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秋雨前線と「一握の砂」



(渋皮煮と落ちた柿)

夏の太平洋高気圧と冬の大陸性高気圧が日本列島の上でせめぎ合い、前線が出来る。夏なら梅雨前線、秋なら秋雨前線。今日はまさに、日本の東北北海道を除いて、その秋雨前線にすっぽり入り、朝晩は雨になった。明日は一日中雨模様だという。今年の夏は梅雨が長引きどうなることかと心配したが、その後一転してお天気が続き、逆に雨を待望する気候となった。どこかが少しずつ狂っている。ようやく今度の雨で畑や山の植物たちも一息付くのであろう。

先日の栗拾いで拾ってきた栗が女房の手で「渋皮煮」になった。いつもより小ぶりの栗であったが、その分大味ではなくて美味しいと聞いていた。「渋皮煮」になっても味が上品に出来上がったと女房はいう。昨日に続いて、落ちた柿を拾った。雨も降って10個ほど落ちていた。

会社でI氏の葬送に合わせて、一分間の黙祷をした。昨日のショックがまだ尾を引いている。どういう気まぐれか、「青空文庫」の中から、石川啄木の歌集「一握の砂」を読んだ。551首、涙が一杯詰った歌集である。有名な歌、気になった歌などを書き出してみた。

  東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
  いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ
  たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず
  はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
  友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ
  教室の窓より遁げて ただ一人 かの城址に寝に行きしかな
  ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
  かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川
  石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし
  ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
  函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花
  かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ


生活苦、病魔、一家を養う責任などから、啄木の歌は暗い。唯一、悩みのなかった故郷の時代を懐かしむ時だけ、啄木の歌には灯りがともる。

中には死を意識する歌も多い。

  死にたくてならぬ時あり はばかりに人目を避けて 怖き顔する
  いくたびか死なむとしては 死なざりし わが来しかたのをかしく悲し


しかし、啄木は病で命を終えるまで自ら死ぬことはなかった。啄木は歌が詠めた。どんなに暗い歌であっても、それは彼にとって救いであったのだろう。が、啄木の享年26歳は余りにも若い。
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