クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<カーチャ・カバノヴァー>(2)

2008年11月26日 | 作品を語る
今回は、ヤナーチェクの歌劇<カーチャ・カバノヴァー>の第2回。ドラマの幕切れまでの展開と、2つの全曲録音の聴き比べのお話。

〔 第3幕・第1場 〕・・・草と薮に囲まれた廃屋。今にも雨が降りそうな雲の様子。午後の遅い時間。

私の彼氏クドリヤーシと友人のクリギン(Bar)が、雨を避けるため廃屋に立ち寄り、そこで壁画を巡ってのおしゃべりを始めます。やがて、雨でびしょ濡れになったジコイもやって来ます。クドリヤーシが避雷針の効果についての話を持ちかけると、ジコイは答えます。「嵐というのは、神がくだされる罰だ。そこから身を守ることなど、できん」。(この言葉、これから始まるカーチャ義姉さんの悲劇を予言しているみたい・・・。)

ここから、事態は急展開。通りかかったボリスに、私、必死で伝えます。「チホンはもう旅から帰って来てるんだけど、あれからカーチャの様子がおかしいの。熱にうなされたようで、青ざめて、本当に変なのよ。そのうち、秘密を全部自分からしゃべってしまいそう。カバニハも、何か嗅ぎつけたみたい」。雷鳴が響きます。嵐が来ます。

やがて、私の姿を見つけたカーチャ義姉さんがやって来て、怯えきった様子で私の手をつかみます。続いてジコイとカバニハ、そしてチホンが現れると、お義姉さんは錯乱状態に陥ります。で、とうとう、夫の留守中にやっていた事をすべてしゃべってしまうんです。「カーチャは気が変になって、おかしなことを口走っているだけ。こんな話、真に受けちゃだめよ」って、私、必死になってみんなに言ったんだけど、・・・無駄でした。「相手の男は、誰じゃ」ってカバニハが訊くのに対し、お義姉さんは真正直に「ボリスです」って答えちゃう。そして一人、激しい嵐の中に飛び出していきます。居合わせた人たちもすっかり動転し、それぞれに散っていきます。ああ、こんな形で、破滅のときが来るなんて・・。

〔 第3幕・第2場 〕・・・ヴォルガ川の岸辺。夕方の遅い時間。

召使と一緒に歩いてきたチホンが、苦しい胸中を語ります。「最悪だ。カーチャのことを『生き埋めにしろ』っておふくろは言うんだけど、俺、あいつに危害を加えるような事なんかできないよ。愛しているから」。

彼らが去ったのに続いて、私とクドリヤーシの会話シーンになります。私もあれから、家でこっぴどい目に遭わされました。このままここにいたら、将来どんなことになるか分からない。・・・そんな話をしたら、「一緒に、ここから逃げよう」って、彼は言ってくれました。私はもちろん、二つ返事でOK。そして手に手を取って、モスクワへ行くことに決めたんです。今みたいな閉塞状況から抜け出して、二人で新しい生活を始めるためにね。さようなら、お義姉さん。(※で、私はこれでお話の舞台からは消えるんですけど、今回のご案内については最後まで務めさせていただきますね。)

ヴォルガの川べりを、カーチャ義姉さんがふらふらと歩いてきます。少し気持ちが落ち着いた様子です。そこで、お義姉さんはばったりとボリスに出会い、二人して最後の抱擁を交わします。ボリスはジコイに命じられてシベリアへ行かされることになっていたのですが、彼はその事をここでカーチャに伝えます。一緒に行けたら、と願うカーチャでしたが、「それはとても出来ない話」と、すぐにあきらめます。ボリスと別れた後、一人になったカーチャは、自分のお墓の周りを飛び回る小鳥たちや、そこに生い茂る花々のことを歌い、ついに川へ身を投げてしまいます。

対岸からそれを目撃したクリギンと他の通行人が、「女の人が川に飛び込んだ!ボートを出せ」って、救助に走ります。そして、その騒ぎを聞きつけたチホンが、「あれはカーチャだ。助けに行く」って叫ぶんだけど、「お前がそんな危ないことをするほど、あれは価値のある女じゃない」と言って、カバニハが彼を引き止めます。その時チホンは初めて、母親に抗議の言葉をぶつけます。「あいつを死に追いやったのは、母さんだ」。でも、カバニハには全然こたえません。「お前、誰に口きいているんだい」って。

やがて、悲しい水死体になったカーチャ義姉さんの亡骸が運ばれてきます。「ほいよ、カティエリーナさんだ」と告げるジコイの声を受けて、チホンが激しく泣きじゃくります。続いて、カバニハが集まった人々に挨拶をしますが、その挨拶がこのオペラの全曲を締めくくる言葉となります。

「へえ、へえ、ありがとうごぜえます。ご親切な皆様、ご苦労様でごぜえました」。

―歌劇<カーチャ・カバノヴァー>の全曲録音から

●ヤロスラフ・クロムブホルツ指揮プラハ国民劇場管、他 (1959年・スプラフォン盤)

LP時代には、このオペラを代表していたステレオ初期の名盤。まずカバニハを歌うリュドミラ・コマンツォヴァーやボリスを歌うベノ・ブラフト他、出演歌手陣が粒ぞろいで、いわゆる「めり込み」がない。ヴァルヴァラを歌うイヴァナ・ミクソヴァーも、役柄の性格を闊達に表現しているし、ジコイ役のズデニェク・クロウパも、声の雰囲気がいかにも“因業なジジイ”といった感じで非常に良い。タイトル役のドラホミーラ・チカロヴァーも、まずは水準に達した出来栄え。(ただ、カーチャが死を決意する場面では、もう少し劇的なパワーがほしいと思われたが。)クロムブホルツの指揮も優れたものだ。後述するマッケラス盤の登場によって、今はいささか渋い印象を与えるものになってはしまったが、オーケストラの素朴な色彩感や自然なフレージング等、いかにもヤナーチェクのオペラらしい味のある演奏を聴かせてくれる。

●チャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィル、他 (1976年・デッカ盤)

マッケラス&ウィーン・フィルによる、一連のヤナーチェク録音の一つ。抒情的な旋律を時にしっとり、時にねっとりと奏でる弦の美しさ、驚くほどに表情豊かな管楽器群、そして鋭く立ち上がるティンパニーの威力等、オーケストラ・パートの雄弁さについては、やはりさすがの名演と言うべきだろう。

しかし歌手陣には、残念ながら凸凹がある。良い方ではまず、カバニハを歌っているナヂエジダ・クニプロヴァー。この人は、先頃語ったグレゴル盤<イェヌーファ>で素晴らしいコステルニチカを演じていた人だ。そちらの録音と比べると、ここでの声はいくぶん衰えたものになっているかもしれないが、やはりその強烈な存在感は健在である。ボリス役のペテル・ドヴォルスキーも好演。チホン役のウラジミール・クレイチーク、そしてクドリヤーシ役のズデニェク・シュヴェーラも不足なし。

一方、それ以外の歌手については、不満の感じられる部分も少なくない。たとえば、ジコイを歌うダリボル・イェドリチカ。この人は一応バス歌手なのだが、その声質はすっきりとしたバリトーナルなものだ。だから、<利口な女狐の物語>に出てくる森番とか、<マクロプロス事件>のコレナティみたいな役には良かろうけれども、ジコイのようなクソジジイ役にはちょっときれい過ぎて物足りない感じがする。タイトル役のカーチャを歌っているのは、<イェヌーファ>の時と同様、エリーザベト・ゼーダーシュトレーム。この人の歌唱に対する私の感想は、例によってだが、あまり芳(かんば)しいものではない。熱演であることは認められるものの、どうも私の胸に響いてこない。ヴァルヴァラ役のリブシェ・マーロヴァーも全く平凡で、クロムブホルツ盤で歌っているミクソヴァーに比べるとかなり印象が薄い。

(PS) カーチャ・カバノヴァーとカテリーナ・イズマイロヴァ

さて、オペラ通の方なら既にご存知のことと思われるが、今回語ったカーチャ・カバノヴァーと名前もそっくりなら、たどった運命もそっくりというヒロインが、他にもう一人いる。ショスタコーヴィッチ・オペラの主人公カテリーナ・イズマイロヴァである。二人とも同じファースト・ネームを持ち、それぞれカバノフ家、イズマイロフ家という豪商の家に嫁いで不幸な結婚生活を送り、不倫に走る。その後に続く展開はまるで違ったものになってくるのだが、最後の死に方はどちらも水死。―とまあ、かなりの共通点を持った者同士なのである。今回はしばらくヤナーチェク・オペラのシリーズということで話を続けていこうと考えているが、ショスタコーヴィッチの歌劇<カテリーナ・イズマイロヴァ(※オリジナル版は、<ムツェンスク郡のマクベス夫人>)も、いずれ機会を見て取りあげてみたいと思う。
コメント (2)
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