御霊について

 「わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。
 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
 御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。
 父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。」(ヨハネ16:12-15)

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 十字架を前に、イエスは弟子たちに語り続ける。

 イエスはまだまだ語りたいことがたくさんある。
 だが、弟子たちが、「それに耐える力がありません」。
 これは、弟子たちがうんざりしているからではない。
 かえって、理解に勉めているのだが全く分からないことだらけで、半ば頭が真っ白になってしまっているのかも知れない。

 それと全く同じことが、2000年来続いている。
 聖書というものが編まれた。
 この書物の中にこそ真理がある、真理が書き込まれている、そう思うので、人々は次々に聖書を手に取り、開き続ける。
 ところが何度開いても、何が真理か皆目分からない。
 「それに耐える力が」ないからなのだが、自力でその力をつけることはできない。

 「その力」は、「真理の御霊が来る」ことによってのみ得られる。
 ちなみに、この「真理の御霊」も、自力で来させることなど全くできない。
 この真理の御霊が、その人を「すべての真理に導き入れます」。
 そうすると、今まで全く分からなかった聖書を、砂が水を吸うようにぐんぐんと理解できるようになる。
 なぜなら、「御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話」されるからだ。
 つまり、御霊を介してイエスに出会って手ほどきを受けるようなものなのだ。
 そしてなにより、出会ったイエスを、初めて信じるて頭(こうべ)を垂れる。

 こうしたことすべては、ただ神の恵みによる。

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