目をえぐりだせと言うイエス

 「『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。
 もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」(マタイ5:27-30)

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 シロアムで目の見えない人(ヨハネ9章)を癒やしたイエスは、私たちには目をえぐりだせと言っている。見えなくなれと言っている。
 イエスの厳格な律法解釈は、「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯した」というほどのもので、それで、この律法を守るためには目をえぐりだすほかないと言っている。それほどまでに律法を守り行うことは難しい。
 イエスはこののち、極刑の十字架に死んで3日目に復活するという大いなるわざを行う。
 そのイエスの律法解釈がこんなにも厳しいのは、それを行うことのできない私たちをこの十字架の死に追い込んで、そして新たに生まれるようにするためであり、言い替えると、イエスが切り拓いた救いの道に私たちを追い込むためである。
 だから、目をえぐり出せとイエスが言うのは、シロアムの目の見えない人に見せたあわれみと同じあわれみ、またはそれ以上のものなのである。

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 イエス様の平安がありますように!

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