ほそかわ・かずひこの BLOG

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人権399~人権の起源と目標

2017-01-09 08:46:31 | 人権
●人権の起源と目標

 人権の起源は、近代西欧発の普遍的・生得的な権利という観念にあるが、人権の実態は歴史的・社会的・文化的に発達してきた権利である。生まれながらに誰もが持つ「人間の権利」ではなく、主に国民の権利として発達してきた「人間的な権利」である。「発達する人間的な権利」としての人権の目標とすべきものは、個人の自由と選好の無制約な追求ではない。個人においては人格的な成長・発展であり、国家においてはネイションの調和的発展、人類においては物心調和の文明、共存共栄の世界の実現である。ここにおいて、人間が人格的に成長・発展するための条件が、人権と称される自由と権利である。自由と権利は、それ自体が目的ではなく、人格の成長・発展のための条件である。目標とすべき物心調和とは、物質的繁栄と精神的向上の両面の調和であり、共存共栄とは、諸個人・諸国家・諸民族等の調和ある発展である。
 人権の目標である個人的・国家的・人類的な三つの目標を目指すには、人間観の転換が必要である。私は、人間とは何かという問いについて、本章の人権の内容に関する項目に見解を書いた。そこで述べたように、人間には個人性と社会性、生物性と文化性、身体性と心霊性という三つの対で示される性質がある。また、人間は、共通の根に共感の能力を持つ諸能力を発揮する人格的存在である。そうした諸能力は、人間の欲求を実現するために集団において協同的に発揮される。だが、現代で支配的な人間観では、こうした人間の全体像をとらえることができない。そこで、私が必要と考えるのが、心霊論的人間観の確立である。
 心霊論的人間観とは、人間の持つ諸性質を総合的に把握したうえで、その中の心霊性を重視し、人間を単に物質的な存在と見るのではなく、人間には物質的な側面と心霊的な側面の両面があるとする人間観である。心霊論的人間観は、近代西欧が生み出した人間を単に物質的にとらえる唯物論的人間観の欠陥を是正する。心霊論的人間観においては、個人の人格は死後も霊的存在として存続する可能性を持ち、また共感の能力は、身体的な局所性に限定されず、時空を超越し、波長の異なる領域にも及び得ると理解する。こうした人間観を確立することによって、人権の目標である個人的・国家的・人類的な目標を達成するために必要な人間観の転換を果たし得る、と私は考える。

●人間観の転換が必要

 世界人権宣言の人間観のもとになっているのは、ロック=カント的な人間観であり、それが現代の国際社会の人間観に基本的な枠組みを与えている。ロック=カント的な人間観とは、人間は、生まれながらに自由かつ平等であり、個人の意識とともに、理性に従って道徳的な実践を行う自律的な人格を持つ、という人間観である。今日支配的な人間観は、ロック=カント的な人間観を個人主義的に解釈し、社会を個人中心・個人本位に考える傾向がある。また、人間の諸性質のうち生物性と身体性を重視し、経済的・物質的な欲求の充足を目指す傾向がある。
 だが、ロック=カント的な人間観の元になったカント自身の思想は、唯物論ではない。カントは心霊論的信条を抱き、感性界・現象界と超感性界・叡智界を区別し、霊魂の不滅を要請し、人格を死後も霊的存在として存続するものと考えた。カントにおける人間は、感性的であると同時に超感性的であり、市民社会の一員であると同時に、霊的共同体の構成員である。「目的の国」は、感性界で完結するものではなく、超感性界につながっている社会である。今日支配的になっているロック=カント的人間観は、こうした心霊論的側面を排除し、唯物論的に人間をとらえる傾向にあるものである。
 今日支配的な個人主義的かつ唯物論的な傾向を持つ人間観の枠組みでは、人間を総合的に理解することができない。私は、人間の総合的理解を深めるには、マズローの理論を参考にすべきと考える。マズローの欲求段階説については、本稿で何度か述べてきたが、マズローは人間の5つの欲求の最上位に、自己実現の欲求を置く。そして自己実現こそ人生の最高の目的であり、最高の価値であるとマズローは説く。また人間が最も人間的である所以とは、自己実現を求める願望にあると説く。
 この理論は、単なる欲求とその充足の理論ではなく、人格の成長・発展に関する理論と理解することができる。人間は人格的存在であり、人格を形成し、人格的に成長・発展することを欲求として潜在的に持つ。人格の形成は親の愛情、言語・習慣・道徳等の教育による。人格の基礎が出来れば、さらに成長・発展したいという欲求が働く可能性が生まれる。自己実現の欲求は、人間に内在する人格的な欲求であり、道徳的な能力の発現である。人間には自己実現を達成する能力が潜在しており、その能力が発揮されることによって、人格の高度な成長・発展が可能となる。自己実現の欲求が働くとき、人は自己実現を目指して、自らの人格を成長・発展させようとする。この欲求は、基本的には下位の欲求が充足された後に追及されるが、人によっては、下位の欲求の充足如何に関わらず、自己実現の欲求の実現を求める。例えば、宗教的修行者、賢者等にそれが見られる。
 自己実現には、具体的な人格的目標が必要である。父母、祖父母、教育者、集団の指導者等が目標となり得る身近な存在である。また、しばしば釈迦、孔子、プラトン、イエス、ムハンマド等の精神的な指導者が目標とされる。それらの指導者への感動、敬服、憧憬等の感情を通じて人格的感化を受ける。人格的感化は、近代西欧的な理性の働きだけでなく、感性の働きによるものであり、相互間の共感の能力によるところが大きいと考えられる。
 マズローの事例研究によると、自己実現を成し遂げた人は、しばしば、さらに自己超越を求めるようになる。自己超越の欲求とは、自己を超え、自分自身を超えたものを求める欲求である。そして、他の多くの人々のために尽くしたり、より大きなものと一体になりたいと願ったりする。自己超越とは、自己が個人という枠を超えて、超個人的(トランスパーソナル)な存在に成長しようという欲求である。それは、悟り、宇宙との一体感、宇宙的な真理や永遠なるもの、社会の進化や人類の幸福などの、より高い目標である。古今東西の宗教や道徳でめざすべき精神の状態とされてきたものである。
 マズローは、自己実現の心理学から、自己超越の方向に進み、個を超える、より高次の心理学を提唱した。これがトランスパーソナル心理学である。マズローは、「トランスパーソナル」とは「個体性を超え、個人としての発達を超えて、個人よりもっと包括的な何かを目指すことを指す」と規定している。
 人間には、こうした自己実現を経て自己超越に向かう人格的な欲求が生得的に内在している。その欲求は、アニミズムやシャーマニズムと呼ばれる原初的な精神文化にもさまざまな形で表れている。人類史に現れた諸文明は、より発達した宗教をその中核に持ち、多くの宗教は、死後も人間は霊的な存在として存続することを説いている。マズロー以後、トランスパーソナル心理学は、心理学という枠組みを超え、さまざまな学問を統合するものとなり、包括的な視点に立って人間のあり方を模索する学際的な運動となっている。これをトランスパーソナル学と呼ぶ。トランスパーソナル学では、人間は霊性を持つ存在であることを認めている。繰り返しになるが、本稿で霊性は心霊性と同義である。人間に生死を超えた心霊性を認めてこそ、人間観は身体的な局所性を超えて、真に時空に開かれたものになる。死をもって消滅するものは、真の人格とは言えない。人権論の基礎に置くべき新しい人間観は、こうした霊的な存続可能性を持つ人格を中心にすえたものとならねばならない。
 人権の目標を目指すには、人間には自己実現・自己超越の欲求が内在し、また人間は霊的存続可能性を持つ人格的存在であるという人間観に転換する必要がある。

 次回に続く。

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