大きな手術で大腸のがんを切除してもらったのが、去年の5月。あれから1年経った。予定通り、私は一泊の検査入院を行ない、大腸内視鏡を含む各種の検査をまとめて受けてきた。去年の内視鏡の時は、大腸の3分の1ががんに覆い尽くされてほとんど塞がっていたため、下剤が使えなかった。そこでお腹が空っぽになるまで、麗しき看護師さんの浣腸責め3連発をいただくこととなり、OKが出た頃には意識が遠のいていた。(※今だからこんな気楽に書けるが、当時は大変だった。)今回は下剤。入院前日の質素な検査食と排便を促す錠剤の服用によって、入院時にはもうお腹はだいぶ凹んでいたのだが、そこにさらなる追撃を加える、といったところ。しかしまあ、その下剤のキツかったこと。
まず、帝人ファーマのラキソベロン。これは量も少なく、普通に飲めた。大変だったのは、次に出されたニフレックである。にがしょっぱくて、飲みにくいこと甚だしい。これを2時間かけて、2リットルも飲まねばならないつらさ。ちょっと尋常のもではない。でっかい袋にたっぷり入った、まず~い液体。見ているだけでも、げんなりする。しかも飲んだ後は便意に襲われるのだから、気も進まない。「おい、味の素!いくら下剤ったって、もう少し飲みやすい味に作れねえのかよ」と心の中で呪いつつ(笑)、半分の1リットルまで飲み進んだところで最初の便意。その後結局、4回目か5回目のトイレでOKが出た。0・7リットルぐらい袋にまだ残っていたが、OKが出ればもう飲まなくてよい。残りは看護師さんにお返しして、あとは点滴を受けながら順番が来るのを待つばかり。体がだるくなっていたので、ベッドに横たわる。思っていたほど退屈はしなかった。念のために、と持って行った文庫本も開くことはなかった。白河夜船。ようやく順番が来て呼ばれたのは、夕方の5時頃。
検査室に入って、寝台に横たわる。「実は、今も少し便意があるんですけど」「出ても水でしょ?機械で吸っちゃうから大丈夫よ」などといったやり取りをしているうちに、腕の点滴針を通して麻酔薬が入ってくる。早速眠気が。・・・やがて目が覚めると、「はい、終わりましたよ」と看護師さんの声。「あ、どうも」。検査担当医の声が背後から聞こえる。「大腸は全く問題なかったです」。その後病室に帰って夕食。良かった。普通の食事が出た。検査時の麻酔が少し残っていた効果もあってか、夜もすぐに眠れた。翌朝は朝食なしで、エコーとCT。その後、会計を済ませてお昼前に退院。
で、先日、検査結果を聞きに行ってきた。血液検査、大腸カメラ、胸部レントゲン、エコー及びCTの画像等、いずれも大きな問題はなかった。どうやら、1年目は無事に乗り切れたようである。(※食生活のドラスティックな改革が功を奏したに違いない、と私は考えている。)胆嚢に小さなポリープが見られるけれども、それはコレステロール・ポリープと思われるもので、これからよほど大きくならない限りは気にしなくてもいいらしい。
さて、当ブログ本来のテーマである音楽の話。前回までの流れから、FM番組『名演奏ライブラリー』に関連するところで、いくつか書いてみようかと思う。まずは、5月23日のホルスト・シュタイン特集。これは、津波警報で中断された2月28日分(※当時の番組名は『20世紀の名演奏』)の再放送である。F・グルダのピアノ独奏によるベートーヴェンの<ピアノ協奏曲第2番>を、ようやく聴くことができた。結論から言えばこの演奏、あまり感心しなかった。しかし、「これを機に、グルダが遺したソロの録音をちょっと聴いてみるかな」という気になって、いくつかCDを入手してみた。その中で特に気に入ったのは、モーツァルトの<ピアノ・ソナタ第11番 K.331「トルコ行進曲付」>(1977年録音)と、シューベルトの<即興曲集 Op90 D899>(1999年録音)の二つである。どちらの演奏も音の強弱と表現のレンジが広く、曲のテクスチュアも明晰。両作品に対してただならぬ踏み込みを見せた素晴らしい名演であった。特に後者の深み、これは並大抵のものではない。
同番組であと印象に残ったのは、5月30日のモンセラット・カバリエ特集。最初に流れたプッチーニの3曲はそれほどとも思わなかったのだが、4曲目のドニゼッティが非常に良かった。歌劇<アンナ・ボレーナ>から、「あの方は泣いているの・・・私が生まれたあのお城」である。美しい声!その後もドニゼッティが1曲、そしてベッリーニが2曲と続いたのだが、それらを聴きながらふと思った。「そう言えば、カバリエが最も高い適性を示していたベルカント・オペラの録音って、今までほとんど聴いたことなかったなあ」。調べてみたら、その日の番組で聴けた美しいアンナ・ボレーナ、その他を収めたCDが輸入盤で出ていることが分かった。「Montserrat Caballe the Ultimate Collection」と題されたRCAの2枚組で、1000円を切る廉価盤である。即、購入。まだ収録曲全部を聴けてはいないのだが、そのうちじっくりと鑑賞してみることにしたい。
ところでこの『名演奏ライブラリー』、番組の最後に紹介される演奏がその日一番の聴きものだったりすることがよくあるような気がする。4月11日の「若き日のロリン・マゼール」では、ベルリン・フィルとのベートーヴェンの<運命>(←これも輸入廉価盤が見つかったので、放送の数週間後にCDを購入)。6月6日のクラウス・テンシュテット特集では、ベルリン・フィルとのシューベルトの<グレート>。一番最近の例だと、つい一昨日(6月20日)放送された「追悼 ジュゼッペ・タッデイ」での、リゴレットの歌「悪魔め、鬼め」。これらの一つ一つを今回の枠内で語るのはもう無理だけれども、いずれも、「なんだよ~、また最後に一番いいのが出たじゃないか~」と思わせるような名演であった。
まず、帝人ファーマのラキソベロン。これは量も少なく、普通に飲めた。大変だったのは、次に出されたニフレックである。にがしょっぱくて、飲みにくいこと甚だしい。これを2時間かけて、2リットルも飲まねばならないつらさ。ちょっと尋常のもではない。でっかい袋にたっぷり入った、まず~い液体。見ているだけでも、げんなりする。しかも飲んだ後は便意に襲われるのだから、気も進まない。「おい、味の素!いくら下剤ったって、もう少し飲みやすい味に作れねえのかよ」と心の中で呪いつつ(笑)、半分の1リットルまで飲み進んだところで最初の便意。その後結局、4回目か5回目のトイレでOKが出た。0・7リットルぐらい袋にまだ残っていたが、OKが出ればもう飲まなくてよい。残りは看護師さんにお返しして、あとは点滴を受けながら順番が来るのを待つばかり。体がだるくなっていたので、ベッドに横たわる。思っていたほど退屈はしなかった。念のために、と持って行った文庫本も開くことはなかった。白河夜船。ようやく順番が来て呼ばれたのは、夕方の5時頃。
検査室に入って、寝台に横たわる。「実は、今も少し便意があるんですけど」「出ても水でしょ?機械で吸っちゃうから大丈夫よ」などといったやり取りをしているうちに、腕の点滴針を通して麻酔薬が入ってくる。早速眠気が。・・・やがて目が覚めると、「はい、終わりましたよ」と看護師さんの声。「あ、どうも」。検査担当医の声が背後から聞こえる。「大腸は全く問題なかったです」。その後病室に帰って夕食。良かった。普通の食事が出た。検査時の麻酔が少し残っていた効果もあってか、夜もすぐに眠れた。翌朝は朝食なしで、エコーとCT。その後、会計を済ませてお昼前に退院。
で、先日、検査結果を聞きに行ってきた。血液検査、大腸カメラ、胸部レントゲン、エコー及びCTの画像等、いずれも大きな問題はなかった。どうやら、1年目は無事に乗り切れたようである。(※食生活のドラスティックな改革が功を奏したに違いない、と私は考えている。)胆嚢に小さなポリープが見られるけれども、それはコレステロール・ポリープと思われるもので、これからよほど大きくならない限りは気にしなくてもいいらしい。
さて、当ブログ本来のテーマである音楽の話。前回までの流れから、FM番組『名演奏ライブラリー』に関連するところで、いくつか書いてみようかと思う。まずは、5月23日のホルスト・シュタイン特集。これは、津波警報で中断された2月28日分(※当時の番組名は『20世紀の名演奏』)の再放送である。F・グルダのピアノ独奏によるベートーヴェンの<ピアノ協奏曲第2番>を、ようやく聴くことができた。結論から言えばこの演奏、あまり感心しなかった。しかし、「これを機に、グルダが遺したソロの録音をちょっと聴いてみるかな」という気になって、いくつかCDを入手してみた。その中で特に気に入ったのは、モーツァルトの<ピアノ・ソナタ第11番 K.331「トルコ行進曲付」>(1977年録音)と、シューベルトの<即興曲集 Op90 D899>(1999年録音)の二つである。どちらの演奏も音の強弱と表現のレンジが広く、曲のテクスチュアも明晰。両作品に対してただならぬ踏み込みを見せた素晴らしい名演であった。特に後者の深み、これは並大抵のものではない。
同番組であと印象に残ったのは、5月30日のモンセラット・カバリエ特集。最初に流れたプッチーニの3曲はそれほどとも思わなかったのだが、4曲目のドニゼッティが非常に良かった。歌劇<アンナ・ボレーナ>から、「あの方は泣いているの・・・私が生まれたあのお城」である。美しい声!その後もドニゼッティが1曲、そしてベッリーニが2曲と続いたのだが、それらを聴きながらふと思った。「そう言えば、カバリエが最も高い適性を示していたベルカント・オペラの録音って、今までほとんど聴いたことなかったなあ」。調べてみたら、その日の番組で聴けた美しいアンナ・ボレーナ、その他を収めたCDが輸入盤で出ていることが分かった。「Montserrat Caballe the Ultimate Collection」と題されたRCAの2枚組で、1000円を切る廉価盤である。即、購入。まだ収録曲全部を聴けてはいないのだが、そのうちじっくりと鑑賞してみることにしたい。
ところでこの『名演奏ライブラリー』、番組の最後に紹介される演奏がその日一番の聴きものだったりすることがよくあるような気がする。4月11日の「若き日のロリン・マゼール」では、ベルリン・フィルとのベートーヴェンの<運命>(←これも輸入廉価盤が見つかったので、放送の数週間後にCDを購入)。6月6日のクラウス・テンシュテット特集では、ベルリン・フィルとのシューベルトの<グレート>。一番最近の例だと、つい一昨日(6月20日)放送された「追悼 ジュゼッペ・タッデイ」での、リゴレットの歌「悪魔め、鬼め」。これらの一つ一つを今回の枠内で語るのはもう無理だけれども、いずれも、「なんだよ~、また最後に一番いいのが出たじゃないか~」と思わせるような名演であった。
いろいろ文句が出るのも、健康回復の証拠(笑)
ところで、明日の放送はジョージ・セルさんのようですね。
もしお聞きになったら、コメントをよろしくお願いします。
その後、ほかのレコードを何枚か聴くうちに、セルさんの本質は沈着冷静そのもので、あのLPはまったく突然変異だったのだなあと気がついた次第です。
(戴冠式はCDで今も現役のようですね)
次のモーツァルト<交響曲第28番>もアポロ的というか、筋肉質な名演で、いかにもセル先生らしい演奏でした。続く<ピアノ四重奏曲 K478>は私の苦手な室内楽なのでノー・コメント。w ただ一つ思ったのは、ここでのセルのピアノは
<協奏曲第20番>をやったらとても合いそうだな、ということですかね。
最後の東京ライヴ(1970年5月22日)、シベリウスの<交響曲2番>は驚くばかりの熱演。パワフルなティンパニー、耳をつんざくような金管、終始一貫緩むことのないハイテンションな演奏。若い世代のファンなら、「これこそ、シベ2のベストだ」なんて快哉を叫ぶかもしれませんね。私らはもう年をとって、このようなスーパーホットな演奏は一度聴けば満腹してしまいますけど。
まあ、日曜日の楽しいひと時ではありました。
1961年にルドルフ・ゼルキンとの共演で、セル先生が同じモーツァルトの<協奏曲第20番>をやった録音もありますが、そこでの激しさは曲自体の性格を反映していたのかもしれません。それが1968年共演の<第19番>では、すっきりしたスマートな伴奏に変わっていました。巨匠が世を去る2年前です。(いずれも、オケはコロンビア響。)
セル先生は基本的に、ライヴで時々もの凄く燃える演奏をやっていた人といえるんじゃないでしょうか。ルガーノでシューマンの2番をやったときのアンコール曲、<ラコッツィ行進曲>での爆裂ぶりとか、ウィーン・フィルを指揮したザルツブルクでのベートーヴェンとか。(エグモント序曲、ギレリスと組んだ協奏曲の第3番、それと<運命>。オルフェオ原盤で、日本盤CDの解説は我らが?ぽーこー先生。www )
> ライヴで時々もの凄く燃える演奏をやっていた人
こういう指摘は、今までの音楽評論では見なかったように思いますが、このCDを聴くと、おっしゃるとおりだなあと感じます。
練習のときに、「このへんから盛り上げようぜ」と打ち合わせるのでしょうか、それとも本番で指揮者とオーケストラが共鳴現象みたいになるのでしょうか。
おそらく後者でしょうね。
晩年のバーンスタインが大事にし、チェリビダッケがこだわり続けたライヴの空気みたいなものは、やはり特別な霊感を演奏家に与えるのでしょうね。