goo

子隣村検地水帳 その1

(掛川市立中央図書館)

午後1時半より、第四回古文書入門講座で掛川市立中央図書館に出掛けた。課題は「子隣村反別指出シ帳」である。この文書は子隣の角皆(つのがい)家文書である。

「反別指出シ帳」とあるが、最初にこの文書が「検地水帳」であると示されている。「検地水帳」は検地帳のことで、当時、領主が替わるたびに庄屋などから提出された。その内容は村の耕地面積にとどまらず、村の概要が知れるように、様々な事柄に記述が及んでいる。

この検地水帳は横須賀藩主であった本多利長が1682年、「民を虐げ酒を嗜み色に耽る」という不行跡で、大名を首になり、出羽国村上郡へ一万石の仏飼料で遷された。その時天領となったが、その折りに提出されたものと思われる。

前回少しだけ解読した分と今解読分を書き下したものを示す。

元禄五年申の八月 遠州城東郡子隣村反別指出し帳
拾八年以前、延寳三年卯年、本多越前守様御検地水帳所持仕り候。黒土砂地
一 高二百二十六石六斗二升七合      子隣村本田
    先年本多越前守様御領分      
    十一年以前戌年より御蔵入に罷り成り候
            庄屋 次郎兵衛
            組頭 平次郎

※ 城東郡 - 古くは「城飼郡」の表記もある。牧之原の地名に残るように、かつて、馬を育てる牧があったことから、古い地名は付いたと思われる。
※ 御蔵入 - 「御蔵」は幕府の蔵のことで、天領になったことを示す。
      内
  ニ斗五升六合      御蔵屋敷永引
  十四石八斗三升七合   前々永引
    小以十五石九升三合

※ 永引 -「控除」の意。
※ 小以 -「小計」の意。
  残ニ百十一石五斗三升四合
   この反別 ニ十町一反二十二歩
    この訳
   田方十六町六反ニ畝三歩内
     上々一町七畝六歩        十四代
        分米十五石八合
     四町三反二十八歩       十二代
        分米五十一石七斗一升三合
     五町三反六畝二十九歩    十一代
        分米五十九石六升六合
     四町一反三畝十八歩     十代
        分米四十一石三斗六升
     下々一町七反三畝十二歩    七代
        分米十二石一斗三升八合   
    この分米合せて百七十九石ニ斗八升五合
   畑方二町六反九畝二十六歩内
     上九反五畝六歩          十一代
        分米十石四斗七升ニ合
     中六反九畝一歩          十代
        分米六石九斗三合
     下四反六畝十三歩        七代
        分米三石二斗五升
     下々五反九畝六歩        五代
        分米二石九斗六升
    この分米合せて二十三石五斗八升五合
   屋敷七反八畝二十三歩
    この分米八石六斗六升四合

※ 分米 - 近世、検地によって定められた耕地の石高
※ 上々(田)・上・中・下・下々 - 石盛の際、田畑を5段階に分けた。
※ 十四代 - 石盛の単位当りの石評価高。1石4斗/反当り。
    二十六石     麦蒔田水掛り
    六十石        留池水掛り
    四十三石余     ぬま田満水いかり所
    五十石       天水所

※ 留池 - 「溜池」のこと。

当時は耕作地に必要な水がどのように取られているかが重要な点であった。「検地水帳」とわざわざ水の字を入れた理由が理解できる。
(続く)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )