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会話とブログの類似点

(庭のサフランモドキ)

テーマがないままに、夜半パソコンの前に座ることが最近多い。このところ出歩くことが少なく、取材が出来ないから、そういう結果となる。今夜もそんな破目になった。

かつては口数の少ない青年であった自分も、会社勤めで40年経ち、歳を重ね経験を積んで、今ではおしゃべりになったと、自他ともに認めるようになった。初対面で話題が全くない人と話すのも、そんなに苦ではない。ちょっとしたヒントからテーマを見つけ、いつの間にか自分の得意分野に話題を呼び込んでいる。そうなると、相手が聞き上手であると、30分、1時間と話し続けていることにふと気付くこともある。

ただし、得意な会話は個人的なもので、多勢の人が居る場で話題を取ったり、人の話に割り込んだりする厚顔さはない。会話をしていて疲れるのは、相手が自分の話を聞く気がない場合や、相手と話題の取り合いになったときである。そんなときは大概黙って人の話を聞くようにしている。どうしてもしゃべりたい場合は、会話に疲れが見えたり、種が尽きたときに、チャンス到来と一気にしゃべる。

今日のような日のブログは、そんな会話の経験と同じ舞台だと思う。そしてブログは、誰も聞いてないかもしれないが、誰かに遮られることもない、自分の独壇場である。

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来週、在所の兄夫婦が我が家に来ると連絡があり、女房が準備をしている。その幾つかが当方へ振られた。風呂の蛇口がしばらく前からしっかり閉まらず、水滴が落ちるようになっていた。直し方が解ったので、今朝近くのホームセンターで蛇口のパッキンを買ってきた。直すのは思ったより簡単で、水滴の落ちるのは止まった。

次に、兄夫婦に泊まってもらう2階の和室の窓障子を女房と張りかえた。この部屋を増築してから早いもので、もう12年経つ。2階の和室は使うことが少なかったので、障子の張替えは今回が初めてであった。

障子を外へ運び出し、ホースで水を掛けて、障子紙の部分を濡らし糊をうかせる。障子紙はゆっくりはがすと破れずにそのままの形ではがせる。女房は紙が残っても雑巾で拭き取るからよいというが、ここではがさないと雑巾で拭いても桟に残ってしまう。乾くと残った紙が目立って美しくない。女房はどうせ上から紙を張るから問題ないという。何だか中国人の職工との会話を聞くようで面白い。貼る段になって、案の定、糊をつける桟の所々に、障子紙が薄く残っている。すでに乾いていて、今さらはがせないから、その上から糊を塗った。

そういえば、ムサシが引っ掻いた襖の切り張りを頼まれていた。明日やってしまおう。
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