ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

参院選直前予測:自公絶対安定多数、改憲勢力3分の2に及ばず

2013-07-18 08:44:46 | 時事
 参議院選挙まで、あと3日である。「サンデー毎日」7月28日号は、「7.21参院選最終予測」と題した記事を載せた。選挙プランナーの三浦博史氏、政治ジャーナリストの野村忠興氏、政治ジャーナリストの角谷浩一氏の三氏の予測を中心とした記事である。
 三氏の予測をまとめると、自公両党でねじれは解消。自民は単独過半数が目前の68~70議席を獲得。少なくとも自公で全常任委員会の委員長と過半数を獲得できる絶対安定多数(135議席)に達する。
 自民は、三浦氏が69、野村氏が68、角谷氏が70で、平均69議席。公明は、三氏とも11議席。自公の平均の合計は80議席。自民の非改選は50、公明の非改選は9ゆえ、自公で139議席。安倍政権のもと、自公が絶対安定多数を確保し、ねじれ国会は、解消する。
 一方、民主は、三浦氏が20議席、野村氏が17議席、角谷氏が16議席と分かれる。平均18議席。現有の86議席から60議席へと激減する。
 改憲勢力については、維新の予測値が、三浦氏は6議席、野村氏は6議席、角谷氏は4議席。みんなは、、三浦氏が7議席、野村氏が8議席、角谷氏が8議席。維新とみんなの合計の平均は、13議席。自民・維新・みんなの改憲勢力の平均は、82議席。非改選と合わせると、自・維・みで改選82、非改選61の合計143議席。憲法改正の発議に必要な162議席には、19議席の不足となる。
 この改憲勢力の予測値162議席は、6月28日の日記で紹介した「週刊文春」7月4日号の予測値とピタリ一致する。文春の予測値は、改選分は自民67、維新7、みんな8だった。「サンデー毎日」の最終予測との違いは、自民が2増、維・みが合わせて2減。プラスマイナスゼロということになる。
 自民党が勢いを続伸しているのに対し、維新が大きく後退、みんなも失速しつつあることで、憲法改正の門までの距離が開いている状況は、変わらない。民主は文春の予測値が改選23だったのに対し、毎日の予測値は平均18と5議席も低い。民主は解党的な危機に近づいている。私としては、民主党内の改憲派が、党を取るか憲法改正を目指すかで、決断すべき時だと思う。
 産経新聞は7月16日号に、参院選の予測を載せたが、「サンデー毎日」の予想とほとんど変わらない。産経の記事は、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が合同で実施した電話による世論調査(12~14日)をもとにしたもの。自民は69議席を確保し、70議席に迫る勢いだが、「自民党が単独過半数に必要な72議席に達するかは微妙だ」とする。公明党は10~11議席。自公で79~80議席。圧勝の予想である。一方、民主党は20議席を割る公算が大きくなっているとし、「結党以来最低の議席数に落ち込むことが確実だ」とする。「サンデー毎日」の三浦氏、野村氏、角谷氏の三氏の予想と、産経の予想は、ほぼ同じということができる。
 あと3日、日本列島にどういう風が吹くか。繰り返しになるが、日本の運命を決めるのは、日本国民自身である。参院選では、日本のあり方を真剣に考え、貴重な一票を投じよう。
 以下は、産経の記事。

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●産経新聞 平成25年7月16日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130716/elc13071607230024-n1.htm
【参院選】
与党圧勝へ 自民70うかがう、民主20割れも
2013.7.16 07:21

 産経新聞社は15日、FNN(フジニュースネットワーク)と合同で実施した電話による世論調査(12~14日)に全国総支局の取材を加味して、21日投開票の参院選の終盤情勢を探った。自民党は70議席に迫る勢いを見せており、公明党とともに圧勝する情勢だ。一方、民主党は20議席を割る公算が大きくなっている。ただ、投票態度を決めていない有権者が一定数おり、流動的な要素もある。
 自民党は序盤戦より勢いが若干衰えているものの、野党との差は大きく、改選議席34の倍増以上となる69議席を確保しそうな情勢だ。31の改選1人区では、岩手県や沖縄県を除き他党を圧倒している。候補者を原則1人に絞った複数区は全勝する公算が大きく、2人を擁立した東京都、千葉県でも全員当選の可能性がある。比例代表は、小泉純一郎政権下で大勝した平成13年の20議席を上回る勢いを見せている。
 衆参両院で多数派が異なる「ねじれ国会」の解消は確定的な上に、自公両党ですべての常任委員長ポストを独占できる「安定多数」に必要な70議席を獲得することも確実だ。ただ、自民党が単独過半数に必要な72議席に達するかは微妙だ。
 公明党は選挙区4議席をほぼ固め、比例代表で6~7議席を得る見通しだ。
 一方、民主党は軒並み苦戦しており、13年の26議席を下回って結党以来最低の議席数に落ち込むことが確実だ。1人区で善戦しているのは三重県のみで、複数区も取りこぼしが多そうだ。
 みんなの党は神奈川県で議席を固めたほか、茨城、埼玉、愛知の3県などで競り合っており、比例代表と合わせて改選3議席の倍は確保できそうだ。日本維新の会は、昨年衆院選時の勢いはないが、大阪府や兵庫県で議席を得られそうで、比例を含め7議席に達する見込みだ。
 過去3回の参院選で選挙区議席を得ていない共産党は、選挙戦に入ってから勢いを増しており、東京都や大阪府、京都府などで議席を確保する可能性が高い。改選3議席の3倍にあたる9議席を得る勢いだ。
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エジプトの「春」に大砂嵐か?2

2013-07-16 08:52:15 | 国際関係
●軍とムスリム同胞団の対立

 エジプトでは、昭和27年(1952)、ナセル中佐(当時)らがクーデタで王制を打倒し、共和制に移行し、ナセルは首相を経て大統領に就任した。以後、軍は絶大な権限を持ち、ムバラクまで歴代大統領を輩出。政権と一体の関係を保ってきた。国民からも、国内秩序を維持する役割を果たしてきたとして一定の信頼を集めている。
 ムバラク前政権は、軍や財界と結びついて権力を集中することで政治安定を図った。だが、平成23年(2011)2月、民衆の反政府運動で、あっと言う間に政権が崩壊。その後、軍による暫定統治が行われたが、反軍部のデモが相次いだ。ようやく昨年(24年)6月、選挙によってモルシー政権が誕生した。野党が育たぬ中、宗教的なつながりでメンバーらを大量動員できる穏健派のムスリム同胞団等のイスラム勢力が選挙で優勢となった。「アラブの春」は「イスラムの春」といわれるが、エジプトも似た事情にある。
 モルシー氏は、イスラエルと対立するイスラム原理主義組織ハマスとの関係を強化し、また、内戦が続くシリア問題への関与を深める姿勢を示した。こうした政策は、安全保障環境の変化を嫌う軍を逆なでしてきたと伝えられる。軍が今回のデモで反政府側を後押しする動きをみせたのは、同胞団をはじめとするイスラム勢力に大打撃を与える好機だと判断したためだとみられている。
 軍はもともとイスラム国家を志向するムスリム同胞団を強く警戒し、モルシー政権成立後は、その支持団体である同胞団とは緊張関係にあった。今回のクーデタで、軍は国政を直接担う意思はないというが、もし軍が主導権を握る事態となれば、民主化を求めるグループを中心に反政府勢力の反発は強まるだろう。
 一方のムスリム同胞団は、約80年前から活動しており、100万人の団員を抱えて全土に根を張る軍と双璧の組織といわれる。昭和29年(1954)、それまで協力関係にあったナセル(当時、首相)と対立し、団員が起こしたとされるナセル暗殺未遂事件を機に非合法化された。当局の徹底弾圧を受け、幹部は軒並み投獄された。再建が進んだのは、1970年に入って、体制内の権力闘争を有利に進めようとイスラム勢力に接近したサダト元大統領が、幹部らの釈放を進めてからである。
 ムバラク政権崩壊により、モルシー氏が大統領になると、氏の出身母体である同胞団は、「アラブの春」の恩恵を受け、政権を握った。モルシー氏は、強権手法でイスラム化を志向し世論は分裂した。政治の混乱は経済悪化に拍車をかけた。同胞団も失政・悪政で多くの国民の支持を失った。
 ムスリム同胞団は、軍に対し、徹底抵抗の姿勢である。軍と同胞団メンバーらとの争いが全面衝突となれば、収拾不能の状況になりかねない。マンスール暫定政権は、ムスリム同胞団傘下の「自由公正党」にも入閣を打診する方針を明らかにした。「挙国一致」の内閣を目指すことで権力の正統性を確保したい考えのようだが、同胞団が歩み寄る可能性は低いとみられている。今後、選挙が行われても、同胞団がその結果を認めず、正当性を争えば、対立は深刻化、長期化するだろう。
 今回のクーデタは、同胞団のイスラム原理主義に対する世俗主義派の反発という構図にまとめることはできない。エジプト国民の大多数は世俗主義を嫌っている。また、ムスリム同胞団より保守的で伝統主義的なヌール党もクーデタを支持すると表明していると伝えらえる。
 民主化の推進力となるべきリベラル派は、昨年の選挙の際には、群小政党に分裂して選挙に敗れた。モルシー政権は統治体制にはほとんど変化のない憲法草案を強引に採択したが、リベラル派は立憲過程をひたすらボイコットした。議会制デモクラシーがまだよく発達していない。リベラル派・世俗主義派だけでは、政権は倒せない。同胞団に反発する勢力が合流し、事態の収拾が困難になったところで、軍がこれを機に動き、権力を取り戻したという展開のようである。反政府運動には、旧ムバラク政権の支持層も加わった。軍が主導権を取り戻すとともに、旧ムバラク政権支持層も勢力を取り戻すだろう。

●「アラブの春」の曲がり角

 アラブ研究者の池内恵・東京大学準教授は、次のように書いている。
 「エジプトは民主化のボタンを大きく掛け違えた。エジプトは11年に急進的革命思想をアラブ諸国に発信し、体制動揺の連鎖を引き起こしたが、13年、今度は反革命の手法のモデルを示した。『アラブの春』の曲がり角である」
 「アラブの盟主」エジプトの動向は、北アフリカ・中東の周辺国に影響を及ぼすだろう。チュニジアでは、同胞団系の政党が政権を握っている。最近、急進的イスラム勢力と世俗派の対立が激化している。ヨルダンでは同胞団による反王制デモが頻発している。内戦が続くシリアでは、イスラム過激派の流入が続いている。エジプトで軍が実力行使により、民主化を押しとどめたことで、これらの国々でも同様の動きが出る可能性がある。『アラブの春』は曲がり角に来ている。これが大砂嵐にならずに、主体的な民主化がアラブの地で進むことを期待したい。
 以下は池内氏の記事。

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●産経新聞 平成25年7月8日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130708/mds13070803340000-n1.htm
【正論】
東京大学准教授・池内恵 「アラブの春」遠ざかるエジプト
2013.7.8 03:26

 大規模デモを背景にしてエジプト軍がムルスィー大統領とムスリム同胞団を政権の座から追い落とした。6月30日の大規模デモから7月3日のシーシー国防相による大統領解任・憲法停止に至る過程で、マルクスの有名な言葉を思い出した。「すべての世界史的事実と世界史的人物は二度現れる、ただし一度目は悲劇として、もう一度は笑劇として」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)。革命状況で現れる直接民主主義は、代議制・代表制の間接民主主義と矛盾する。革命を叫んだ民衆は、やがて歓呼して「中立」を装った軍人を権力の座に迎える。

≪ムバーラク退陣と内実は変質≫
 今回の大規模デモは、2011年2月11日にムバーラク大統領を退陣させたものと同様に見えるかもしれない。しかし内実は大きく変質していた。
 2年半前のデモには、警察の拷問への批判、政権高官とそれに結びついた企業家の汚職の批判、長期独裁政権が奪った尊厳の回復、といった明確な大義名分があり、過酷な弾圧に直面しながら文字通り命を懸けて立ち向かう、人間の崇高さが表れていた。だからこそ世界中が18日間のデモに目を奪われ、混乱を恐れながらも、賛辞を惜しまなかったのである。
 今回のデモに至る過程で、何ら解決されず裁かれてもいない旧体制の犯罪への糾弾という、リベラル派や世俗主義派が元来掲げてきた要求は消滅した。ただ一点、「ムスリム同胞団の政権打倒」だけがスローガンとなった。これならムバーラク政権の姿勢と変わりがない。それどころか、今度は「民衆の意思」の名の下に堂々と弾圧できるのである。発端となるデモの企画はリベラル派・世俗主義派が行ったのだろうが、当日になって膨れ上がったデモの空前の規模は、大統領選挙でムルスィー氏に敗れたシャフィーク元首相を推した旧体制派による「デモ乗っ取り」を匂わせる。

≪「軍が味方になってくれる」≫
 シャフィーク氏はデモを大歓迎する声明を出し、ムバーラク氏が「今度のデモは自分が辞めさせられたときのものより大きい」とほくそ笑む発言まで報じられた。6月30日のデモに向けて、「体制打倒」を掲げた集団が2カ月にわたり公然と署名活動を行ったのに対して、警察当局は何ら措置を取らなかった。国防相はデモの直前になって、民衆の意思を支持するという発言を行った。「警察は手出しをしない、大騒動を起こせば軍が味方になって政権を倒してくれる」と印象づけたのである。これによってデモ参加への心理的な抵抗感は薄れ、いわば「勝ち馬に乗る」形でデモ参加者が膨れ上がったとみられる。
 デモのどさくさに紛れて多くの暴行事件が報告されている。ムスリム同胞団によるデモは襲撃されて死者が出た。同胞団の本部は焼き打ちにあった。明らかに同胞団側に死者が出ているにもかかわらず、警察当局は同胞団が衝突を煽(あお)ったとして大量摘発を行った。メディアも同胞団の武装化の恐怖を煽った。実際には、同胞団を襲っている勢力の中に銃を使用するものがいたとみられるにもかかわらず(それは秘密警察の直接・間接の関与を疑わせるものである)、デモ隊もエジプトのメディアも、それを問題にしなかった。
 確かに、同胞団の政権運営には独善的なところがあった。議会選挙と大統領選挙での勝利を背景に、「多数派による絶対支配」を推し進めていたとみられても仕方がない側面があった。新憲法制定の際には、統治体制にはほとんど変化のない草案を強引に採択した。つまりムバーラク氏と同様の専制政治を、今度は同胞団が行いうる。しかしそれも、群小政党に分裂して選挙に敗れたリベラル派が、立憲過程をひたすらボイコットしたからである。同胞団以上に野党側に柔軟性がなかった。

≪民主化のボタン掛け違えた≫
 なお、今回の政変を「イスラーム主義のムスリム同胞団に対する世俗主義派の反発」とする論評は全体像をとらえていない。エジプト国民の大多数は世俗主義を嫌っており、その点で同胞団は民意から離れていない。リベラル派・世俗主義派だけでは政権打倒はおろか、大規模なデモも起こせない。同胞団が政治権力を握ることを嫌う全勢力が合流し、軍がこれを絶好の機会と見て権力を取り戻したというのが真相に近い。
 選挙に負ければ立憲・政治プロセスをボイコットし、制度の外の街頭直接行動で混乱を引き起こし、軍の強権発動を呼び込んでいたのでは、民主主義のルールはいつまでも確立しない。次にムスリム同胞団が、同様の手段を用いて政権を揺さぶったとしても、誰もこれを批判できないだろう。そして、軍と警察の不興を買う政策は今後、誰も採れない。
 エジプトは民主化のボタンを大きく掛け違えた。エジプトは11年に急進的革命思想をアラブ諸国に発信し、体制動揺の連鎖を引き起こしたが、13年、今度は反革命の手法のモデルを示した。「アラブの春」の曲がり角である。(いけうち さとし)

●新潮Foresight

http://www.fsight.jp/18054
エジプト7月3日のクーデタ──乗っ取られた革命
執筆者:池内恵
2013年7月4日

 エジプト軍部が「民衆の名の下に」クーデタを行った。7月3日夜9時(日本時間4日朝4時)から、スィースィー国防相が、国営テレビで放映された映像の中で声明を読み上げた。憲法を停止。ムルスィー大統領は解任。アドリー・マンスール最高憲法裁判所長官が実権の定かでない暫定大統領に就任する。大統領選挙を早期に行い、選挙法改正を急ぎ新しい議会選挙の早期実施を目指す。当面はテクノクラートを中心の小規模の内閣を任命して行政を行う。幅広い諸勢力を含む委員会を設置する【概要の英訳】。

 しかも軍部は宗教権威をも連座させた。スィースィーのテレビ演説には、イスラーム教学の頂点に立つアズハル総長と、コプト教大司教も従えていた。彼らに順番に登壇させ、軍の動きを承認する発言をさせる念の入れようだった。さらに道化のように、ノーベル平和賞受賞者のバラダイ前IAEA事務総長までもが後に続いた。強権発動を正当化する演説を強いられた彼らの威信は傷ついた。クーデタへの加担は、宗教者の超越性とも、民主化活動家の信頼性とも相容れない。

「人民」の名の下に民主主義を放棄
 6月30日のデモの規模が空前のものだったとはいえ、自由で公正な選挙によって選ばれ、特に大きな人権侵害を行ったわけでもないムルスィー大統領を、たった一年で、軍の武力を背景に排除したことは、エジプトの民主主義の発展に大きな傷を残した。巨視的に歴史上のさまざまな革命を振り返れば、さほど珍しくもない光景ではあるが、目の前で生じるのを見る機会はそれほど多くない。
 スィースィーの声明が流されると、タハリール広場の民衆は熱狂した。しかし彼らがここで失ったものに気づくまでに、それほど時間はかからないだろう。カイロ大学や大統領宮殿近くのモスクに集まったムルスィー大統領支持派は雪辱を深く心に期しただろう。エジプト社会の分裂は深まった。エジプトは民主化のボタンを大きく掛け違えた。

何が起こったのか
 6月30日から7月3日にかけて本当に何が起こったのか。長い時間をかけた後でなければ確定されないだろう。デモの発端が、「反乱(tamarrod-rebel)」を銘打ったリベラル派や世俗派のムスリム同胞団に対する巻き返しの動きだったと見られる(もちろんこのことすら検証してみないと分からないが)。
 しかしデモが当日に空前の規模に膨れ上がったことに関しては、おそらくは、旧体制派が多く「革命派」を名乗って加わったとしか考えられない。アハマド・シャフィーク元首相に大統領選挙で投票した層が、革命派のシンボルを身にまとい、掛け声を合わせて合流し、デモの意味を変えた。
 また、統治権力に公然と「反乱」を唱える署名活動を、警察がなんら妨害せず、軍もきわめて好意的に対処したことは、デモ勢力と警察・軍に暗黙の了解があるという印象を、広範囲の国民に与えただろう。警察や軍の後押しがあると信じさせることで、バンドワゴン的にデモを拡大させ、拡大したデモを背後にして軍がムルスィー大統領とムスリム同胞団に退陣を迫るというシナリオを、最初から警察や軍が考えていたとすれば、リベラル派よりもムスリム同胞団よりも、はるかに上手でずる賢かったことになる。しかしそのような計画が当初からあったというよりは、いくつもの偶然の重なりから生まれた機会に諸勢力が相乗りし、一気に状況が流動化したと、ひとまず考えておこう。
 今回のクーデタは世俗主義対イスラーム主義ではない。なにしろ、ムスリム同胞団より保守的で伝統主義的なヌール党までがクーデタを支持すると表明している。デモの熱狂への恍惚と恐怖と、軍・警察の強制力による威嚇と安心感が交錯する中で、ムスリム同胞団とムルスィーという権力者を、古代ギリシアでいう「陶片追放」にかけたと見ていい。

恒常的な不安定化
 誰が得をしたかというと、それは明白で、主導権を取り戻した軍、復権を果たした警察、旧ムバーラク政権の支持層である。しかしそれによって安定がもたらされるというよりは、かなり長い将来に渡ってエジプトで権力が恒常的に不安定さを伴うことを決定づけたと言えるだろう。「人民」の直接行動による政権打倒の正統性が、民主主義的手続きよりも代議制政治よりも優越するという原則をここで定めてしまったからである。ムスリム同胞団始め諸勢力は今後陰謀と街頭行動を全面的に行うだろう。それに対して弾圧を行えばムバーラク政権時代の抑圧体制に逆戻りである。自由の味を知ってしまっている膨大な民衆がそれで黙るとも思えない。
 リベラル派は6月30日のデモの「成功」の果実を3日で奪われたどころか、軍事クーデタに連座させられ、ムバーラク大統領に最高憲法裁判事に任命されたマンスールを暫定大統領に頂く羽目になった。次にまた不満がたまって政変が起れば、バラダイをはじめとしたリベラル派こそが追及のやり玉に挙げられるだろう。催眠術にかけられて「毒饅頭」を食わされたような具合だ。
 これも「革命」がその過程で小休止する一つの停留所とでも言えばいいのだろう。終着点は誰にも見えてきていない。(池内恵)
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関連掲示
・拙稿「揺れる北アフリカと中東諸国1~3」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/e222a137c8c3f32bb99a0ae0c088cb41
・拙稿「北アフリカ・中東は激動の1年」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/610c950ae153ca2fd5e165c48108526a

エジプトの「春」に大砂嵐か?1

2013-07-15 13:26:01 | 国際関係
●民主化政権の失政で、軍がクーデタ

 平成23年(2011)、エジプトにも「アラブの春」が訪れた。だが、今、ピラミッドやスフィンクスの国で政変が起こり、大砂嵐が起こっているようである。8千万人超の人口を抱え、「アラブの盟主」と呼ばれるこの地域大国の激動は、周辺諸国に少なからぬ影響を与えるだろう。
 一昨年(23年)の1月、チュニジアで23年間独裁体制を続けたベンアリ大統領が辞任に追い込まれ、国外に逃亡した。アラブ諸国で初めて大統領を追放した大衆蜂起となった。この民衆運動の成功はエジプトに飛び火し、2月11日、わずか18日間で30年間近く続いたムバラク大統領が辞任した。同月リビアではカダフィ大統領の退陣を求める反政府デモが発生。カダフィは武力によって民衆の運動を弾圧しようとしたが、軍の一部が反乱を起こし、反政府勢力が首都を制圧。10月20日カザフィーは射殺された。以後、多くのアラブ諸国国で民主化が進められてきたが、選挙ではイスラム勢力が圧倒的な優勢を示し、民主化とイスラム再興が同時に進むというイスラム文明に特徴的な展開を見せてきた。
 エジプトでは、24年(2012)6月、同国始めての公正な選挙で、モルシー氏が民間出身初の大統領に選ばれた。出身母体はイスラム原理主義組織ムスリム同胞団だった。民主化はうまく進まず、この約1年、物価高騰、失業者増大、エネルギー逼迫、財政悪化などで経済は行き詰まり、治安も悪化した。氏は自らに絶対的権限を付与するとともにイスラム色の濃い憲法を発布し、同胞団支持者以外の民心を離反させた。同胞団が権力に加えて利権を握りかねないことへの危機感も強まった。
 民衆のモルシー政権への不満は高じ、本年(25年)6月28日、世俗的な若者グループなどの呼びかけでデモが始まった。公然と「反乱」を呼びかける署名活動に対し、警察は取り締まらず、軍も好意的に対処した。デモ勢力と警察・軍に暗黙の了解があったものと見られる。30日には過去最大の数百万人ともいわれる規模のデモが行われ、モルシー大統領に退陣を求めた。一方、政権支持派も連日、大規模な対抗デモを実施。デモ隊同士の衝突が相次いだ。
 こうした中、事態沈静化を名分に軍が介入。軍のトップ、シーシー国防相は7月1日、モルシー氏に対し、デモ隊の要求に応える形で事態を収拾するよう要求。モルシー氏が辞任を拒否すると、同氏の強制排除に出た。
 3日夜、軍がモルシー大統領を拘束して権限を奪い、モルシー氏に代わりアドリー・マンスール最高憲法裁判所長官が暫定大統領に就くと宣言。モルシー政権は軍部による事実上のクーデタで崩壊した。憲法は停止された。暫定政権は大統領選挙を早期に行い、選挙法改正を急ぎ新しい議会選挙の早期実施を目指す。当面はテクノクラートを中心の小規模の内閣を任命して行政を行う。
 今回の政変は、ムバラク独裁政権を倒した革命に次ぐ「第2の革命」か、民主化に対する「反革命」か。評価は分かれている。モルシー氏は、同国初の民主選挙で選ばれたものの、失政や悪政で過半の支持を失っていた。だが、民主的手続きによらず民衆のデモと軍の介入という手段で退けられた。これに対し、モルシー氏の出身母体であるイスラム原理主義組織ムスリム同胞団は強く反発しており、反モルシー勢力や当局との武力衝突に発展した。エジプト社会の分裂は深まった。軍対イスラム原理主義組織の争いゆえ、激しい内戦になる可能性もある。

 次回に続く。

人権53~権威を作り出すもの

2013-07-13 07:22:18 | 人権
●権力を強固にする権威を作り出すもの

 権力が多くの場合、物理的な強制力をもって相手を服従させるのに対し、権威は精神的な作用で相手を信服させる。権威は、他者を内面的に信服させる作用を持つ社会的な影響力や制度、人格である。意思の正しさ、正当性を相手に納得させる時に、権威が生じる。権力を持つ者が権威をも持ち、権威ある者に権力が集まる。権威を感じさせる権力、権力に裏付けられた権威は、それだけ強固なものとなる、と先に書いた。
 権力と権威の関係を検討する際、ウェーバーの支配の三類型とともに、示唆深いものに、政治学者チャールズ・メリアムのミランダとクレデンダがある。
 メリアムは、『政治権力』において、「権力は、なによりもまず、集団の統合現象であり、集団形成の必要性や有用性から生まれるものである。つまり、権力は人間の社会的諸関係の一つの函数なのである」ととらえた。そして、権力を飾り立て、権力への讃嘆と忠誠を獲得・保持するために用いられる政治的手段を分析した。
 メリアムは、権力には二つの基盤があるとし、これをミランダとクレデンダに分類した。私の観点から言えば、これらは権力の基盤そのものではなく、権力を強固なものにする権威を、その受容者の心に作り出す手段を分類したものだろう。
 ミランダは、権力を神聖かつ壮大なものとして飾り、人々を情緒的・感情的な状態が優先する状況におき、権力に服従させるためのもの。象徴作用によって、非合理的な崇拝の感情を生み出す。事例としては、国家に係る記念日、記念碑、旗、物語と歴史、儀式、大衆的示威行為等が挙げられる。ミランダは、権威の重々しさを隠し、美しく装飾する。ミランダは、シェイクスピアの最後の戯曲「テンペスト」の主人公プロスペローの娘の名だろうか。
 クレデンダは、権力を正当化して、人々を権力に合理的に服従させるためのもの。知性に働きかけて、信条体系を作り出す。政治権力に係る信条体系の主な形態は、政治権力は唯一神または神々が定立したとするもの、卓越したリーダーシップの最高の表現とするもの、多数の人々の意思とするものである。これらの形態はそれぞれ権威を飾るミランダと関連する。クレデンダは、統治に対する尊敬、服従、自己犠牲、合法性の独占を基本原理とする。事例としては、法典、憲法、王権神授説、マルクス・レーニン主義等が挙げられる。
 非合理的な感情に働きかけるミランダと合理的な知性に働きかけるクレデンダは、別々のものではなく、互いに補い合うものである。相互作用を通じて、権威を人々の心に作り出し、権力への讃嘆と忠誠を引き出し、権力に信服させる。共産主義国家が極度の合理主義を示す弁証法的唯物論の教義体系を国民に教育しながら、革命の物語を創作し、指導者を神格化していたことが思い起こされよう。
 ウェーバーの支配論は権威論ともなっていると先に書いた。支配の三類型とミランダ、クレデンダの関係について私見を述べると、伝統的権威、カリスマ的権威は主としてミランダが装飾・強化するものであり、合法的権威は主としてクレデンダが装飾・強化するものである。ただし、権威を受容する側においては、非合理的な感情と合理的な信念は一つの心理作用の両面である。理性と感情、意識と無意識を明確に分けることはできない。権力を持つ者が権威をも持ち、権威ある者に権力が集まる。権威を感じさせる権力、権力に裏付けられた権威がそれだけ強固なものとなる。こうした現象は、人間の心の本性に根差す現象である。

 次回に続く。

沖縄:独立運動は中共の思うツボ~西原正氏

2013-07-12 08:47:39 | 時事
 私は、6月2~3日「中国の沖縄略奪工作と琉球独立運動」と題する日記を書いた。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20130602
 私は、そこで5月8日付けの人民日報の沖縄帰属未決論の掲載、18日付け環球時報の沖縄独立運動支持の社説について書き、「本年5月15日、沖縄は本土復帰41年を迎えた。人民日報や環球時報がこの日の前に記事を掲載したのは、計画的な行動だろう。また5月15日、沖縄で「琉球民族独立総合研究学会」が設立されたこととも関係がありそうである」「日本国民は、沖縄県民同胞がチベットや新疆ウイグルの人民と同じ悲劇を遭うことのないよう、尖閣を守り、沖縄を守り、日本を守らねばならない」と書いた。
 平和安全保障研究所理事長・西原正氏も、「時機を合わせたように沖縄で浮上している奇妙な沖縄独立論には、中国の反応などを慎重に注視して、沖縄の安全を確保する態勢を構築すべきである」と主張している。この発言は、6月13日産経新聞に掲載された氏の「沖縄独立運動は中国の思う壺だ」という記事においてである。
 西原氏によると、中国では国内の反日デモで、「琉球諸島を奪還せよ」というプラカードがしばしば見られる。広東省深センには、「中華民族琉球特別自治区準備委員会」という組織があって、会長はテレビやネットで「同自治区を設置せよ」と主張し、一定の支持を得始めている。沖縄の琉球新報は5月17日付の社説で、8日付の人民日報の論文を強く支持する論陣を張り、「政府による過去の基地政策の理不尽、振興策の数々の失敗に照らせば、沖縄の将来像を決めるのは沖縄の人であるべきだ」と書いた。
 こうした状況において、西原氏は、強靱な沖縄社会を作るために、次の3点を提案している。
 第一に、沖縄県庁には本来なら、安全保障や軍事問題の専門家を置いて尖閣諸島や沖縄諸島の安全に関する研究をし、中央政府と協議すること。
 第二に、中国は基地反対派や沖縄独立派への政治的、資金的支援などを行ったり、学生や大学教員の中国への招聘などにより、親中派を育てようとしたり、観光客などに交じって情報工作員も入ってくるだろうから、そうした中国人たちの動静を監視する態勢を強化すること。
 第三に、在沖米軍基地に出入りする米兵への嫌がらせも、反基地グループによって行われているようであり、沖縄県警の増員と訓練を行うこと。
 これら3点を実行することによって、強靱な沖縄社会を作ることを西原氏は提案している。
 傾聴すべき意見である。
 以下は、西原氏の記事。

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●産経新聞 平成25年6月13日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130613/plc13061303110004-n1.htm
【正論】
平和安全保障研究所理事長・西原正 沖縄独立運動は中国の思う壺だ
2013.6.13 03:10

 5月8日付中国共産党機関紙、人民日報は、琉球諸島の帰属は「歴史的な懸案で未解決である」とする論文を掲載した。政府直属の研究機関、中国社会科学院の2人の研究員によるものだ。日本はこうした不見識な、悪意ある主張に真面目に取り合う必要はない。しかし、時機を合わせたように沖縄で浮上している奇妙な沖縄独立論には、中国の反応などを慎重に注視して、沖縄の安全を確保する態勢を構築すべきである。

《人民日報論文に尖閣の狙い》
 中国政府は人民日報論文には、「研究者個人の見解で、政府の立場ではない」と見え透いた「無関係」発言をしているが、学者らの政治的発言に常に敏感な中国共産党・政府が政治的計算をして認可したと考えるべきである。
 中国は日本側の反応をみて、沖縄県の一部である尖閣諸島の領有権主張に揺さぶりをかける狙いだろう。日中間の東シナ海の海底油田開発区域問題で、日本側の主張に疑義を呈する意図もあろう。習近平政権が唱える「海洋強国」樹立戦略の一環といえよう。
 中国では近年、「沖縄は明清の時代に中国の属国であったのを日本が奪い去った」との主張が次第に強まっているようである。国内の反日デモでも、「琉球諸島を奪還せよ」というプラカードがしばしば見られる。広東省深センには、「中華民族琉球特別自治区準備委員会」という組織まであって、会長はテレビやネットで「同自治区を設置せよ」と主張し、一定の支持を得始めているという。
 論文掲載から1週間後、沖縄の本土復帰の日5月15日を記念し、沖縄県では「琉球民族独立総合研究学会」なるもの(純粋な意味の学会ではなく、沖縄の独立を達成しようとする運動体)が設立された。翌16日付の人民日報系の環球時報は「中国の民衆は琉球独立運動を支持すべきだ」との社説を掲げている。中国官営メディアの素早い反応は先の「無関係」発言が虚言であったことの証しである。

《県民の独立志向は極めて低い》
 遺憾なことに、沖縄の指導者や主要メディアは中国を利する言動をしているのである。まず前述の独立学会が設立されたことを受けて、先の環球時報ばかりか、沖縄の琉球新報までが17日付の社説で強く支持する論陣を張った。「政府による過去の基地政策の理不尽、振興策の数々の失敗に照らせば、沖縄の将来像を決めるのは沖縄の人であるべきだ」と。
 第2に、沖縄選出の照屋寛徳衆院議員(社民党)が自己のブログ(4月1日付)で、「今なおウチナーンチュ(沖縄の人)は日本国民として扱われていない現実の中で、沖縄は一層日本国から独立した方が良い」と、国会議員にあるまじき無責任なことを書いた。
 第3に、沖縄県の仲井真弘多知事も中国との経済関係を推進する過程で政治問題を避け、中国を利する結果となっている。尖閣諸島を中国の一部とした中国の領海法(1992年制定)に対抗して、尖閣を行政区に持つ石垣市が2011年1月に、尖閣日本領有宣言を行う式典を催したが、仲井真知事は欠席している。しかし、直後に開かれた沖縄新華僑華人総会の設立祝賀会には出席して、祝辞を述べたという(恵隆之介『沖縄が中国になる日』13年刊)。
 沖縄県民の独立志向は極めて低い。06年の知事選では、琉球独立党(現かりゆしクラブ)党首、屋良朝助氏は6220票(得票率0・93%)しか取れずに落選している。11年11月に琉球新報が、「どのような沖縄を望むか」と問う県民の意識を調査したところ、「現行通りの日本の一地域として」が61・8%、「特別区として」が15・3%、「独立」がわずか4・7%だったとのことである。

《無責任に煽る現地「左翼」》
 沖縄の「左翼」は、県民が望まない独立を無責任に煽(あお)っているのだ。彼らは米軍基地が閉鎖され県外に移設すれば、米中武力衝突の可能性がなくなり、平和な沖縄になると主張する。だが、それこそ中国の思う壺(つぼ)である。そうなれば中国は軍事的圧力を強め、やがては沖縄を支配下に置こうとしてくるであろう。環球時報はすでに、「沖縄を日本から解放すべきだ」と言っているのである。
 沖縄の多くの人は、自県の一部である尖閣諸島をめぐる日中対立に無関心を装っている。沖縄県庁には本来なら、安全保障や軍事問題の専門家を置いて尖閣諸島や沖縄諸島の安全に関する研究をし、中央政府と協議するのが県民の安全への責任であるはずだ。
 中国は基地反対派や沖縄独立派への政治的、資金的支援などを行うであろうし、学生や大学教員の中国への招聘(しょうへい)などにより、親中派を育てようとするであろう。さらに、観光客などに交じって情報工作員も入ってくるであろう。そうした中国人たちの動静を監視する態勢を強化すべきである。
 また、在沖米軍基地に出入りする米兵への嫌がらせも、反基地グループによって行われているようだ。沖縄県警の増員と訓練も必要である。そうすることで強靱(きょうじん)な沖縄社会を作るべきである。(にしはら まさし)
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沖縄:琉球めぐる心理戦は孫子の兵法~村井友秀氏

2013-07-10 08:54:59 | 時事
 防衛大学校教授・村井友秀氏は、6月18日の産経新聞に「琉球めぐる心理戦は孫子の兵法」という記事を書いた。
 村井氏は、「現在の中国はもはや、貧農とプロレタリアートによる世界革命を目指す共産主義国家ではない。19世紀以前に世界的超大国であった中華帝国の再現を目指す過激な民族主義国家である」という認識を持つ。「中華帝国の再現を目指す過激な民族主義国家」という点については、私もこれに近い認識をしている。拙稿「共産中国の国家目標」等に書いてきたところである。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12.htm
 習近平国家主席は、総書記に就任した昨年11月15日、「中華民族の復興」を掲げた。国家主席就任後の本年2月25日にも、「中華民族の偉大な復興を実現することは中華民族の最も偉大な夢である」と述べた。この思想のもとは、毛沢東にある。習氏は毛沢東を崇拝している。毛沢東は、漢民族の矜持と強烈な反米感情に彩られた現代の中華思想を懐き、19世紀清王朝末期に失った地域覇権を取り戻そうと考えた。共産主義は本来、インターナショナリズムの思想だったが、スターリンによってナショナリズムに逆転し、さらに毛沢東によって中華思想と結びついたのである。ナショナリズムと結合した共産主義は、ファシズムに類似したものに変容する。ファッショ的共産主義である。既に中国は、マルクス・レーニンの名を掲げてはいても、実態はウルトラ・ナショナリズムを基盤とするナチス・ドイツに似た国家に変質している。また中国は、東アジアにおける地域大国であるだけでなく、世界覇権国家アメリカに挑戦しようとしている。これは、西洋文明とシナ文明の中核国家同士の争いである。サミュエル・ハンチントンが予想した「キリスト教文明」対「イスラム・儒教文明連合」の対立が現実になるとすれば、世界覇権をかけた米中対決となるだろう。
 さて、村井氏は、「中華帝国の再現を目指す過激な民族主義国家」において、「民族主義的な中国指導者が対外戦略を考えるとき、思い浮かべる教科書はマルクスではなく中国の戦略家であろう」として、孫子の兵法を挙げている。この点は、東アジア安全保障、中国軍事史の専門家ならではの見方である。
 『孫氏』の謀攻篇には、「兵力が敵の十倍あれば敵を囲むだけで敵は屈服する。兵力が敵の五倍あれば躊躇なく攻めよ。兵力が敵の二倍ならば敵を分裂させよ。兵力が敵よりも少なければ逃げて戦いを避けよ」とある。
 村井氏によると、中国は軍事費で日本の防衛予算を追い越し、日本が保有していない空母、原子力潜水艦、長距離ミサイルや核兵器を持つ。しかし、日米同盟と自衛隊の能力を考えれば、中国の指導者は中国が圧倒的に有利だという自信は持てないだろう。村井氏は、仮に彼らが「優位に立っていると判断した場合でも、孫子が言う10倍や5倍の優位ではなく、せいぜい2倍程度の優位であろう」と推測する。そして、ここが村井氏の主張のポイントなのだが、「2倍程度の優位だと中国の指導者が認識していれば、中国が採る対日戦略は日本を分裂させることである。日本を軍事力で圧倒する道筋が見えない場合、対日戦略の中心は日本の世論を分裂させる心理戦・世論戦になる」、そこで「中国が期待する日本世論分断のポイントは沖縄だ」と村井氏は見るのである。この見方は妥当だと思う。
 本年5月8日人民日報が、沖縄の帰属は「歴史上の懸案であり、未解決の問題だ」とする論文を載せたが、それまでの経緯、及びその後ろの展開については、拙稿「中国の沖縄略奪工作と琉球独立運動」に書いた。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1903580104&owner_id=525191
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20130602
 村井氏は、中国が沖縄を標的に心理戦を展開するのは、孫子の兵法によるものだと指摘する。『孫氏』に、戦いの真髄は騙し合いであるとあり、あらゆる手段を講じて敵の弱点を突くのは兵法の常道であると、と村井氏は説く。日本国民及び沖縄県民は、中国がこうした戦術を以て日本の世論を分裂させる心理戦・世論戦を仕掛けていると想定し、防衛意識と団結心を高める必要がある。
 以下は、村井氏の記事。

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●産経新聞 平成25年6月18日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130618/plc13061803180005-n1.htm
【正論】
防衛大学校教授・村井友秀 琉球めぐる心理戦は孫子の兵法
2013.6.18 03:16

≪中華帝国目指す民族主義国家≫
 現在の中国はもはや、貧農とプロレタリアートによる世界革命を目指す共産主義国家ではない。19世紀以前に世界的超大国であった中華帝国の再現を目指す過激な民族主義国家である。
 「中国共産党の『中国』とは国土が最大であった1840年頃の清朝の中国である」(英国のアジア専門家、フランシス・ワトソン氏)といわれている。国家主席の習近平氏はこの2月25日、「中華民族は近代以降、列強から度重なる侮辱を受けた。中華民族の偉大な復興を実現することは中華民族の最も偉大な夢である。我々(われわれ)は現在、歴史上の如何(いか)なる時期よりもこの夢を実現する自信があり、能力がある」と述べている。
 民族主義的な中国指導者が対外戦略を考えるとき、思い浮かべる教科書はマルクスではなく中国の戦略家であろう。中国知識人の常識の「孫子兵法」には、「兵力が敵の十倍あれば敵を囲むだけで敵は屈服する。兵力が敵の五倍あれば躊躇(ちゅうちょ)なく攻めよ。兵力が敵の二倍ならば敵を分裂させよ。兵力が敵よりも少なければ逃げて戦いを避けよ」(謀攻篇)とある。
 現代の中国も、兵力が少なかった時期には問題を棚上げして戦いを避けた。21世紀に入り、中国の軍事費は日本の防衛予算を追い越した。中国は日本が保有していない空母、原子力潜水艦、長距離ミサイルや核兵器を持つ。中国が軍事力で日本より優位に立ったと考えても不思議ではない。現在、中国は「日本は現実を直視すべきである。釣魚島はすでに日本の一方的支配から中日双方の共同管理に転換しつつある」(共産党機関紙人民日報系の国際情報紙、環球時報=5月3日付)と唱えている。

≪日本の世論分裂させる戦術≫
 しかし、日米同盟の存在と自衛隊の能力を勘案すれば、現在の日中の軍事バランスが中国側に圧倒的に有利だという自信を中国の指導者は持てないであろう。優位に立っていると判断した場合でも、孫子が言う10倍や5倍の優位ではなく、せいぜい2倍程度の優位であろう。2倍程度の優位だと中国の指導者が認識していれば、中国が採る対日戦略は日本を分裂させることである。日本を軍事力で圧倒する道筋が見えない場合、対日戦略の中心は日本の世論を分裂させる心理戦・世論戦になる。
 中国が期待する日本世論分断のポイントは沖縄だ。3月16日、「日本は琉球の宗主国、清朝政府の同意を得ずに琉球を併呑し、現在でも日本は沖縄に対する合法的主権を有していない」(中国誌、世界知識)との論文が雑誌に掲載され、5月8日付人民日報は「琉球王国は明、清王朝の時代には中国の属国であり、日清戦争後の下関条約で台湾と釣魚島、澎湖諸島、琉球が日本に奪われた。歴史的に未解決な琉球問題を再び議論できるときが来た」と主張した。
 中国が沖縄を標的に心理戦を展開するのは、米軍基地をめぐる様々(さまざま)な問題で日本政府と沖縄県の対立が深まっているという中国側の認識による。中国中央テレビは5月4日、「日本政府の政策に沖縄県民が憤り、沖縄の独立を求める声が大きくなっている」と報じた。「06年3月4日、琉球全市民による住民投票が行われた結果、琉球市民の75%が日本からの独立を望み、25%が自治の拡大を求めていることが明らかになった」(10年9月19日の中国ネットニュース、環球網)との記事が広く引用されるようになってもいる。

≪独立機運の捏造もいとわず≫
 この記事は全く事実に反しており、中国国内でも疑問視する声がある。香港誌は「琉球で独立を問う住民投票が行われたことはなく、この資料は一部の琉球独立運動家が捏造(ねつぞう)したものである。また、独立を主張する者の多くは独立を口実に日本政府と駆け引きをして利益を得たいと考えている者で、本当に独立を望んでいる者は少数である」(亜洲週刊13年第20期)との見方を示している。
 事実に反する記事を引用する中国の研究者やジャーナリズムは沖縄をめぐる問題に無知なのではない。彼らは事実関係を承知している。だが、彼らの任務は真実の追究にではなく、共産党の政策のバックアップにある。「孫子兵法」には戦いの真髄(しんずい)は騙(だま)し合いである(兵詭道也)と書いてある。あらゆる手段を講じて敵の弱点を突くのは兵法の常道である。中国には「日本の反中国行動を抑制するためには、沖縄で『琉球国』独立運動を育成することが効果的である」(5月11日付の環球時報)という意見が根強く存在する。
 ただし、今回の人民日報の記事に対しては沖縄でも、「尖閣問題で日本政府が妥協しなければ、琉球に問題を拡大するというメッセージであり、中国の戦術だ」(5月10日付沖縄タイムズ)という見方が有力である。9割の県民が中国には良くない印象を持っている(沖縄県公式ホームページ)沖縄で、中国の心理戦・世論戦が成功する可能性は高くない。日本人が一致団結し、勇気をもって脅しに屈しなければ、中国の心理戦が日本に入り込む余地はない。(むらい ともひで)
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参院選:信任問われる自民党の公約

2013-07-09 10:22:43 | 時事
 7月21日に行われる参議院選挙は、実質的に第2次安倍政権の政策への信任の可否をめぐって行われる。
 選挙予測については、6月28日の日記に書いたが、自民圧勝、ねじれ解消は確実、だが改憲派は憲法改正の発議に必要な議席数に及ばない模様である。あと約2週間でどういう風が吹くかわからないが、憲法以外にも経済、国防、防災、教育等、わが国の命運の係る選挙となる。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/4d49d5ce11174dd6e22f2a8a6b627efd
 国民は、過去約7か月間の安倍政権の実績をよく見るとともに、自民党の選挙公約をよく理解したうえで判断し、選挙に臨むべきだろう。
 以下、自民党の参院選公約。

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●自民党のサイト

参院選公約の全文
http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/sen_san23/sen_san23-2013-06-27_2.pdf

●産経新聞 平成25年6月20日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130620/elc13062021010011-n1.htm
自民参院選公約「参議院選挙公約2013」要旨
2013.6.20 20:58

【首相のメッセージ】大胆で次元の違う経済政策「三本の矢」によって、日本を覆っていた暗く重い空気は一変。デフレから脱却し、経済を成長させ、家計が潤うためには「この道しかない」と確信。衆参両院のねじれを解消してこそ政治の安定が実現

【復興加速】東日本大震災からの復旧・復興を最優先。高台移転や土地区画整理など住まいの再生と中間貯蔵施設の整備、東京電力福島第1原発事故の除染を加速化。風評被害対策にも万全を期す

【経済】今後10年間の平均で国内総生産(GDP)成長率の名目3%、実質2%程度の実現を目指す
▽国・地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)について赤字のGDP比を平成27(2015)年度までに22年度比で半減させ、32年度までに黒字化
▽「産業競争力強化法」を制定し、新市場創造を推進
▽思い切った投資減税を行い、法人税の大胆な引き下げを実行▽医療分野の研究開発の司令塔「日本版NIH」創設▽再生医療など医療関連産業の市場規模を16兆円(現状12兆円)に拡大
▽「クールジャパン」戦略の推進▽今年の訪日外国人旅行者1千万人超を目指す(昨年は837万人)
▽社会のあらゆる分野で平成32年までに指導的地位に女性が占める割合を30%以上とする目標を確実に達成
▽仕事、子育て・介護との両立支援、ワーク・ライフ・バランスの推進、「就業継続に向けた環境整備」に積極的に取り組む企業を支援

【原発】今後3年間、再生可能エネルギーの導入を促進。原子力技術などインフラ輸出を強化する。電力システム改革を断行。原発の安全性は原子力規制委員会の判断に委ね、再稼働は地元自治体の理解が得られるよう最大限努力

【地域の活力】5年間で6カ月以上の失業者を2割減。20~64歳の就業率を平成32年までに80%(現在75%)
▽テレワーク(在宅勤務)などの推進により、高齢者、若者、男女、障害者も生活スタイルに応じて働ける雇用の場を創出
▽同一賃金を前提に、非正規労働者の処遇改善
▽円安への対応措置を検討

【農林水産】10年で農家所得の倍増を図る。「日本型直接支払い制度」を法制化
▽(生産者が加工、流通、販売まで手掛ける農業の)6次産業の市場規模を平成32年までに10兆円(現状1兆円)に拡大し、同年に農林水産物・食品の輸出額を1兆円(現状4500億円)に
▽5割以上の国産木材自給率を目指す
▽農山漁村の定住支援のため、Uターン・Iターンを促進する「農山漁村計画法」の制定を検討

【外交・防衛】不断に日米同盟を強化しつつ、中国、韓国との関係の発展、ASEAN諸国をはじめ近隣諸国との友好協力関係の増進に努める
▽環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉は、交渉力を駆使し、守るべきものは守り、攻めるべきものは攻めることにより、国益にかなう最善の道を追求
▽緊急時に在外邦人を救出するため、自衛隊による陸上輸送を可能とする自衛隊法改正案の早期成立を図る
▽抑止力の維持を図り、沖縄をはじめとする地元の負担軽減を実現するため、「日米合意」に基づく米軍普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古への移設を推進し、在日米軍再編を着実に進める
▽領土・主権問題に関しては、法と事実に基づく日本の主張について、国内外に対する普及、啓発、広報活動を積極的に行う
▽北朝鮮問題では、「対話と圧力」の方針を貫き、拉致問題の完全解決と核・ミサイル問題の早期解決に全力を傾注

【安心】社会インフラの老朽化対策、耐震化の加速等、国土強靱(きょうじん)化を推進
▽大震災など非常事態に対応した「国家緊急事態体制」を整備
▽PFI(民間資金活用による社会資本整備)の積極的な導入
▽持続可能な社会保障制度の確立、消費税は全額社会保障に
▽平成29年度末までに約40万人分の保育の受け皿を新たに確保し、待機児童解消を目指す
▽周産期医療ネットワークの充実など出産環境の整備を図る

【教育】英語教育の抜本改革、理数教育の刷新
▽教科書検定制度、副読本なども含めた教科書採択のあり方について抜本的に改善。公共心や社会性、わが国の歴史・文化を尊重する心を育む。「領土教育」も充実
▽大学の秋入学促進。高校在学中に何度も挑戦できる達成度テストなど大学入試を改革
▽平成32年までに留学生を倍増(現状の6万人を12万人に)
▽幼児教育の段階的無償化、奨学金制度の充実
▽学校給食の国産食材の割合80%以上を目指す。「食育」の機会も増やす
▽2020年のオリンピック・パラリンピックの東京招致、「スポーツ立国」「文化芸術立国」を目指した取り組みを促進

【政治・行政改革】平成28年の参院選までに参院選挙制度を抜本改革
▽衆院選挙制度は比例定数を30削減し、抜本的に変更
▽中央省庁の幹部人事を一元的に行う「内閣人事局」を設置。幹部職への若手抜擢(ばってき)、天下り根絶
▽道州制導入を目指す

【憲法改正】自民党が平成24年4月に発表した憲法改正草案で、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つの基本原理を継承しつつ、日本国の歴史や文化、国や郷土を自ら守る気概、和を尊び家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っていることを表明
 天皇陛下は元首であると規定。自衛権、国防軍の設置、領土などの保全義務を明記。武力攻撃や大規模自然災害に対応するための「緊急事態条項」を新設。改憲の発議要件を「衆参それぞれの過半数」に緩和し、主権者である国民が国民投票を通じて憲法判断に参加する機会を得やすくする。
 自民党は、広く国民の理解を得つつ、「憲法改正原案」の国会提出を目指し、憲法改正に積極的に取り組んでいく。
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関連掲示
・拙稿「参院選予測:自民圧勝、ねじれ解消は確実」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/4d49d5ce11174dd6e22f2a8a6b627efd

憲法:自・維・みは改正を公約

2013-07-07 08:36:14 | 憲法
 7月21日の参議院選挙に向けて、各党が選挙公約を発表している。今回の参院選は、わが国最大の課題である憲法改正が争点になる。
 憲法改正に関し、最も積極的なのは、自民党である。自民党は、平成24年4月に発表した憲法改正草案で、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つの基本原理を継承しつつ、日本国の歴史や文化、国や郷土を自ら守る気概、和を尊び家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っていることを表明している。天皇は元首であると規定、自衛権、国防軍の設置、領土などの保全義務を明記。武力攻撃や大規模自然災害に対応するための「緊急事態条項」を新設、まや改憲の発議要件を「衆参それぞれの過半数」に緩和し、主権者である国民が国民投票を通じて憲法判断に参加する機会を得やすくするとし、広く国民の理解を得つつ、「憲法改正原案」の国会提出を目指し、憲法改正に積極的に取り組んでいくとしている。
 次に憲法改正に積極的な姿勢を示しているのは、日本維新の会である。自民党は憲法改正の発議要件を定めた96条の先行改正を公約に入れなかったが、維新の会は「改憲の賛否を問うために、まず憲法96条改正に取り組む」とこの点を明確に打ち出している。
 みんなの党も憲法改正を公約に入れている。6月17日に発表した全体公約「アジェンダ(政策課題)2013」には、96条改正を盛り込んでいるが、参院選期間中に配布する公約冊子「みんなの政策」からは96条改正を除外した。優先順位を下げるとともに、維新と同一視されるのを避け、独自色を強める狙いと見られる。
 自民・維新・みんなの三党は、憲法改正についての方針・政策に違いはあるものの、改憲の必要性については、基本的に共通の認識を持っている。選挙後の政策協力を視野に入れて、活発な議論が行われることを期待する。
 以下、上記各党の公約抜粋。

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●自民党の参院選公約より

http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/sen_san23/sen_san23-2013-06-27_2.pdf
「誇りある日本」へ。憲法
さあ、時代が求める憲法を。

 憲法は、国家の最高法規。まさに国の原点です。既に自民党は、現行憲法の全ての条項を見直し、時代の要請と新たな課題に対応できる「日本国憲法改正草案」を発表しています。憲法を、国民の手に取り戻します。

・自民党「日本国憲法改正草案」(平成24年4月発表)の主な内容
①前文では、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つの基本原理を継承しつつ、日本国の歴史や文化、国や郷土を自ら守る気概、和を尊び家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っていることなどを表明しました。
②天皇陛下は元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であることを記し、国や地方公共団体主催行事へのご臨席など「公的行為」の規定を加えました。国旗・国歌・元号の規定も加えました。
③自衛権を明記し、国防軍の設置、領土等の保全義務を規定しました。
④家族の尊重、家族は互いに助け合うことを規定しました。
⑤国による「環境保全」「在外邦人の保護」「犯罪被害者等への配慮」「教育環境整備」の義務を新たに規定しました。
⑥内閣総理大臣の権限や権限代行を規定しました。
⑦財政健全性の確保を規定しました。
⑧地方自治の本旨を明らかにし、国及び地方自治体の協力関係を規定しました。
⑨武力攻撃や大規模な自然災害などに対応するための「緊急事態条項」を新設しました。
⑩憲法改正の発議要件を「衆参それぞれの過半数」に緩和し、主権者である国民が「国民投票」を通じて憲法判断に参加する機会を得やすくしました。

★自民党は、広く国民の理解を得つつ、「憲法改正原案」の国会提出を目指し、憲法改正に積極的に取り組んでいきます。

●日本維新の会の参院選公約より

https://j-ishin.jp/pdf/2013manifest.pdf
・基本方針~「3国家のシステムを賢く強くする」
 現状認識の下の「基本方針」の一つに「改憲の賛否を問うために民主主義の原点に基づき、まず憲法96条改正に取り組む〔★憲法96条改正原案、憲法改正・国民投票法改正案提出〕

・政策実例~憲法を改正する
 改憲の賛否を国民に問うために民主主義の原点に基づき、発議要件2/3から1/2に改正する〔★憲法96条改正原案、憲法改正・国民投票法改正案提出〕
国民が直接リーダーを選ぶ制度として首相公選制を実現する
天皇の元首としての位置づけを明確化する
衆参合併によって一院制へと改革し、決められる政治を実現する
政府が健全な財政運営を行う責任を有することを憲法上に明記する(将来世代への先送りの禁止)
自衛権に基づく自立した安全保障体制確立のため、憲法を改正する。

●みんなの党の参院選公約より

http://www.your-party.jp/policy/manifest.html
Ⅰ 増税の前にやるべきことがある!
A 国会議員が自ら身を切る
1.国会議員の数を大幅削減し、給与をカット
 将来的には憲法改正手続きの簡略化を進め、決議要件を緩和。憲法改正によって「地域主権型道州制」を導入した後、衆参両院を統合して一院制(定数200)へと改め、「ねじれ国会」をなくす。
3.政治資金の流れを透明化し、利益誘導政治から脱却
3.政党助成金等に係わる情報公開を進め、憲法改正時には政党規定を新設するとともに、政党運営の健全化を図る「政党法」を制定する。

C 真の政治主導(内閣主導)を確立し、国民が主役の政治を実現する
1.総理大臣を司令塔として国家戦略を策定
4.憲法改正を必要としない日本型首相公選制を導入。国民投票によって国民が総理大臣にしたい候補者を選んだ後、国会議員はその投票結果に示された世論を尊重して総理大臣の指名に関する投票を行う。将来的には、憲法改正による首相公選制を導入。

Ⅳ 日本の再生のためには復興第一!
B 震災被災地の復興を日本再生のモデルに
1.被災地対象の新たな取組み
2.憲法上、非常事態法制の整備を明記する。
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人権52~権力と権威

2013-07-06 08:33:36 | 人権
●権力と権威

 ここで、権力には、権利の要素とは異なる要素があることを指摘したい。それは、権威である。権威とは、他者を内面的に信服させる作用を持つ社会的な影響力や制度、人格をいう。権威は、権力の要素のうち、特に能力と強制力に通じる概念である。
 権威という言葉も、西洋語の訳語として作られた。もとの西洋語は、
英語 authority、独語 Behorde、仏語 autoriteである。「権」については既述の通りだが、「威」は「相手を屈服させる力や品格のあるさま」を意味する。
 英語の authority は「権威、権力、影響力」を意味する。権威とともに権力をも意味することに注意したい。ロングマンの英語辞典は、authority の語義の第一に power を挙げ、職業的地位による能力、人から知識や経験を尊敬されることによって持つ能力と説明している。そのような能力を持つ人も、authority という。統治や行政の権限を持つ機関も、authority という。機関の意味での authority の能力は権力に等しい。
 authority は「生み出す人」を意味する author から派生した名詞である。author は、「生み出す人」から「創始者、創造者(creator)」の意となり、大文字の Author は神を意味する。創造者は権威ある者であり、神の別称ともなっている。
 authority は the authority to do の形で「~する権限、職権、許可」の意でも使われる。権限は権能の範囲である。権能は権利を主張し行使できる能力、また何かをすることが許可される資格である。職権は、職務上の権限である。権威を意味する authority は、能力を意味することによって、同じく能力を意味する権力に通じている。
 権力の要素の一つに強制力がある。意思を強制する権力は、支配―服従の関係を生み出す。他者への意思の強制は、必ずしも実力の行使によらない。実力を行使せずとも、意思の強制が達成される場合がある。その強制を可能にするものが、権威である。政治学者ハーバート・サイモンは、権威とは「他人からのメッセージを、その内容を自身で検討せずに、しかし進んで受容する現象である」とする。だが、それだけでは権威とは言えない。権威は、他者を内面的に信服させる作用を持つ社会的な影響力や制度、人格である。意思の正しさ、正当性を相手に納得させる時に、権威が生じる。大きな権威を持つ者の意思は、相手に影響力が働く。意思の伝達を受ける側に、否応なく従うかまたは進んで従う意思が働くからである。それによって、権威ある者は、実力を行使せずとも意思を実現することができる。
 権威の作用は、親と子、年長者と年少者、指導者と大衆の関係のように、優位の者から劣位の者へと作用する。権威による意思の伝達は、優位者の権利が実力の行使を伴わずに、精神的な影響によって、または自発的な受容によって実現される。権力が多くの場合、物理的な強制力をもって相手を服従させるのに対し、権威は精神的な作用で相手を信服させる。まったく現実的強制力を持たない宗教的権威や精神的権威のような、純然たる権威も存在する。権威は権力の要素であるにとどまらず、独自の社会的機能を持っている。
 権利・権力・権威と関連する言葉に、権限がある。権限とは、広辞苑によると、「公法上、国家または公共団体が法令の規定に基づいてその職権を行いうる範囲。またその能力」「私法上、ある人が他人のために法令・契約に基づいてなしうる権能の範囲」である。最後に使われている 権能は、同じく「ある事柄について権利を主張し行使できる能力」「ある事柄をする資格」である。
 権限という翻訳語のもとになる西欧語は、英語では authority, power, commission。これらの語は、それぞれ一部に権限の意味を持ち、一語一意の対応ではない。これらのうち、権力という訳語のもとである英語の power には、「(法的)権限」の意味もあることに注意したい。用例として the powers of the ministers(大臣の権限)、judicial powers(司法権限)等が挙げられる。

●支配と権威の関係

 前項で権力の要素として権威を挙げたが、ここで支配と権威の関係について述べておきたい。支配は、権利・権力にも関わる行為である。
 マックス・ウェーバーは、社会における支配の重要性を明らかにした。ウェーバーによると、「支配とは、或る内容の命令を下した場合、特定の人々の服従が得られる可能性を指す」(『社会学の根本概念』)。ウェーバーは、支配の正当性の根拠は原則として三つあると説いた。ここで正当性とは権利の概念であり、支配する権利の正当性である。
 ウェーバーが挙げる支配の正当性の三つの根拠のうち、第一は、伝統的支配である。これは、彼によると「『永遠の過去』が持っている権威で、これは、ある習俗がはるか遠い昔から適用しており、しかもこれを守り続けようとする権威が習慣的にとられることによって、神聖化された場合」である。
 第二は、カリスマ的支配である。これは、「ある個人にそなわった非日常的な天与の資質(カリスマ)がもっている権威で、その個人の啓示や英雄的行為その他の指導者的資質に対する、まったく人格的な帰依と信頼に基く支配」である。
 第三は、合法性による支配である。これは「制定法規の妥当性に対する信念と、合理的に作られた規則に依拠した客観的な権限とに基いた支配」である。
 これらの三つの根拠のうち、一つまたは複数によって、支配の正当性が、主張または承認される。ここでウェーバーは、支配-服従における権威の働きを明らかにもしている。支配の正当性は、権威によって裏付けられる。伝統的権威、カリスマ的権威、合法的権威である。それゆえ、彼の支配論は権威論ともなっていることに注意したい。
 支配は、支配する者と服従する者との関係である。支配―服従には、服従者が権威に対して進んで信服する場合がある。これは承認または許可の一種である。三つの根拠のうち、第一の伝統的支配は、伝統の侵しがたい権威が人々を無意識的に従わしめるものである。第二のカリスマ的支配は、カリスマを持つ個人の権威が人々を情念的に従わしめるものである。第三の合法性による支配は、法とそれ依拠する為政者や国家の権威が人々を理性的に従わしめるものである。こうした権威による支配―服従は、内面的な習慣・確信や帰依・信頼、信念と納得によって実現する。それが高度に現実化している場合は、支配-服従の関係より保護―受援の関係に近いものとなる。
 権力と権威は多くの場合、別々ではなく、権力を持つ者が権威をも持ち、権威ある者に権力が集まる。権威を感じさせる権力、権力に裏付けられた権威は、それだけ強固なものとなる。そこで私は、権力について権威と合わせて考えるのである。そして、権力は権利の相互作用を力の観念でとらえたものゆえ、権利・権力・権威には意味の相関関係が存在する。
 ところで、ウェーバーは支配の正当性の根拠を原則として三つとするが、私はもう一つ明示的に挙げるべきものがあると思う。それは、力による支配である。物理的な実力による支配、むき出しの力による支配である。支配者は、支配していること自体が正当であると主張する。力は正義であるという自己正当化を行う。侵攻による支配や権力奪取による支配は、ウェーバーが挙げる伝統的支配でも、カリスマ的支配でも、合法的支配でもない。被支配者は、支配の正当性を認めない。無法非道として反発・抵抗する。しかし、支配者は権力によって自己を正当化する。そして、支配する権利、正当性を主張する。それを法制化することによって、合法的支配へと転じる。そして権力は新たな権威をもって支配の権利を確固たるものとしようとする。

 次回に続く。


憲法:天皇は「元首」と規定すべき~大原康男氏

2013-07-04 09:28:01 | 憲法
 現行憲法において、天皇は、日本国の象徴及び日本国民統合の象徴であると規定されている。天皇を象徴とする規定は、国民の間に定着しており、今後制定すべき日本人自身の手による憲法においても、この規定は維持すべきである。
 課題は、日本国の元首をどうするかである。元首は、対外的に国家を代表する存在である。欧州の多くの君主国の憲法では、国王は単なる象徴ではなく、元首であることが明記されている。明治憲法では、第4条に「天皇ハ國ノ元首」と明記されていた。昭和憲法では、元首の地位については、はっきりしていない。新憲法では、この点を明確にする必要がある。
 天皇は日本国の象徴であり、日本国を対外的に代表して、外交上の国事行為を多く行っている。昭和憲法には天皇を元首とする規定はないが、天皇をわが国の元首とするのは政府の公式見解であり、また最も有力な学説である。政府の見解は、わが国を立憲君主国としている。天皇が諸外国をご訪問される場合、訪問国で礼砲の数等、元首としての儀礼を受けている。それゆえ、憲法に天皇を元首と明記することは、実態を表すものとなる。
 天皇を元首と規定しても、それは天皇が政治にかかわることにはならない。天皇の国事に関するすべての行為は、内閣の助言と承認を必要とし、その行為の責任は、内閣が負うからである。それゆえ、新憲法には、天皇を元首と規定すべきである。
 国学院大学教授の大原康男氏は、「これまでの政府見解は、天皇は対外的には「元首」であるとしてきたものの、国内法上の地位については明言を避けてきたため、いまだに決着がついていない」と述べたうえで、氏が起草委員を務めた産経新聞社の「国民の憲法」の規定を紹介している。同憲法案では、第1条で「日本国は、天皇を国の永続性および国民統合の象徴とする立憲君主国である」とし、第2条で「天皇は、日本国の元首であり、国を代表する」と規定している。優れた案の一つだと思う。
 以下は、大原氏の記事。

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●産経新聞 平成25年6月7日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130607/imp13060703040001-n1.htm
【正論】
国学院大学名誉教授・大原康男 「象徴」では曖昧な天皇の地位
2013.6.7 03:03

 皇太子殿下が平成5年に雅子妃と結婚されてこの9日で20年になる。まことにおめでたいことで、心からお祝い申し上げたい。いずれの日か皇位につかれ、第126代の天皇として国民に臨まれることになるが、ますますのご健勝を改めてお祈りする次第である。

≪広範な意味持つ「シンボル」≫
 周知のように、日本国憲法は、首章に8カ条にわたって「天皇」の条項を設けていて、第1条で、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という基本的な地位が定められている。だが、その正確な法意を認識している人がどれだけいるのか、今でもしばしば論議されることがある。
 施行以来、明治憲法の58年を超えて66年にも達しているというのに、こうした言及がなされるのは、「象徴」という語が公布の当初から法の用語としてなじみにくいとされていたからであろう。
 確かに、手元の辞典をひもといてみると、「象徴」は「形を持たない事物・思想・情調などの観念内容を示す記号で、それ自身でも独立した意味と存在を持つ感性的な形象または心象」とある。
 明治の啓蒙思想家・中江兆民が『維氏(ヴェロン)美学』(明治16年)を翻訳した際、フランス語のsymbole(英語形がsymbol)に当てた語が、ルーツとされる。文学や宗教・美術などの分野ではしばしばお目にかかるものの、法学には縁が薄く、これまでも立法例がごく限られていた。それゆえ、天皇の地位を表す言葉として、すぐには一般に溶け込みにくい概念であったことは否めない。
 しかし、時間の経過とともに、「象徴」は漸次、国民の間に浸透していき、今日ではほとんど違和感なく受け止められている。各種世論調査でも、「象徴天皇制」への支持は常に90%前後ある。
 にもかかわらず、これまで私がいつも気になっていたのは、「象徴」という語を認知する圧倒的多数の国民が、その言葉によって、どのような天皇像を具体的にいだいているのかという点だ。

≪国の内と外で違う位置づけ≫
 憲法制定議会では、天皇をいわゆる“憧れの中心”とする、いささかメルヘンチックな説明がなされた。その後、「象徴」には、単に“シルシ”といった静態的概念にとどまらず、結合、合一のような動態的意味が含まれているとの理解が有力になってきた。「象徴天皇」は、国家という共同体を構成するさまざまな分子の精神を、ある一点に集中・収斂(しゅうれん)させ、歴史的連続性の共有意識や、対外的・文化的連帯感を育成・強化させるように期待されているとする、積極的・能動的な解釈である。
 そこから、施行以来、極めて制限的に解釈されてきた憲法の「国事行為」を補うものとして、象徴たる地位に基づく「公的行為」という新たな範疇(はんちゅう)が生み出された。
 例えば、「全国戦没者追悼式」や「植樹祭」など国家的行事・儀式へのご臨席や、国民との交流を深める全国ご巡幸、さらには現実政治を超えたところで行われる国際親善活動、いわゆる“皇室外交”(宮内庁は「外国交際」と称している)などがよく知られている。これらは、その必要に応じて解釈・運用上案出されたものだけに、「国事行為」との関係で整合性に欠けるところが少なくない。
 もう一つ、「象徴」は、明治憲法では明記されていた国家の「元首」としての地位を含んでいるのか、というこれまで何度も繰り返されてきた問題がある。
 これは、「元首」の定義によって分かれる議論である。これまでの政府見解は、天皇は対外的には「元首」であるとしてきたものの、国内法上の地位については明言を避けてきたため、いまだに決着がついていない。これは天皇が「君主」であるか否かという議論とも重なる。

≪元首と定めた「国民の憲法」≫
 産経新聞が発表した「国民の憲法」要綱は、前述した2点を中心に、現憲法では曖昧さが多分にある天皇の地位を明確に規定している。まず、第1条で「日本国は、天皇を国の永続性および国民統合の象徴とする立憲君主国である」と宣明してわが国の「国体」を明らかにし、続いて第2条で「天皇は、日本国の元首であり、国を代表する」との基本規定を置いた。皇位の継承に関しては、「世襲」という議論を招く表現を避け「男系」である旨を明記している。
 天皇の行為については、従来、統合性を欠き気味であった「国事行為」を整理し、不足しているもの(元号の制定など)は追加するとともに、象徴としての「公的行為」(皇室祭祀(さいし)など)を明文化し、「象徴」たる天皇の国民統合の機能が過不足なく全うされるように工夫をこらしている。
 また、皇室がこれまで全く関わることができなかった、皇室典範の改正も、事前に皇室会議(皇族お二方が議員)の議を経ることとし、占領期の過渡的な施策にすぎない、皇室の財産享有権能を厳しく制約していた規定も緩和した。こうした現行の“非民主的”な条項を大幅に改めたのも、特筆すべき点であろう。(おおはら やすお)
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