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高校1年の文化祭

(庭のケイトウ)

昨日、高校時代の文化祭の話を書いていて、1年生の文化祭の事を思い出した。自分の高校の文化祭では、3学年で30近くあるクラスが、何かで参加することになっていた。一つは演劇、一つは教室でのテーマを決めた出し物、この二つは書類審査があって数をしぼる。演劇は応募が少なくて書類で落とすことは少ないと思ったが、出し物は応募が多くて半分くらいに絞られたと思う。外れたクラスは合唱コンクールなどに参加したように記憶している。

1年生の我がクラスも何か出し物を出そうと相談した。お化け屋敷、鉄道模型を使ったジオラマなど、上級生のクラスが出すだろう。まずは書類審査が通らなければ参加できない。他のクラスとバッティングしないテーマでないと落とされることは目に見えている。

ソビエト連邦の宇宙飛行士、ユーリイ・ガガーリンが人類初の宇宙飛行を成功させたのは1961年のことで、自分たちが中学3年のときの話せある。当時、若者たちの眼は宇宙に向いていた。おそらく宇宙をテーマにした出し物は幾つか出るだろうと思われた。

皆んなの眼は宇宙に向いている。宇宙はなぞに満ちていて、今まさにその謎が解明されつつある。しかし、地球上には未知の場所がまだまだたくさんあることに気付く。その一つが深海である。我々の出し物では宇宙に向いた眼を海に落として、「深海のなぞ」にせまって行きたい。そんなコンセプトで出せば、書類審査は通るだろうと思った。結果、見事にパスした。1年生で通過したのは二クラスだけだと思う。

クラスを主導したのは自分だったように書いたが、その辺りははっきりしない。人の意見を発展させたのか、あるいは丸乗りしたのか。記憶に残っているのは、自分もそんな風に思ったからである。そのコンセプトの発想方法は45年経った現在の自分の発想と大変似通っている。

さて、書類審査を通って、深海のことがどこまで解っているのだろうと、図書館などで調べた。バチスカーフが1万メートルの深海に到達したのは1960年、まだほんの2年前のことで、深海探査は始まったばかりであった。資料を調べてみて、これは無理だと思った。あまりに資料が少なすぎる。深海は真っ暗で何も無い。児童向けに深海魚が泳いでいる想像図が描かれていたが、それが唯一の深海のイメージであった。熱水鉱床のようなものでも発見されていればやりようがあっただろうが、それはまだ後年のことである。

結局、自分はクラブ活動の展示と掛け持ちになり、余り熱心に準備に参加しなかった。出来上がった出し物は暗幕で囲った真っ暗な中を、深海艇の丸窓から覗かせるという形になった。中には豆電球の光の中に紙粘土で作った深海魚がわずかに見えるだけという、ほとんどが暗闇の出し物になった。出来は散々であった。皆んなの眼が向いていない深海には研究者の眼も向いていなかったのである。
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