●啓蒙思想による意識と社会の変革
イギリスで市民革命の起こった17世紀は、科学革命の世紀でもあった。F・ベイコンの科学万能思想、デカルトの物心二元論・要素還元主義、ニュートンの機械論的自然観等によって、様々な分野で自然の研究が進み、実験と観察にもとづく近代西欧科学的な世界観が形成された。その世界観は、合理主義を発展させた。合理主義とは、一般に理性を重んじ、思想や生活のあらゆる面で合理性を貫こうとする態度をいう。こうした態度が実験と観察に裏づけられたものが、科学的合理主義である。
17世紀後半から、こうした科学的合理主義を基礎とする啓蒙思想(The philosophy of the Enlightenment)が出現した。啓蒙思想は、名誉革命からフランス革命にかけての約100年間、西欧で広く影響力を持った。啓蒙(enlightenment)は、啓示の光に対する理性の光、あるいはその光による闇の追放を意味する。
啓蒙主義(illuminism)は、自然科学の発達を背景に、人間理性を尊重し、封建的な制度や宗教的な権威を批判し、合理的思惟によって社会の変革をめざした思想・運動の総称である。17世紀後半のイギリスで始まり、18世紀にはフランス、アメリカ、ドイツに広まって、宗教思想、認識論、社会思想、経済思想、文学等の多様な領域で展開された。イギリス、アメリカ、フランスでは、人権の思想を発達させた。
本章では、先にホッブス、ロック、ヒューム、アダム・スミスについて書いたが、彼らはイギリスの啓蒙思想の代表的な思想家でもある。イギリスにおける啓蒙思想は、名誉革命及びその後の政体を支持し、君権・民権の均衡と資本主義国民経済の発展を追求した。認識論では経験論、宗教論では理神論が大勢を占めた。イギリス経験論は学説上、大陸合理論と対比されるが、反合理主義ではない。合理論が思弁的な合理性を追求するのに対し、経験論は経験に基づく合理性を追求する。ただし、経験論者の中から単純な科学的合理主義への疑いが出されもした。
啓蒙思想は、先進国イギリスからフランスに伝わり、モンテスキュー、ヴォルテール、ディドロ、ダランベール、ルソー等が展開した。近代科学を推進する思想家たちが百科全書の製作に集い、啓蒙を進めた。彼らの多くは理神論を主張し、カトリック教会の権威に強く反発し、唯物論や無神論を説く者も現われた。ロックの思想は、絶対王政下のフランスでは、王政の打倒を目指すものへと急進化した。啓蒙主義は、フランス革命の原動力となった。
啓蒙主義は、イギリスの植民地アメリカでも展開され、ここでもロックの思想が強い影響を与えた。ロックの抵抗権・革命権は、ジェファーソン、フランクリン等によって、イギリス王政からの独立と共和制の実現をめざす思想に転換された。独立革命の成功は、フランス市民革命の成功につながった。アメリカ独立革命、フランス市民革命は、いわゆる人権と呼ばれる権利を実現するものとなった。
一方、後進国のドイツでは、トマジウス、ヴォルフ、レッシング等が主に哲学・文学の方面で啓蒙主義を展開した。その頂点に立つのが、カントである。カントはアメリカ独立戦争やフランス革命を同時代として生きた。大陸合理論とイギリス経験論を批判的に総合し、科学と宗教を両立させたカントは、市民社会の目指すべき姿や国際社会の永遠平和を説き、「啓蒙の完成者」といわれる。
カントは、論文『啓蒙とは何か』(1784年)に、次のように書いた。「啓蒙とは、人間が自分自身に責任のある未成年の状態から抜け出ることである。未成年の状態とは、他人の指導を受けずに自己の悟性を使用する能力のないことである。自己に責任があるとは、未成年状態の原因が悟性の欠乏にあるのではなく、他人の指導を受けずに悟性を使用する決断と勇気の欠乏にある場合のことである。知ることを敢えてせよ! 自己自身の悟性を使用する勇気を持て! というのが、したがって啓蒙の標語なのである」と。
次回に続く。
イギリスで市民革命の起こった17世紀は、科学革命の世紀でもあった。F・ベイコンの科学万能思想、デカルトの物心二元論・要素還元主義、ニュートンの機械論的自然観等によって、様々な分野で自然の研究が進み、実験と観察にもとづく近代西欧科学的な世界観が形成された。その世界観は、合理主義を発展させた。合理主義とは、一般に理性を重んじ、思想や生活のあらゆる面で合理性を貫こうとする態度をいう。こうした態度が実験と観察に裏づけられたものが、科学的合理主義である。
17世紀後半から、こうした科学的合理主義を基礎とする啓蒙思想(The philosophy of the Enlightenment)が出現した。啓蒙思想は、名誉革命からフランス革命にかけての約100年間、西欧で広く影響力を持った。啓蒙(enlightenment)は、啓示の光に対する理性の光、あるいはその光による闇の追放を意味する。
啓蒙主義(illuminism)は、自然科学の発達を背景に、人間理性を尊重し、封建的な制度や宗教的な権威を批判し、合理的思惟によって社会の変革をめざした思想・運動の総称である。17世紀後半のイギリスで始まり、18世紀にはフランス、アメリカ、ドイツに広まって、宗教思想、認識論、社会思想、経済思想、文学等の多様な領域で展開された。イギリス、アメリカ、フランスでは、人権の思想を発達させた。
本章では、先にホッブス、ロック、ヒューム、アダム・スミスについて書いたが、彼らはイギリスの啓蒙思想の代表的な思想家でもある。イギリスにおける啓蒙思想は、名誉革命及びその後の政体を支持し、君権・民権の均衡と資本主義国民経済の発展を追求した。認識論では経験論、宗教論では理神論が大勢を占めた。イギリス経験論は学説上、大陸合理論と対比されるが、反合理主義ではない。合理論が思弁的な合理性を追求するのに対し、経験論は経験に基づく合理性を追求する。ただし、経験論者の中から単純な科学的合理主義への疑いが出されもした。
啓蒙思想は、先進国イギリスからフランスに伝わり、モンテスキュー、ヴォルテール、ディドロ、ダランベール、ルソー等が展開した。近代科学を推進する思想家たちが百科全書の製作に集い、啓蒙を進めた。彼らの多くは理神論を主張し、カトリック教会の権威に強く反発し、唯物論や無神論を説く者も現われた。ロックの思想は、絶対王政下のフランスでは、王政の打倒を目指すものへと急進化した。啓蒙主義は、フランス革命の原動力となった。
啓蒙主義は、イギリスの植民地アメリカでも展開され、ここでもロックの思想が強い影響を与えた。ロックの抵抗権・革命権は、ジェファーソン、フランクリン等によって、イギリス王政からの独立と共和制の実現をめざす思想に転換された。独立革命の成功は、フランス市民革命の成功につながった。アメリカ独立革命、フランス市民革命は、いわゆる人権と呼ばれる権利を実現するものとなった。
一方、後進国のドイツでは、トマジウス、ヴォルフ、レッシング等が主に哲学・文学の方面で啓蒙主義を展開した。その頂点に立つのが、カントである。カントはアメリカ独立戦争やフランス革命を同時代として生きた。大陸合理論とイギリス経験論を批判的に総合し、科学と宗教を両立させたカントは、市民社会の目指すべき姿や国際社会の永遠平和を説き、「啓蒙の完成者」といわれる。
カントは、論文『啓蒙とは何か』(1784年)に、次のように書いた。「啓蒙とは、人間が自分自身に責任のある未成年の状態から抜け出ることである。未成年の状態とは、他人の指導を受けずに自己の悟性を使用する能力のないことである。自己に責任があるとは、未成年状態の原因が悟性の欠乏にあるのではなく、他人の指導を受けずに悟性を使用する決断と勇気の欠乏にある場合のことである。知ることを敢えてせよ! 自己自身の悟性を使用する勇気を持て! というのが、したがって啓蒙の標語なのである」と。
次回に続く。
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