リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

あたらしい詩人の人

2015-07-25 10:59:18 | コーヒーブレイク
 こんにちは。暑い中、もう本日は隅田川の花火。花火が終われば、もう旧盆です。お盆休みが終わればもう秋風です。もう夏も終わり。さみしいですね。しつこいか。ほんと、夏嫌い。この1週間など、何していたかわかりません。いえ、毎日、今日は仕事が確かに進んだ、と確認しつつ寝るわけですが。やる気のないままこなしてると達成感もない。
 
 などとぐだっているところへ、昨日は新聞に知らない詩人が。これを本日は、マイフェイボリットシングでご紹介。題にしちゃうと検索にでちゃうので、題はぼかし。
 
 
     『中国の大半を通り抜けてあなたを寝に行く』

   (前略)
 
   私は弾丸雨飛の中をくぐってあなたを寝に行く
   私は無数の暗夜を一つの黎明に押し込んであなたを寝に行く
   無数の私が疾走し一人の私になってあなたを寝に行く

   むろん私も何匹かの蝶々に惑わされ岐路に迷いこんだことがある
   いくつかの讃美を春だと勘違いし
   横店と似た村を故郷と思ったことがある

   しかしそれらは
   すべて私があなたを寝に行く理由である

               (余秀華)


 「中国の大半を移動しないと、愛する伴侶と夜を共にすることすら出来ない民工(出稼ぎ労働者)の苦悩を歌ったものだ。」そうです。「前略」なのは、訳がないため。
 これはよい。
 インチキなコトバ遊びとの格差はどうだ!
      やはり全世界的に、現代の詩は女性優位か?

 言葉が日本語的でないのは、原文が自動詞を他動詞にしてるそうです。
 訳が張競さんていう人、詩人でないのがちょっと残念。忠実な訳をうまく日本語にしてるとは思うのですが。
 
 せめて最後は、(原文は文字化けるかも)
   「而它们
   都是我去睡你必不可少的理由」

   「そしてそれらが
    すべて私があなたを寝に行く理由なのだ」
 くらいで。
 「である」の翻訳調はいいけれど、それ、邪道ですよね。

 ついでにもひとつ。


     『ある脱穀場の麦』

   長らく見続けた夢は雲から墜落し
   生きている黄金色の中に落ちた

   父はもう一度麦たちをひっくり返した
   内面の湿気は日差しに晒さなければならない
   こうして麦たちはようやくカビの生えない冬に手が届くようになった
   ひっくり返してから、父は一粒の麦を拾い
   神経を集中して噛み砕いた             
   すると地上一面に月光が流れ出した         

   もしこの脱穀場の麦たちのなかで泳ぐならば
   必ずや身体の枝葉末節と
   抒情のなかのあらゆる形容詞を洗い流すであろう
   心配なのは私のさほど硬くない骨は
   このような黄金色に耐えられないことだ


 なかなかすごいしょ。
 張さんかな。ただ、8行目いやじゃない?
    「用心一咬
     便流出了一地月光」
 というの。
 どうでしょう、
    「ゆっくりと一噛みする
     流れ出る 地一面の月光」
 くらいで。

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