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ミョウガ(茗荷)原遺跡

(噴煙、東にたなびく桜島)

宮崎から鹿児島に戻る途中、車中より桜島が見えた。曇天の中、今日の風向きは西風で、噴煙はどうやら大隅半島の方へ流れているようであった。明日午後、再びFDAの飛行機に乗り帰る予定である。

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土曜日の「島田金谷の考古学と歴史」講座のつづきである。

島田市湯日ののミョウガ原で、富士山静岡空港の工事に伴い発掘したところ、古代の地方における地鎮祭祀の遺構が発掘された。平安時代から鎌倉時代のものと考えられている。

建物の建築に際して地の神様を鎮める地鎮鎮壇(現在の地鎮祭)が行われたことは「覚禅抄」(覚禅:1143~?の図像集)に書かれていて知られていたが、その遺跡が発見されたのは初めてだという。

発掘されたには、東西南北とその中央に十字に配されて穿たれた5基の土坑である。土坑の底面には円礫が敷かれている。円礫はそれぞれの穴で色を揃えてあった。東の土坑は青玉、西は白玉、南は赤玉、北も赤玉、中央は赤白青の混在であった。5つの土坑の内、3ヶ所からは灰色陶器の長頸瓶が土師器の蓋付で引っ繰り返した形で発掘された。

「覚禅抄」を少しだけ読んでみると、
 小野伝に云う。地鎮、壇を築かない以前にこれを行う。この地を請ける諸神地主などを乞う。‥‥‥‥
 口伝に云う。金銅賢瓶一口。五寸、五宝などを入れ蓋を覆す。五色糸を以ってこれを結ぶ。本様有り。
(金銅瓶の形が図示されている)しかる後に地にこれを埋める。埋めるとき大日真言。丼地天真言。本地四方へ五色玉、五穀粥を埋めるべし。‥‥‥‥
 小野説は加えて五色玉を埋め、広沢伝、五色石。云々。
(玉ではなく石でもよいようだ)‥‥‥‥
 天文修蔵に云う。東-青玉二十四個瑠璃、南-赤玉21個琥珀、西-白玉27個白石英、北-黒玉12個黒石英、中-黄玉20個黄石英‥‥‥‥


五色玉が五色石になっており、色も一部合っていないし、金銅瓶が陶器に変っている。しかし引っ繰り返してある点など、地方で「覚禅抄」に書かれた方法を、出来る方法でなぞったことは明らかである。

東西南北中央を五色の色で示す点など、青龍、朱雀、白虎、玄武、黄龍などで方角を示す陰陽道の考え方が色濃く影を落としている。この青朱白玄の色は人生を四季で表す、青春、朱夏、白秋、玄冬などの言葉でも良く知られている。

ミョウガ原遺跡は調査のあと、高床倉庫や住居跡とともに埋め戻されて、現在富士山静岡空港の敷地に埋まっている。
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