平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
第8回古文書解読基礎講座「海難事故吟味書付」
昨日の古文書基礎講座、少し早い電車で出かけたので、会場まで歩いて行った。途中先の地震で崩れた駿府城外堀の石垣を写真に撮った。場所は県庁や市庁舎が並ぶ御幸町通りから丸見えのところで、大変に目立つ。復旧に7億円掛かると聞いたが、単に形を復旧するだけならそんなに掛かるはずは無い。きっと崩れた石材を元の位置に戻すように復旧するのであろう。
改めてお堀を巡ってみて、崩れた石垣を復旧しないで、水面近くに土留の石垣を低く積んで、土手のスロープをそのママにしているところがたくさんあった。石垣が崩れることは歴史の中では頻繁にあったのだろう。石垣が持つ、敵からの防御の意味を失って、崩れた石垣の復旧も最低限に留められた結果である。しかし今度崩れた場所は靜岡の顔のようなところで、金が掛かっても元通りに復旧しなければならない所である。
さて、第8回古文書解読の文書、二つ目は「海難事故吟味書付」と名付けてみた。浜方文書は初めてである。書き下し文を掲げる。
御吟味に付、申し上げ候書付
遠州榛原郡相良町、三郎左衛門船、沖船頭由蔵、三人乗り、この度空船にて当妻良(めら)村浦へ入津、滞船中、去月晦日、いなさ、大風雨、高波、時化(しけ)にて、元船浜へ打揚がり破損仕り、その段、村役人より御訴え申し上げ候に付、御越しに成られ、御見分、御吟味の上、私儀は右船宿喜平、他行留主(るす)中、親類に付、入り込み罷り在り候あいだ、この度宿代に相立ち、諸事世話仕り候儀に付、召し出され御吟味御座候。
この段、右三郎左衛門船。上方筋へ荷物買積みに罷り登り候儀、心掛け則ち風待ちの積にて、去月二十七日、当浦へ入津、滞船罷り在り候ところ、右船乗組のものども、申し上げ奉り候通り、晦日のいなさ時化烈しく、もっとも油断無く丈夫に繋ぎ堅め候えども、元来大時化ゆえ繋ぎ綱相保てず、悉く張り切れ、当村字小浦と申す荒磯浜より元船打ち揚がり破損仕る。乗組一同危いところ、村内のものども手段を以って漸く相助け三人とも上陸助命仕り候儀、御座候。右の通り申し上げ奉り候ところ、怪しき躰(てい)は見ざるや、馴れ合いにて仕らずや、の段、御吟味御座候。この段元船の儀にて、かつ道具捨ても一切これ無く怪しき筋はもちろん馴れ合い等、かって仕らず候。若し聊かにても不正筋これ有り御聞き及ばれ候はば、その筋何様の儀にも仰せ付けらるべく候。
右御吟味に付、相違申し上げず候。以上。
有馬図書知行
豆州賀茂郡妻良村
未 七月二日 船宿喜平宿代 弥吉
浦御役人
行岡伴六郎殿
前書の趣私ども罷り出で承知仕り候。以上。
前田又吉知行
同州同郡同村 嘉兵衛
※ 三郎左衛門船 - 船の名前。
※ 沖船頭 - 江戸時代、廻船(かいせん)に乗り込み、船長として実務についた責任者。船に乗らない廻船所有者・船主を「居(い)船頭」と呼ぶ。
※ いなさ - 南東の風。特に、台風期の強風をさしていう。辰巳(たつみ)の風。「いなさ」に対して、主に四国や瀬戸内海の沿岸では、南風、または南寄りの風を「まじ」と呼ぶ。
※ 元船 - 沖に停泊して、はしけで陸上と交通した大きな荷船。
※ 船宿 - 近世、船主・荷主と問屋の仲介や船荷の世話をしたり、船乗りが宿泊したりした家。
※ 宿代 - 船宿主が留守のため、その代わりをする人。
相良から伊豆半島の石廊崎に近い妻良港まで船を進め、東風に一気に乗って上方まで船を進めようと、妻良港で風待ちをしていたときに、この海難事故が起きている。海難事故に対して、地元浜方と馴れ合いのうえ、虚偽の申告をして積荷などを掠め取る事例があったのだろう。その点の吟味を怠らないように浦役人より指示を受けている。打ち揚げられた小浦は妻良港内の北側の海岸で、南風に流されて打ち揚がったことが解る。
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