばカレッジ前の(3)、「4月5日 復活日の日曜、美しき日。霊は力を与えられ、余の生涯において初めて、天と不死とをかいま見た! ……」の体験のみをもって、自分はすっかり回心した、そう自認したとしても、なんらおかしくはないからだ。


 以上、「余は如何にして基督教徒となりし乎」から、内村鑑三の回心について、幾つかの事柄について書いてきた。
 個人的には「長期スパンの回心」ということに深い興味を持って読み始め、その一冊の文庫本は鉛筆の書き込みで真っ黒になってしまった。
(山ほど引用したい箇所があったから。)


 もう一つ、かねがね思っていることがある。
 ここは重複を厭わずに、再び引用する、

(4)「3月8日……「キリスト」は余の全ての負債をお支払い下さり、余を堕落以前の最初の人の清浄と潔白とにお返し給うことを可能にされた。」
(5)「余はそこで、故国で洗礼を受けてから約十年の後に、本当に回心させられた、すなわち向きかえさせられた、のであると信ずる。」

 「回心」と大仰に称されているものは、「向きかえさせられた」、すなわち「堕落以前の最初の人の清浄と潔白」へと向きが変わるということだ。
 言い換えると「罪の赦し、その『深い実感』」、それが「回心」だ。
 なるほど罪の問題を解決した「回心者」は、偉大なことを為しやすいだろう。
 「こころの中の邪魔者」がないから。
 ルター、アウグスティヌス、内村鑑三……。
 しかし、「偉大なことなど」する必要などないといえば、またそうであるはずだ。
 ひとり神のそば近く生きる、やはり「こころの中の邪魔者」なき回心者、彼(彼女)は、無名のまま、実に静かな生活を送り続け、天に召される。
 おそらくは初代教会以来、両者比して前者よりも後者の方が遙かに多かったに違いないことは、想像に難くない。

 「回心の未来」をこのように二分して考えることは、少しく有益と思う。
 そして偉大な人物たることを全く望まずとも、回心を心の底から求めることは、その人に決定的な影響、即ち芯からの罪の赦しを与えるに違いない(上述マタイ7:7)。 大切なこと、それは、芯からの罪の赦しそれ自体である。
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あかしをする身

 「だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。」(マルコ13:9)

---

 …この箇所を読み過ごしかけ、ふと、「ある意味」では既にここに言う「あかし」をし続けてるじゃないか、そう思い立ち、再度聖書に目を落とす。
 議会や会堂でむち打たれ、そしてこの世の王の前で「あかし」をする。
 この「あかし」を、し続ける。

 この聖書箇所に材を取って云々することにためらいを覚えることも、付記する。
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