リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

なんか昔話に

2022-09-03 16:39:35 | 断片
 こんにちは。東京地方、ようやく秋です。どこが? って、もう来週十五夜。知ってた? どうりでgooの画面とか、あちこちに月見のイラストがでてる、と思った。もっとも東京は天気悪そうだけど。
 どうせお月見しない? わたしもしませんが月くらいは眺めたいものです。子供のころしてたからね。私は保守派。
 
 ニュースで。
「お台場の大観覧車、きょう営業終了…23年で2100万人が16分間の思い出」(読売オンライン)
 え? 終わり? 乗りたかったなあ、、夜、湾岸高速から見ると青や緑の照明で綺麗なんだよねえ、、が過去形。ディズニーランドの(安売り午後券見物)の帰りにいつも見てた。あんな綺麗なのに誰も行こうと言わなかったのはなぜ?
 まあお前と一緒の理由、というわけでしょう。乗りたいけれど都会の田舎で行きたくない。おかげでつぶれてしまったか、、

「JR東日本、鉄道人員4000人縮小へ 不動産などに配置転換」(jiji,com)
 航空業界とか、配転話は数あれど、だれも反対しないのね。
 もちろんクビになるわけじゃないから派遣の方々には理解不能かもしれませんが、でも、国鉄時代は反対してたがなあ、C派もK派もしない。さんざんお世話になってるくせ。
 それでいいのかねえ、、昔風の元正規社員にはわかりません。仕事は本来自分が好きな仕事をするのがいいと思うのですが。給料出るだけましだろう、ってのが当たり前になっちゃったね。
 まあ正規社員も条件の悪い労働者をほっておくと、報いが自分にかえってくる、という平凡な事情ではありますが。
 
 ちょっと古いですがまだ今週、ゴルバチョフが死んだとのこと。ノーベル平和賞受賞者ですよねえ。えっ、違う? そりゃあ変だ。ノーベル賞は偏向している。
 ま、ともかく、ああゆう独裁国家では、一人の力がとても大きい。
 ところで、大衆宣伝媒体でも一人の力はそれなりに大きい。
 朝日新聞読書欄で神林龍という現象説明経済学者が御用学者の本を褒めていたがのが不愉快。朝日も昔の日経並みに落ちたね。日経は昔の産経並みに落ちたが。今の産経は読まないので知らない。
 凡そ社会現象は、部分現象であれば、説明しようと思えばどのようにでも現象をつなぎ合わせて「説明」できる。そういう説明の学問で重要なのは学問者の価値観です。
 科学は因果連関の法則を提示するので、価値観はあってもそれを消しても役に立つ。
 しかし説明学は価値観があってのみ役に立つ。だからその価値観を明らかにしてからしゃべらなければならない。
 それがブルジョア学ではできないの。他の利害のある人間に嫌われちまうから。あくまで「客観的」を装わなければならない。昔の日経ね。そして今の朝日。
 社会学徒もお気をつけください。まあ社会学ではだいたい論末に表現しているから良心的だけどね。
  
 以下、わたくしごと。
 一昨夜は数学の授業を受ける夢を見て。通常はそういう夢の中の授業は、教科書も持っていないので学校の外にフケてしまうのですが、前回の夢でたまたま教科書があって、授業を受けてみたのの続きで出席してみました、ら、夢の中の教師が問題を解けというんだね。こんなゲームのようなことをして人生を無駄にしてたまるか、と憤慨したところで目が覚めました。ここで疑問。わたしは現実の高校の数学の授業で、授業中何をやっていたのだろう??
「そりゃ、勉強だろう」と。甘い。記憶にない。勉強しないのはいいが、そんなゲームのようなことをして授業を受けていたわけない、と思いますが、通知表によると、(高3でも選択で受験用数学とって)10段階の6貰ってるよ。こっちのほうが夢だね。
 ちなみに、試験で数学赤点を取ったのは、高校1年の1学期のみ。あとはなんとか30点をクリアしてた、ってえらくないか。その赤点のときはビケで6点。ブービーの奴が13点。追試で20なん点かとって許してもらった。
 さらにちなみに、今驚いたことに高3の通知表上、選択の数学の授業も大部分出席したことになってる。そうかねえ、、世の中すべて夢か?? 単に出欠を取らなかったのか、、(これは必修単位外なのでフケるのもアリ)。 
 
 なんて思ってたら。高校の同窓会の通知が届きました。教師もほとんど死んじゃって、次はもうわれわれの番なので残念ながら流し見。あの頃の学友交流はとっても懐かしいのに、なんで授業のことは覚えてないのか。
 なおその通知によると、都立高校ですが、激減した大学合格率がようやく戻りつつあります。都立は授業料タダになったからね。
 
 次。
 森嶋通夫(というイギリスの一流大学で教授をして死んだ近代経済学者)の自伝を読んで、この人はわかりやすさでは都留重人(という死んだ経済学者)と双璧で好きだったのですが、いや、たいしたことないな、と思って。ただの優等生でした。
 私儀、年取ってアルバイトもしてないんで世界が狭くなり、この間、昔偉かった人の自伝をなにかと読んでましたが、文系も理系も、ただ勉強しててルートに乗って有名になった人たちばかり。わたしなんかとは関係ない世界の人たちでした。学者的社交社会、というよりは、ほとんど学者会社だね。本社採用が優遇されるようです。
 これならまだマルクスとかでさえ、レベルだんちで偉いや。
 みなさまも偉くなろうと思ったら、頭の良し悪しにかかわりなく、せいぜい言われた通り勉強して「良い」大学を目指すのが、当然と思われるでしょうが、当然です。
 頭の良し、って、最近ギフテッドとかいって子供の知能指数の話がメディア(とくに朝日新聞)に出ますが、知能指数など、年齢が低ければ算数の試験勉強をするほど、高校生にもなればさらに読書量が多いほど、点数が上がるわけで、べつに頭の良し悪しの程度とは関係ありません。あれは労働作業速度指数。必然的に結果として、受験戦争を通った人間が高い。なんて説明書きには書いてないけどね。
 ギフテッドというのは、一人でする知能労働なら社交性に問題があってもいいだろう、という資本主義的正義感というか、少子飽食社会での要望というか、まあもっともな話。
 元に戻って、偉くなるには「良い大学」に入ってそのルートに沿って勉強できる社交性があればよいし、それが必須。高校でフケてるようじゃ見込みなし。
 なんだ、森嶋もかあ。。って感じ。そんな会社、潜在力のある人間は受けやしないさ。
 
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