ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権14~個人の人格

2012-10-06 08:36:06 | 人権
●個人の人格

 次に、人格について述べよう。世界人権宣言は、第22条に次のように記している。
 「すべて人は、……自己の尊厳と自己の人格の自由な発展(the free development of his personality)とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する」
 ここに、自己の尊厳と自己の人格とあるのは、一般的に言えば人間の尊厳と個人の人格となる。そして、「宣言」は、人間は人間としての尊厳を持つとともに、各個人が人格を持つ存在だという認識を示している。
 カントは、人間には、理性に従って道徳的な実践を行う自律的な人格を持つことによって、尊厳があるとした。私はこのカントの思想が「宣言」の人間観に影響を及ぼしていると思う。世界人権宣言の人間観のもとになっているのは、先に書いたようにロック=カント的な人間観であり、それが現代の国際社会の人間観に基本的な枠組みを与えていると私は見ている。
 ここで人格とは、英語 personality、独語 personlichkeit、仏語 personnalite の訳語である。どれも人を意味する person をもととする。person はギリシャ語のペルソナ、「俳優の付ける面」を語源とし、「面を付ける人」、さらに「人」へと転じた。ロングマン英語辞典は、personality を「someone’s character, especially the way they behave toward other people」と説明している。他者との関係における自己、他者から見た自己という意味合いが、日常語の personality には強い。
 personality 等の訳語である日本語の人格は、人柄、人品を意味する。こうした日常的に使われる人格という用語を、哲学では道徳的行為の主体、法学では権利義務が帰属し得る主体の意味で用いている。主体とは、対象や環境に対して、能動的に働きかけるものである。主体は、近代西洋思想の基本概念のひとつで、主体―客体(subject-object)という対をなす。認識を主にする時は、主観―客観という。主体・主観は、歴史的・社会的・文化的に限定されるものであり、間主体的・共同主観的(inter-subjective)である。客体は対象ともいう。主体は対象でもあり、本稿では、主体間の相互性を表すために、主体を主体―対象ともいう。
 人格は、人間の心身の発達の過程で形成され、成長・発展を続けていく。植物は、種子→芽→葉→花→実と、生長の過程で形態を変化させていくが、そこに一貫して持続しているものがある。それが植物の本体としての生命である。人間も、精子→受精卵→胎児→幼児→少年→青年→老年→死者と、成長の過程で形態を変化させていくが、そこに一貫して持続しているものが、生命である。そして、人間においては、生命だけでなく、生命とともに成長する精神がある。この生命的精神的存在を社会的な実践の主体ととらえて、人格という。
 先に書いたように、人間は個人的存在であるとともに、社会的存在である。人間は、家族という集団を構成する。個人は家族の一員として生まれ、家族において成長する。個人は親子・兄弟・姉妹・祖孫等の家族的な人間関係において、人格を形成する。そして親族や地域等の集団の一員として、そこにおける社会的な関係の中で、人格を成長・発展させていく。
 近代西欧では、個人の自由と権利の保障・拡大が追及された。だが、自由と権利は、それ自体が目的ではない。人格の成長・発展こそが、目的である。自由と権利は、人格の形成・成長・発展のために必要な条件であり、また条件に過ぎない。条件と目的を混同してはならない。国家が国民に自由と権利を保障するのは、個人を人格的存在ととらえ、人格の形成・成長・発展のために、自由と権利を保障するというものでなければならない。
 自由と権利の保障は、個人の欲求を無制限に認めるものではない。人は人格的存在であるという認識を欠いたならば、自由は放縦となり、権利は欲望の正当化になる。人権という言葉は、今日しばしば放縦や欲望の隠れ蓑になっている。私は、人格という概念を欠いたまま、自由と権利を人権条約や各国憲法で保障することは、自由と権利が目的化されてしまい、利己的個人主義を助長するおそれがあると考える。
 人格は、自己にだけでなく、他者にも存在する。人は他者にも人格があることを認め、互いにそれを尊重し合わねばならない。個人の人格の発展は、自己のためのみでなく、他者のためともなり、また社会の公益の実現につながるものでなくてはならない。自他は互いに人格の成長・発展を促す共同的な存在であり、自由と権利は相互的な人格的成長・発展のために、必要な条件として、保障されるべきものである。
 世界人権宣言は、一定の人間観を示しながら、人間の尊厳と個人の人格について、具体的に述べていない。私は、「発達する人間的な権利」としての人権を基礎づけ直すためには、ここまで書いてきたような考察を進めることが必要だと考える。

 次回に続く。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿