ものがありふれたら一番大切なものを見失ってしまった

 「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:31-33)

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 唐突だが、近代という時代は、もっぱら頭による支配だったのではないかと思い始めている。
 ヴォルテールやルソーらが頭で紡いだ思想はフランス革命の一因となり、建前の上ではこれら諸思想が政治原理となった。
 物理学を用いエネルギーを操って、機関車や飛行機といった金属の塊を自在に動かせるようになった。
 農学や化学は収量を大幅に増やし、さらにそれを加工した食べ物や飲み物は大量に増産された。
 原油から合成繊維が作り出され、安価な服があふれんばかりに行き渡った。
 心配することなど何一つない、なんでもある! 我らが頭の大勝利だ!
 なにしろなんでもあるので、神の国は必要とされなくなった。
 心身共に疲弊しきってぼろんぼろんになりながら、片時もスマホを離さず勝利の雄叫びを上げている。
 しかし、この近代にあっても、神の国とその義に満ち足りたなら、その人は、この頭の支配から解放されて自然な営みをできるようになる。
 ほんとうのもの、すなわちイエスの復活のいのちが与えられると、飲んでもまた乾くものに満足できない人がすっかり満ち足りるのである。

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[一版]2018年 2月11日
[三版]2024年 8月17日

 イエス様の平安がありますように!

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