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ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

戦略論 26~『闘戦経』の概要

2022-07-12 08:48:50 | 戦略論
●『闘戦経』

 『闘戦経』は、平安時代末期、11世紀末から12世紀初めに成立したとみられる日本最古の兵法書である。
 作者は、大江匡房と考えられている。大江家は、古代から朝廷の書物を管理し伝授してきた家である。
 匡房は『孫子』を研究して、孫子の兵法を源義家に伝授した。義家は、前九年の役や後三年の役で活躍した。だが、匡房は『孫子』の戦略・戦術が優れていることを深く理解したうえで、無批判に摂取することを戒めようとした。
 当時、わが国はシナ文明の文化を模範とする傾向があった。匡房は、国情の違うシナを模倣し、軍事において真摯な努力を怠る者が多くなることを憂慮した。そこで、『闘戦経』を著して『孫子』の欠陥を指摘し、ただ模倣するだけではわが国に適用できないことを示そうとした。
 匡房は、まず神武天皇以来のわが国における政治と軍事の思想を収集して整理した。『闘戦経』は、最初に「我が武道は天地の初めよりある」とする。続いて「第一は日本の武道、第二はシナの兵法」と説いて、日本の武の道から出発する。そのうえで「孫子は詫譎(きけつ:いつわり、あざむく)の書」として、これを批判する。
 『孫子』は、「兵は詭道なり」と説いて、権謀術数をよしとする。『孫子』をはじめとするシナの軍事思想は、総じて「詭道」を中心とする。匡房は、この思想が広がれば、わが国に古代シナのような戦国時代が訪れた時に国が危うくなるという懸念を抱いた。そこで、『孫子』には盛られていない将軍や兵士の精神的な面のあり方を説いた。
 『闘戦経』を貫く基本思想は、「誠」と「真鋭」である。
 『闘戦経』に曰く、「漢の文は詭譎(きけつ)有り。倭(わ)の教は真鋭(しんえい)を説く。詭(き)ならんか詭や。鋭なるかな鋭や。狐を以て狗を捕へんか、狗を以て狐を捕へんか」。その大意は、シナの文献は相手を騙すことを一つの作戦としている。だが、日本の教えは真実をよしとする。偽りは、やはり偽りである。鋭い真実であれば、やがて真実として明らかになる。狐で犬を捕らえることは、できないだろう。犬で狐を捕らえるのが基本だということである。
 このように説く『闘戦経』は、どんな手を使ってでも勝つことをよしとするのではなく、正々堂々と戦うことが大切だとする。
 『闘戦経』には、策略ばかりに頼れば、裏目に出るという考えがある。ちなみに孫武は、優れた策略家だったが、自分が刖(あしきり)の刑に処される計略にかかった。
シナ大陸は広大であり、戦域は大陸に広がる。そういう地理的条件において、戦略という長期的な作戦思想が発達した。これに対し、日本は国土が狭く、地形は山地や離島が多く、敵を追い詰めやすく、短期決戦が重んじられた。海洋に囲まれた島国であるから、いったん戦争が拡大すると、広大な大陸のように外に逃げる場所はない。そこで武人の間で尊ばれたのは、最後は見苦しくなく散る潔さだった。そこには、平安時代末期に発達し始めた武士道の精神が表れているといえよう。
 『闘戦経』は、『孫子』には盛られていない精神面を説く一方、具体的な戦術は説いていない。戦術論は『孫子』を尊重している。また、勝つための戦術として策略を全く否定しているわけではない。
 その結果、『闘戦経』は『孫子』を補助する兵書として成立した。その主旨が『闘戦経』を納めた箱の金文に、「闘戦経は孫子と表裏す」と書かれている。孫子と補い合う関係にあることが「表裏」と表現されている。言い換えれば、『孫子』で戦略・戦術を学ぶ者は、『闘戦経』で軍人としての精神・理念も学ぶことが重要であるという主張である。
大江家では、第38代の大江広元が、鎌倉幕府の時代に源頼朝から実朝の三代にわたって、兵法師範として仕えた。『闘戦経』は、鎌倉幕府の御家人・文官御家人の愛読書だったとされる。だが、北条家の治世になると『闘戦経』は遠ざけられた。以後、『孫子』『呉子』等が武士の間に普及したのに対し、『闘戦経』を学ぶ者は一部の武家に限られた。
 江戸時代に伝えられたのは、伊予松山藩、黒羽藩に過ぎなかった。現存する『闘戦経』は、全体の一部のみである。明治時代に本書の存在が確められ、1926年(大正15年)に海軍兵学校に全て寄贈された。戦前の海軍大学校では、『闘戦経』を講義に用いた。以後、古来の日本兵法思想の研究に欠かせない資料となっている。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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戦略論25~日本文明の軍事思想

2022-07-10 08:16:14 | 戦略論
(2)日本文明の軍事思想

 日本文明では、古代からシナ文明の軍事思想の影響を受けてきた。そのもとで日本独自の軍事思想が発達した。次にその点を述べる。

●日本文明には独自の伝統が

 日本文明は、シナ文明から多くのものを摂取し、それに独創性を加えて、独自の文明を発達させた。19世紀半ば、日本文明が近代西洋文明と遭遇した時、軍事力や科学技術力では圧倒されたが、政治と道徳、政治と戦争のあり方において劣っていたわけではない。シナ文明では、孔子が為政者のあるべき姿として、仁による徳治を説いたが、それは理想に終わった。だが、日本文明では、民族の中心である皇室が仁による徳治を古代から現代にいたるまで実践している。その統治の伝統は、ヨーロッパ文明には見られないものである。また、こうした国柄において、ヨーロッパ文明には見られない政治と軍事の伝統が継承されて来ている。
 わが国最古の兵法書は、平安時代末期、11世紀末から12世紀初めに成立したとみられる『闘戦経』である。作者と考えられている大江匡房は、『孫子』を研究し、「孫子は詫譎(きけつ:いつわり、あざむく)の書」として、これを批判した。どんな手を使ってでも勝つことをよしとするのではなく、正々堂々と戦うことが大切だとした。
 その後、12世紀末に、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、以後、約700年間、わが国では武士が政権を担う時代が続いた。戦士の階級が国を治めるという歴史は、ヨーロッパにも、またシナや朝鮮には見られない、わが国独特のものである。
 鎌倉幕府では、大江家家伝の『闘戦経』は、御家人・文官御家人の愛読書だったとされる。だが、その後、『孫子』『呉子』等が武士の間に普及したのに比べ、『闘戦経』を学ぶ者は一部の武家に限られた。
 やがて武士の間では、義を貫くより利を求める者が増え、下剋上が横行し、戦乱の世となった。そうした戦国時代に終止符を打ったのは、徳川家康だった。
 徳川家康は源頼朝の治世を手本とし、その事跡を研究した。源氏をはじめ由緒ある家柄の武士は、皇室を祖先とし、皇室の政治を模範として仁政に努めた。源頼朝や尼将軍・北条政子は、仁政に努めつつ統治の体制を維持するために、シナ文明の唐代の書である『貞観政要』を学んだ。家康もまた『貞観政要』を読み、徳川260年の基礎づくりの参考にした。「武家の棟梁」にして政治を担う指導者にとって、政治は軍事より上位にあり、軍事は政治の目的に沿って行われるべきものだった。
 家康は、また武田信玄を畏敬し、その軍学を摂取した。武田家では、『孫子』をはじめとするシナ文明の軍事思想を自らのものとし、さらに発展させて、武田流軍学を築き上げた。徳川幕府は武田流軍学を、官許の学として公認した。武田流軍学を集大成した『甲陽軍鑑』は「本邦第一の兵書」といわれるが、単なる軍学の書ではない。自国の領土を治め、他国を従えるために必要な、政治・経済・外交・軍事等の心得に満ちている。
 続いて、日本独自の軍事思想の独自性を示すものとして、『闘戦経』と『甲陽軍鑑』の二つについて述べたい。その後、アヘン戦争から今日までの軍事思想を概観する。

 次回に続く。

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戦略論24~『戦国策』と『兵法三十六計』

2022-07-08 08:18:37 | 戦略論
●『戦国策』

 話を戦略論の書物に戻す。シナ文明には、武経七書以外にも優れた戦略論を書いたものがある。そのうち、『戦国策』と『兵法三十六計』について述べる。
 『戦国策』は、シナ文明の戦国時代の縦横家の権謀術策を書いた書である。戦国時代とは、紀元前402年の周の安王の即位からから紀元前221年の秦の始皇帝によるシナの統一に至るまでの約250年間をいう。縦横家とは、諸子百家の一つで、戦国時代に諸国を遊説して政策を建言した者たちをいう。
 『戦国策』の著者は未詳である。前漢末の劉向は、縦横家たちが諸国の政治への参与を企ててその国のために立てた策謀の記録を、12の国別にほぼ年代順に整えて編集した。その後、内容の多くは散逸したが、再度収録され、南宋の曾鞏(そうきょう)が古本を復刻した。日本でも江戸時代に広く読まれた
 『戦国策』は兵法書ではなく、武経七書に入らない。だが、戦略論という観点から見ると、国家の戦略に係る内容が含まれている。多くの政客弁士が政治・経済・外交・軍事等の広い分野にわたって権謀術策を述べ、功名を競う姿が描かれている。
 「虎の威を借る狐」「漁夫の利」「まず隗より始めよ」「蛇足」など、本書による故事成句は多い。本書において最もよく知られる建策は、合従連衡である。縦横家の蘇秦は、諸国の連合で秦に対抗する合従策を掲げて、六国の相となって15年間、秦に対抗した。しかし、連衡策を説いて秦の宰相となった張儀は、六国を切り崩して協力させ、合従策を破った。六国を滅ぼした秦は、シナ文明で初めての中央集権国家を樹立した。
 対照的に諸国の連合が大国を破った例は、ナポレオン戦争である。イギリスは強大なフランスに対抗するため、中小国から弱小国までを含む国々と対仏大同盟を結んで勝利した。
 ともに外交戦略の重要性を示している史実である。

●『兵法三十六計』

 『兵法三十六計』は、魏晋南北朝時代の兵法書である。武経七書には入らない。大体5世紀までの故事を17世紀明末清初の時代にまとめたものだと言われている。南北朝時代の南朝宋の将軍・檀道済の書だという説もある。あらゆる状況に対応して勝利を得るために、作戦戦略及び戦術を六系統・三十六種類に分類している。その中には、外交戦略の計略も含まれている。

◆勝戦計: 戦いの主導権を握っている場合の計略

 第一計 瞞天渡海 [まんてんとかい: 天を瞞(あざむ)きて海を過(わた)る]
 何度も繰り返して見せかけで物事を行い、敵がそれを見慣れて警戒心を懐かなくなるようにする。

 第二計 囲魏救趙 [いぎきゅうちょう: 魏を囲んで趙を救う]
 敵を集中させず、分散させるよう仕向ける。敵の正面に攻撃を加えるよりも、隠している弱点を攻撃する。

 第三計 借刀殺人 [しゃくとうさつじん: 刀を借りて、人を殺す] 
 自分の戦力を消耗させることなく、同盟者や第三者が敵を攻撃するように仕向ける。

 第四計 以逸待労 [いいつたいろう: 逸を以(もっ)て労を待つ]
 敵の勢いを衰えさせ枯れさせるには、直ちに戦闘するのではなく、敵の疲弊を誘う。

 第五計 趁火打劫 [ちんかだこう: 火に趁(つけこ)んで打(おしこみ)を劫(はたら)く]
 敵の被害が大きいときは、勢いに任せて利益を取る。

 第六計 声東撃西 [せいとうげきせい: 東に声して西を撃(う)つ]
 陽動によって敵の動きを翻弄し、防備を崩してから攻める。

◆敵戦計: 余裕を持って戦えるか同じ力の敵に対する計略

 第七計 無中生有 [むちゅうしょうゆう: 無中に有(ゆう)を生ず]
 無いものをあるように見せたり、あるものを無いと見せて、相手が油断した所を攻撃する。

 第八計 暗渡陳倉 [あんとちんそう: 暗(ひそ)かに陳倉に渡る]
 「陳倉」は地名。偽装によって攻撃を隠蔽し、敵を奇襲する。

 第九計 隔岸観火 [かくがんかんか: 岸を隔てて火を観(み)る]
 敵の内部で離反が起きて秩序に乱れが生じているなら、あえて攻めずに敵の自滅を待つ。

 第十計 笑裏蔵刀 [しょうりぞうとう: 笑裏に刀を蔵(かく)す]
 笑顔で近づき、戦意を隠して、油断を誘う。

 第十一計 李代桃僵 [りだいとうきょう: 李(すもも)が桃に代わって僵(たお)れる]
 桃の木を守るために李の木を倒すように、不要な部分を犠牲にして、全体の被害を少なく抑えて勝利する。

 第十二計 順手牽羊 [じゅんしゅけんよう: 手に順(したが)いて羊を牽(ひ)く]
 相手は大軍になるにつれて統制の隙が生まれる。敵に悟られぬように細かく損害を与えてゆく。

◆攻戦計: 相手が一筋縄ではいかない場合、上手く勝つための計略

 第十三計 打草驚蛇 [だそうきょうだ: 草を打って蛇を驚かす]
 草むらでは不意に棒で草を払うと蛇を驚かせる、状況が分からない場合は偵察を出し、反応を探る。

 第十四計 借屍還魂 [しゃくしかんこん: 屍(しかばね)を借りて魂を還(かえ)す]
 死んだ者を持ち出して、大義名分にして目的を達する。

 十五計 調虎離山 [ちょうこりざん: 調(はか)って虎を山から離す]
 敵を本拠地から誘い出し、味方に有利な地形で戦う。

 第十六計 欲檎姑縦 [よくきんこしょう: 擒(とら)えようと欲(ほっ)すれば姑(しばら)く縦(はな)て]
 敵をわざと逃がして、敵を追い詰めずに、気が弛んだところを捕える。

 第十七計 拠磚引玉 [ほうせんいんぎょく: 磚(かわら)を抛(な)げて玉を引く]
 磚はレンガで、玉は宝石。大したことのない者を使って囮(おとり)にし、敵をおびき寄せて、撃破する。

 第十八計 擒賊擒王 [きんぞくきんおう: 賊を擒(とら)えるには王を擒(とら)えよ]
 敵の王を捕えることで、敵を弱体化する。

◆混戦計: 相手がかなり手ごわく、混戦の時の計略

 第十九計 釜底薪抽 [ふていちゅうしん: 釜底の薪を抽(ぬ)く]
 釜は、燃料の薪を引き抜けば、沸騰が止まる。兵站、大義名分などを攻撃破壊することで、敵の活動を制し、あわよくば自壊させる。

 第二十計 混水摸魚 [こんすいぼぎょ: 水を混ぜて魚を摸(と)る]
 水をかき混ぜて魚が混乱している時に、魚を捕まえるように、敵の内部を混乱させて弱体化させる。

 第二十一計 金蝉脱穀 [きんせんだっこく: 金蝉、殻を脱す]
 蝉が抜け殻を残して飛び去るように撤退したり、軍隊を移動させる。

 第二十二計 関門捉賊 [かんもんそくぞく: 門を関(と)ざして賊を捉(とら)う]
 敵の退路を断ってから、包囲殲滅する。
 
 第二十三計 遠交近攻 [えんこうきんこう: 遠きに交わり近きを攻む]
 遠くの相手と同盟を組み、近くの相手を攻める。

 第二十四計 仮道伐鯱 [かどうばつかく: 道を仮(か)りて虢(かく)を伐(う)つ]
 攻略対象を買収等により分断して、各個撃破する。

◆併戦計: 同盟国間で優位に立つための計略

 第二十五計 偸梁換柱 [とうりょうかんちゅ: 梁(はり)を偸(ぬす)み柱に換(か)う]
 敵の布陣の「柱」の部分の攻撃を同盟軍に押し付け、自軍の立場を優位にする。

 第二十六計 指桑罵槐 [しそうばかい: 桑を指して槐(えんじゅ)を罵(ののし)る]
 本来の相手ではない別の相手を批判し、間接的に本来の目的を達する。

 第二十七計 仮痴不癲 [かちふてん: 痴を仮(か)りて癲(くる)わず]
 愚か者のふりをして相手を油断させ、時期の到来を待つ。

 第二十八計 上屋抽梯 [じょうおくちゅうてい: 屋(おく)に上げて梯(はしご)を抽(はず)す]
 屋根に上らせてから梯子を外せば、敵は下りたくとも下りられないように、敵の自縄自縛を促す。

 第二十九計 樹上開花 [じゅじょうかいか: 樹上に花を開(さか)す]
 小兵力を大兵力に見せかけて敵を欺く。

 第三十計 反客為主 [はんかくいしゅ : 反(かえ)って客が主(あるじ)と為(な)る]
 いったん従属あるいはその臣下となり、内から乗っ取る。

◆敗戦計: 自国が極めて劣勢の場合に用いる計略

 第三十一計 美人計 [びじんのけい]
 相手に土地や金銀財宝を献上するから、美女を献上して敵将を色に溺れさせる。

 第三十二計 空城計 [くうじょうけい]
 自分の陣地に敵を招き入れることで敵の警戒心を誘い、攻城戦や包囲戦を避ける。

 第三十三計 反間計 [はんかんけい]
 敵の間者(スパイ)に偽情報が流れるように工作する。敵の間者を直接に脅迫ないし買収して二重スパイにする。

 第三十四計 苦肉計 [くにくのけい]
 人間は自分で自分を傷つけることはないと思い込む心理を利用して敵を騙す。

 第三十五計 連環計 [れんかんのけい]
 敵の勢力が強大な時は正面から攻撃するのは愚策。敵内部に弱点や争点をつくりだし足の引っ張り合いをさせる。

 第三十六計 走為上 [そういじょう: 走(に)ぐるを上(じょう)と為(な)す]
 勝ち目がないならば、戦わずに全力で逃走して損害を避け、次回に備える。「三十六計逃げるに如かず」ということわざの由来。

 これらが三十六計である。そのうち、第二十三計「遠交近攻」は、外交戦略の計略として知られている。また、第三計「借刀殺人」、第十四計「借屍還魂」、第二十六計「指桑罵槐」、第二十七計「仮痴不癲」、第三十計「反客為主」、第三十一計「美人計」なども、外交戦略の計略と見ることができる。このように考えるならば、三十六計のうちの7つ、約2割が外交戦略に関わるものである。『兵法三十六計』は、軍事戦略において外交戦略を重視し、軍事と外交を総合した兵法書なのである。

●この項目の結び

 以上で、シナ文明の軍事思想の概述を終える。
 シナ文明では、軍事において戦略的な思考が発達していたとともに、政治と軍事、国家的な戦略と軍事的な戦略の関係についても、深い思考がされて来た。そして、今日においてもシナ文明の軍事思想から得られるものは多い。研究は、シナ文明を礼賛するためではない。『孫子』の「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」の実践のためである。

 次回に続く。

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戦略論23~『三略』の概要、韜略の書のまとめ

2022-07-06 09:09:39 | 戦略論
●『六韜』『三略』(続き)

◆『三略』の概要

 今日、「戦略」という漢字単語が西洋単語の strategy の訳語に使われるようになっているが、「略」の文字が計略・策略の意味で書名に使われているのが、『三略』である。
 『三略』は、上略・中略・下略の三巻から成る。内容は、今日言うような戦略論を体系的に説いたものではない。基本的には、国を治める政治の大道から、政治と軍事の計略を説くものである。その思想には道家、とりわけ『老子』の影響が指摘されている。

 上略: 政治を整えるには人材を招くことが先決であることを説く。また政治の要諦を述べる。
 中略: 策略の必要性、組織の統率等を論じる。
 下略: 治国の要諦や臣下の使い方等を述べる。

◆『三略』の内容

 『三略』は、人材の獲得と活用を重視する。
 上略には、次の言葉がある。
 「国を滅ぼし家を破るは、人を失えばなり」
 (大意: 国を滅亡させ、家を破滅させるのは、人材を失ったからである)
 「それ兵を用うるの要は、礼を崇くして禄を重くするに在り」
 (大意: 兵を用いる要諦は、礼儀を篤くして、禄を高くすることにある)
 「寡を以って衆に勝つものは恩なり。弱を以って強に勝つものは民なり」
 (大意: 兵が少なくても勝つためには、恩賞が必要である。弱い国が強い国に勝つためには、人民の協力が必要である)
 中略には、次の言葉がある。
 「義士を使うに財を以ってせず。故に義者は不仁者のために死せず。智者は闇主のために謀らず」
 (大意: 節義を固く守る人物を使うには、報酬をもってしてはいけない。義に生きる人物は、仁を欠く者のためには死なない。優れた知恵のある者は、暗愚な君主のためには、智謀を働かせない)
 ここで君主にとって必要なことは、自らの人格を磨いて、義人や智者を集め、生かせるように、徳をもって人を感化できるようになることである。
 下略には、次の言葉がある。
 「衆疑えば国を定むるなく、衆惑えば民を治むるなし。疑い定まり惑い還りて、国すなわち安かるべし」
 (大意: 多くの臣下が君主を疑えば、国が安定することはなく、多くの臣下が惑えば庶民を治めることはできない。疑いがなくなり、惑いが消えることで、国は安定するものである)
 「有徳の君は、楽を以て人を楽しましめ、無徳の君は、楽を以て身を楽しましむ。人を楽しましむる者は、久しくして長く、身を楽しましむる者は、久しからずして亡ぶ」
 (大意: 徳のある君主は、臣下や庶民を楽しませ。徳のない君主は、自分が楽しむだけである。他者を楽しませる者は、治世が久しく長く続き。自分が楽しんでいるだけの者は、治世が長続きせずに滅ぶ)
 最後に、『三略』で最も有名な一句について記す。「柔よく剛を制す」である。上略に見える言葉である。
 「軍讖に曰く。『柔は能く剛を制し、弱は能く強を制す』と。柔は徳なり、剛は賊なり。弱は人の助くる所。強は怨の攻むる所なり。柔、設くる所あり、剛、施す所あり、弱、用ふる所あり、強、加ふる所あり。この四者を兼ねて、その宜しきを制す」
 (大意: 軍讖 [現存しない幻の書] に「柔は能く剛を制し、弱は能く強を制す」とある。柔は徳であり、剛は賊である。弱い者は、人が助けようとし。強い者は、怨恨を買って攻められる。柔、剛、弱、強の四つのあり方には、それぞれに用い方がある。だから時と場合に応じて使い分けることが必要である)
 「軍讖に曰く、『能く柔に能く剛なれば、その国弥々光あり、能く弱に能く強なれば、その国弥々彰はる。純ら柔に純ら弱なれば、その国必ず亡ぶ』と。それ国を為むるの道は、賢と民とを恃む。賢を信ずること腹心のごとく、民を使ふこと四肢のごとくすれば、則ち策、遺すことなし。適く所、肢体の相随ひ、骨節の相救ふがごとし、天道の自然、その巧、間なし」
 (大意: 軍讖に『適切に柔にして剛であれば、その国はますます光り輝き、、また適切に弱にして強であれば、その国はますます顕彰される。もっぱら柔で弱であれば、その国は必ず亡ぶ』とある。国を治める道は、賢者と庶民をともにあてにすることである。賢者を腹心のように信頼し、庶民を自分の四肢のように使うようになれば、いかなる策も遺すことがない。そのぴたっとした状態は、四肢と胴体が随い、骨と間節が伴うようになる。天道の自然のように、その巧みなことは間然する所がない)
 この最後の言葉は、特に老荘思想の影響が顕著である。

◆『六韜』『三略』のまとめ

 『六韜』『三略』は、作戦戦略・戦術について、『孫子』の内容に肯定的である。『孫子』の説くことの正しさを裏付けたり、『孫子』の作戦戦略・戦術を応用・発展させている。『孫子』と対比して特徴的なのは、政治と道徳に関する思想である。
 シナ文明では、天命思想のもとに、政治と道徳は一体のものと考えられてきた。『孫子』は、戦争を軍事中心ではなく国家の盛衰興亡の観点から考え、国家の維持・発展という国家目標を実現するための思想を説いている。政治が軍事より上位とされている。しかし、政治と道徳の一体性については、明確に述べていない。その点、『呉子』は為政者における道徳の重要性を説き、『六韜』『三略』はそれをさらに強調している。『呉子』は儒教を踏まえて政治道徳を説くのに比べ、『六韜』『三略』は儒教に加えて老荘思想の影響も見られる。これらの書は、それぞれ『孫子』における政治道徳思想の不足を補うものとなっている。
 近代西洋文明では、政治と道徳は切り離され、政治を語る際に為政者に道徳は求められない傾向がある。だが、本来、人間の社会では、政治と道徳は一体のものである。シナ文明の兵法書に戦略だけを求めるのであれば、『孫子』のみに注目すればよいだろう。だが、国家のあり方を考えるのであれば、『呉子』『六韜』『三略』も読むべきものである。本稿は単なる戦略論の基礎的な研究ではなく、国家を論じるために戦略論を研究するものゆえ、『呉子』『六韜』『三略』等を取り上げている。後に記す『甲陽軍鑑』にも同じ理由で注目している。(註 3)
 ところで、私の見るところ、シナ文明では、儒教や老荘思想に依拠する政治道徳思想は、為政者にとって真に努力し実践すべきものとはなっていなかった。統治の根本に天命思想があるので、為政者の建前として理想目標を掲げているに過ぎない。人民・官僚を服従させる権威を醸し出すための、一種の飾りでしかなかった。
 それが明確になるのは、漢の時代である。漢は儒教を国教としたが、実質的には儒教的な理念の下で、法家的な政治が行われた。法家には、老荘思想が流れ込んでいる。漢代以降、儒家と法家は融合し、儒法融合の政治学によって、シナ社会は、理念としては高尚な徳治主義、行政としては厳格な法治主義、だが実態は汚職や賄賂が横行する人治主義の社会となった。世俗的な欲望をたぎらせた人治主義の実態は、徳治主義の理念によって粉飾され、物事は法治主義の執行によって権力者に都合よく処理される。こういう複雑な構造が、シナ文明では今日まで続いている。共産主義は、その構造を近代的な理論で正当化するものとなっている。


(3) 政治と道徳については、拙稿「民主主義対専制主義~米中対決の時代に」の「6.もっと政治と道徳を語ろう」に書いたので、そちらをご参照下さい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-20.htm

 次回に続く。

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戦略論22~『六韜』の概要

2022-07-04 09:29:10 | 戦略論
●『六韜』『三略』

◆韜略の書

 『六韜(りくとう)』は、周の功臣、太公望呂尚(ろしよう)の著と伝えられる。仮託であり、戦国時代末期の作と見られる。『三略』は周の太公望の撰述で黄石公(こうせきこう)が漢の功臣、張良に授けたと伝えられるが、後漢末の仮託と見られる。
 『六韜』『三略』を合わせて、六韜三略といい、併称して韜略の書ともいう。宋代に武経七書のうちに組み入れられ、シナ文明の兵法の教科書として広く読まれてきた。わが国では、『孫子』に次いで読まれてきた。

◆『六韜』の概要

 『六韜』は、太公望呂尚が周の文王・武王の問いに対し、経世済民の術、富国強兵の策を説くもの。韜は、剣や弓を入れる皮袋の意。3巻60編からなるという見方と、文韜・武韜・龍韜・虎韜・豹韜・犬韜の6巻からなるという見方がある。後者の見方によれば、文韜・武韜は治国、龍韜は奇変、虎韜は勇猛果断、豹韜は奇計、犬韜は突進を主題としている。虎韜は「虎の巻」として兵法の極意の意味の慣用句ともなっている。
 戦国時代から漢代の兵法戦術を集成したものだが,単に戦術のみでなく,人間学、組織論、政治と軍事の計略などを説く。儒教とともに老荘思想の影響が見られる。

 文韜: 戦争を始めるにはどういう準備が必要について、政治のあり方を論じる。
 武韜: 引き続き、主として政治戦略を説く。
 龍韜: 作戦指揮や兵力配置を中心に述べる。
 虎韜: 平野で戦う際の戦略・戦術や武器の使用法等を述べる。
 豹韜: 特別な地形に応じた戦い方を説く。
 犬韜: 兵士の教練や編成、各兵種の協同作戦等を述べる。

◆『六韜』の内容

#君主のあり方
 太公望は、文韜で、文王に対して次のように述べる。
 「天下は一人の天下にあらず、及ち天下の天下なり。天下の利を同じくする者は、則ち天下を得、天下の利を擅にする者は、則ち天下を失う」
 (大意: 天下は君主一人のためのものではない。天下すべての者の天下である。天下の利益を共有しようとすれば、天下を手中に収めることができるが、独り占めにしようとすれば天下を失う)
 また、次のように述べる。
 「君不肖なれば則ち国危うくして民乱れ、君賢聖なれば則ち国安くして民治まる。禍福は君に在り、天の時に在らず」
 (大意: 君主が愚かであれば、国家は危うくなり、人民は乱れる。君主が知徳に優れていれば、国家は安泰で人民は治まる。災禍と幸福の原因は君主にあるのであって、天の時にあるのではない)
 また、文韜で、文王が次のように問う。「国を治めるために重要な務めを聞きたい。人民を安心させたいのだが、それにはどうすればよいか」。太公望は、「民を愛するのみ」と答える。文王は「民を愛するとは、どういうことか」と訊く。太公は、次のように答える。
 「利して害することなかれ。成して敗ることなかれ。生かして殺すことなかれ。与えて奪うことなかれ。楽しましめて苦しむることなかれ。喜ばしめて怒らすことなかれ。故に善く国を為むる者は、民を馭すること父母の子を愛するがごとく、兄の弟を愛するがごとく、その飢寒するを見れば則ちこれがために憂へ、その労苦するを見れば則ちこれがために悲しみ、賞罰は身に加わるがごとく、賦歛は己より取るがごとし。これ民を愛するの道なり」
 (大意: 利益を与えて損害を与えないようにし、成功して敗北することのないようにし、民を生かして殺さないようにし、与えて奪わないようにし、喜ばせて怒らせないように、なさって下さい。国を治める君主は、父母が子を愛するように民をなつけ、兄が弟を愛するようにし、民が飢えて寒がるのを見れば心配し、労苦するのを見れば悲しむものです。賞罰を加えるときには自分にも加えるようにし、税金を取り立てるときには自分から取り立てるように、なさって下さい。それが民を愛する道です)
 ここにおける太公望の文王への言葉は、軍師が君主に語る言葉ではない。むしろ、王師すなわち王の師範の言葉である。軍事の指導者の助言というより、精神的な指導者の教えである。こういう内容があるのが、『六韜』の特徴である。

#武力によらず敵を撃つ方法
 では、『六韜』には為政者の道徳ばかりで、軍事に関することはないのかというとそうではない。そこには『孫子』に通じる策略も盛られている。
 例えば武韜において、文王は「武力を使わないで目的を達するにはどうすればよいか」と尋ねる。太公望は「次の12の方法が考えられます」と答える。

1.相手の要求を聞き入れ、相手に驕りの心が生じて墓穴を掘るようなことをした時。そこにつけ込む。
2.敵国の寵臣を手なずけて、君主と対立させる。
3.敵の側近に賄賂を贈って、心をとらえる。
4.敵の君主に珠玉を贈り美人を献じ、政治を忘れさせる。
5.敵の君主に忠臣を疑わせるようにし、結束に楔を打ち込む。
6.敵の臣下を懐柔して利用する。
7.敵の寵臣を買収し、食糧の生産を低下させ、貯えを空にする。
8.敵の君主に重宝を贈って親交を重ね、我が方に協力させる
9.敵の君主を誉め上げて、尊大にさせる。
10.敵の君主に頼りになる味方だと思わせ、信頼を得た後に切り崩しをはかる。
11.相手国の有能な臣下に高い地位を約束し、高価な贈り物をして手なずける。
12.美女や歌舞団を送って、敵の君主の関心をそちらに向けさせて惑わす

 以上の12の策をすべて試みてから武力を行使する。これなら勝てると見きわめてからはじめて軍事行動を起こす。ここには『孫子』と同じく「戦わずして勝つ」のが最善の策とする考え方が現れている。

 次回に続く。

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戦略論21~『呉子』と『孫子』の比較

2022-07-02 09:08:03 | 戦略論
●『呉子』(続き)

◆思想(続き)

#勝つための方法
 次に、調和をもって団結して戦争を行うことにした場合、どのようにして勝利を得るかについて目を転じよう。私の見るところ、『呉子』は作戦戦略や戦術に関しては、『孫子』の説くことの適切さを認め、ほとんどそれに従っている。
特徴的なのは、呉起が勝つための方法として、人民の教育・訓練の重要性を強調していることである。
 『呉子』治兵篇に次のようにある。
 「夫れ、人は常に其の能(あた)わざる所に死して、其の不便なる所に敗る。故に用兵の法は、教え戒(いまし)むるを以て先と為す。一人戦いを学べば十人を教え成し、十人戦いを学べば百人を教え成し、百人戦いを学べば千人を教え成し、千人戦いを学べば万人を教え成し、万人戦いを学べば三軍を教え成す」
 (大意: そもそも、人は常に何かができないことが原因で死に、その不都合がある所で敗北する。それゆえ、兵を用いる方法では教え戒めることを先に行う。
 一人が戦いを学べば、その一人が十人を教えて育成し、十人が戦いを学べば、百人を教えて育成し、百人が戦いを学べば、千人を教えて育成し、千人が戦いを学べば、万人を教えて育成し、万人が戦いを学べば、全軍を教えて育成することができる)
 これは、戦争を始める前の教育・訓練の重要性を説いている。一人が戦いを学べば十人、十人なら百人、百人なら千人、千人なら万人という具合に習得者を10倍していって、万人が戦いを学べば全軍を教えて育成することができるという考え方である。
 呉起は、図國篇で、勝つための方法として、軍における適材適所、銃後の国内の充実を説く。
 「君能く賢者をして上に居り、不肖者をして下に処らしむれば、則ち陣すでに定まれるなり。民、そ の田宅に安んじ、その有司に親しめば、則ち守りすでに固し。百姓皆吾が君を是とし隣国を非とせば、則ち戦いすでに勝てるなり」
 (大意: 君主が賢者を抜擢して上位に就け、愚者は能力に合わせて下位に配置する。このようにすれば、軍隊は安定する。また、人民は田畑や住居にいて安心し、その地の役人と親和していれば、国の守りは堅い。人民が君主を支持し、隣国を非難すれば、戦う前から勝利は決まっている)
 呉起は、また勝つための方法として、規律の厳守を挙げている。応変篇に次のようにある。
 「令に従わざる者は誅(ちゅう)す。三軍威に服して、士卒は命を用(もち)う。則ち戦いて強敵無く、攻めて堅陣(けんじん)無し」
 (大意: 軍令に従わない者は、誅殺して処罰する。全軍が法令を恐れてこそ、兵士は命令を聞く。そうなれば強敵がなく、攻めて落とせない堅陣もなくなる)
 別の角度から説いた言葉が、励士篇にある。
 「兵は治を以て勝となす、衆にあらず。もし法令明らかならず、賞罰信ならず、これを金して止まらず、これを鼓して進まざれば、百万ありといえども、何ぞ用に益さん」
 (大意: 勝利は統治によって得る事ができる。兵の数の多さによってではない。法令が明確でなく、賞罰が公正を欠き、停止の合図をしても部隊が止まらず、進発の合図をしても進まなかったならば、百万人の大軍があったとしても何の役にも立たない)
 ここに賞罰のことが説かれているが、呉起は、治兵篇で、賞罰はそれ自体では勝利の保証とはならないという考えを述べている。そこでは、君主が号令を発すれば兵卒が喜んで服従する、動員命令を出せば喜んで戦場に赴く、敵と刃を交えれば喜んで一命を投げ出すという三つの条件が満たされてこそ、勝利は保証されると説いている。そのためには、単に信賞必罰を行うのみならず、また功績のある者を抜擢して手厚く遇するだけでなく、功績のない者に対しても激励の言葉をかけてやることが大切だという。
 勝つための方法は他にもあるが、最終的には将軍の力量に尽きると、呉起は説いている。戦場におけるトップリーダー次第だということである。
 治兵篇に次の一節がある。
 「呉子曰く、凡そ兵戦の場とは、屍(しかばね)に止まるの地なり。必死は則(すなわ)ち生き、幸生(こうしょう)は則ち死す。
 其れ善く将たる者は、漏船(ろうせん)の中に坐(ざ)して、焼屋(しょうおく)の下に伏するが如(ごと)し。智者をして謀(はかりごと)を及ばざらしめ、勇者をして怒りに及ばざらしめて、敵を受くるも可なり。
 故に曰く、用兵の害とは、猶予(ゆうよ)が最大にして、三軍の災いは孤疑(こぎ)に生ずと。
 (大意: そもそも戦場とは、人が(しかばね)となる所である。死に物狂いで戦った者が生き残り、生きることに固執する者は死んでしまう。戦場の最高責任者である将軍は、自分が船底に穴が空いている船に座っていると思ったり、燃えている家の下に伏していると思わなければならない。このような心構えがあってこそ、敵の智者の謀に引っかからず、敵の勇者を奮戦させずに、敵を受けて立つことができるのだ。それゆえ。用兵の害は、余裕あるからと油断することが最大の害であり、軍隊の本当の災いは将軍が孤立して皆がお互いを疑うことから生じると呉起はいう)

◆『孫子』との比較

 呉起は孔子の弟子の曽子に儒教を学び、政治家としても活躍した。そのことから、『呉子』には、儒教の思想を加えた兵法書になっているという特色がある。孔子の書と孫武の書を結ぶところに、呉起の書があると言えよう。
 だが、『呉子』の後世への影響は『孫子』ほど大きくない。その理由は、『孫子』は戦略を重視し、古今東西の戦いに通じる高い普遍性を持つのに比べ、『呉子』は、シナの春秋戦国時代の軍事的状況に基づく内容が多いことにあると考えられる。わが国でも『呉子』が『孫子』に比べて評価が低く、知名度も低いのは、そのためだろう。だが、『呉子』の特徴は、国家・組織のあり方、人民の教育・訓練の重要性について詳しく説いていることにあり、この点で『孫子』の内容を補うものとなっている。シナではそのことが高く評価されて、『呉子』が『孫子』と並ぶほどの高さに位置づけられたと考えられる。『孫子』の一書だけでは足りないのである。国家論の観点からは、『呉子』を学ぶことなくして、『孫子』を語ることなかれ、と言っても過言ではない。

 次回に続く。

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戦略論20~『呉子』の概要

2022-06-29 08:12:45 | 戦略論
●『呉子』

◆概要

 『呉子』は、シナ文明の武経七書の一つ。『孫子』と並び称されてきた兵法書である。

◆著者

 著者は、戦国時代の兵法家・呉起(前440年頃~前381年)に帰せられる。
 呉起は魯で孔子の弟子の曽子に学び、魯の将軍となった。その後、魏の文侯に仕え、秦を破り、政治家としても成果を上げた。だが、讒言にあって楚に亡命し,悼王に仕えて宰相として改革を断行したものの、王の没後、反乱によって非業の最期を遂げた。

◆テキスト

 呉起が著述したものか、門下の著作か、後人の手になる偽書かについては、諸説がある。『漢書』芸文志には四八編、『郡斎読書志』には六編三巻と記されているが、現存は唐の陸希声が編集した六編一巻である。

◆構成

 『呉子』は、呉起と魏の文侯との対話形式で記されている。以下の6篇からなる。

 序 章: 呉起と文侯との出会いを述べる。
 図国篇: 政治と戦争のあり方を述べる。
 料敵篇: 敵情の分析の仕方を記す。
 治兵編: 軍の統率の原則を記す。
 論将篇: 将軍について論じる。
 応変篇: 臨機応変の大切さを説く。
 励士篇: 士卒を励ますことを述べる。

◆思想

#不和をなくして団結する
 『呉子』は、最初に国家・組織はどのようにあるべきかを説く。重要なのは、どのようにして不和でなく調和を生み出すかである。そこには儒教の教えの影響がみられる。
 呉起は、『呉子』の図國篇で、次のように述べる。
 「呉子(ごし)曰(いわ)く、昔の国を図(はか)る者は、必ず先に百姓を教えて万民に親しむ」
 (大意:昔、国のことを考えた者は、必ずまず庶民を教化し、万民に親しむようにした)
 この一節に『呉子』の思想の特徴がよく出ている。庶民に教育を行って、知識や道徳を身に着けさせるとともに、為政者が万人に親しむようにして、国家に和を生み出すことが政治の目的であり、それが軍事の基本でもあるという考え方である。
 そして、国家や組織に不和がある場合に、行ってはいけないことを戒める。
 「不和には四有り。国において不和あれば、以(も)て軍を出すべからず。軍において不和あれば、以て陣(じん)を出すべからず。陣において不和あれば、以て進み戦うべからず。戦いにおいて不和あれば、以て戦いを決すべからず」
 (大意: 不和には四つある。国において不和があるならば、軍を出してはならない。軍において不和があるならば、陣を敷いてはならない。陣において不和があるならば、進んで戦ってはならない。戦いにおいて不和があるならば、戦いを決着しようとしてはならない)
 そこで、君主がなすべきことを次のように説く。
 「是(ここ)を以て有道の主は、将(まさ)に其(そ)の民を用(もち)いんとするに、先ず和して大事を造(な)す。其の私謀(しぼう)を敢(あ)えて信ぜず。必ず祖廟(そびょう)に告げ、元亀(げんき)を啓(ひら)いて、天時に参(まじ)え、吉にして後挙ぐ」
 (大意: このようなわけで、物事の道理をわきまえた君主は、人民を戦争に用いようとする時に、先ず人民との調和を生み出しから大事をなそうとする。
 君主は、自分の考えが正しいものと過信せず、必ず先祖代々の霊廟に計画を報告する。また、亀の甲羅を割って天の時にかなっているかを占い、吉であるという結果が出てから挙兵する)
 君主がこのようにする時、人民はどういう反応をするか。
 「民、君の其の命を愛するを知り、其の死を惜(お)しまず。若(も)し此(こ)こにありて之とともに難に臨めば、則ち士は進み死ぬを以て栄と為(な)し、退(ひ)きて生くるを辱(はじ)と為す」
 (大意: 人民、君主が自分たちの命を愛している事を知り、君主のために死ぬことを惜しまなくなる。もし、このような状態になってから人民と行動を共にするのであれば、難局に臨んで、士卒は進み死ぬことを自らの栄誉とし、逃げて生きることを己の恥とする)
 これによって、強い団結が生まれる。国家が一丸となって戦いに向かうというわけである。

 次回に続く。

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戦略論19~『孫子』の日本・欧米・現代への影響

2022-06-27 12:29:56 | 戦略論
●『孫子』(続き)

◆日本での摂取・活用

 『孫子』が日本に伝えられたことを史料的に確認できるのは、『続日本紀』天平宝字4年(760年)の記述とされる。遣唐使として唐に留学した吉備真備は、シナ文明の古典とともに『孫子』『呉子』をはじめとする兵法も学んだと推測されている。764年に起きた藤原仲麻呂の乱で、真備は実戦に活用したと見られている。
 奈良時代・平安時代の貴族は、『孫子』を学問・教養の書として受け入れた。平安後期の大江匡房は、源義家に『孫子』を教え授けた。義家が前九年の役・後三年の役の折、『孫子』の「鳥の飛び立つところに伏兵がいる」という教えから伏兵を察知し、敵を破ったという話が『古今著聞集』に記されている。
 大江匡房は、『孫子』の戦略・戦術が優れていることを深く理解したうえで、無批判に摂取することを戒めるため、日本最古の兵法書である『闘戦経』を著わした。
 平安後期に歴史の舞台に登場した武士たちは、『孫子』を活用することは少なかったと見られている。当時のわが国における戦争は、武士が個人の技量を競う戦闘が主であったためとされる。そこに変化が生じたのは、平安末期から足軽が登場し、歩兵の集団戦法が重視されるようになったことによる。組織戦が主体となると、『孫子』に学ぶものは多い。中でも、武田信玄が『孫子』の一節から採った「風林火山」を旗指物にしていたことは有名である。
 風林火山の一句は、軍争篇の「その疾(はや)きこと風のごとく、その徐(しず)かなること林のごとく、侵掠(しんりゃく)すること火のごとく、動かざること山のごとく、知り難きこと陰(いん)のごとく、動くこと雷震(らいしん)のごとし」による。
 徳川幕府が天下を治めるようになると、戦国時代に蓄積された軍事知識を体系化しようとする研究が進んだ。それが兵学(軍事学)である。江戸時代には、50を超える『孫子』の注釈書が現れた。中でも山鹿素行の『孫子諺義』、荻生徂徠の『孫子国字解』が代表的である。
 明治維新以降、日本は近代西洋文明に追いつくため、主にプロイセン流の軍事学を導入して軍事力を増強していった。『孫子』に対しては、近代的な観点から時代遅れとする否定的な見方と、西洋にない独自のものとして価値を認める肯定的な見方が併存してきた。
 日露戦争の英雄、東郷平八郎は、「ロシアのバルチック艦隊が最短コースを取ってウラジオストックに入港する」と、その進路を予測した。そして連合艦隊に「対馬海峡で迎え撃て」と命令した。東郷の予測どおり、バルチック艦隊は、太平洋ではなく日本海に針路を取り、対馬海峡に一列縦隊で現れた。ここで東郷は、東郷ターンと呼ばれる奇策、丁字戦法をもって、敵艦隊を撃破して勝利を収めた。
 凱旋後、戦法について聴かれた東郷は、「佚(いつ)を以て労を待ち、飽を以て饑(き)を待つ」と答えた。『孫子』軍争篇の一節である。大意は「遠くからやってきて疲労し、腹をすかせた敵に対して、自分たちは休息を取り、充分に食事をとって敵を待つ」という意味である。東郷は、バルチック艦隊は長旅で疲れて果てており、最短距離を進むと考えた。加えて、敵艦隊は疲労蓄積で集中力を欠き、砲撃の命中率は低いと考えたのである。ここには、『孫子』の作戦戦略が見事に生かされている。
 だが、第1次世界大戦、第2次世界大戦の時代に移ると、わが国では欧米の戦略・戦術の影響が圧倒的になり、『孫子』から欧米にないものを学び、実践しようとする姿勢が後退した。主に軍人個人が研究の対象とする程度になった。
 次の項目に書くように、欧米で『孫子』の評価が高まるにつれ、わが国でも再評価がされるようになった。

◆欧米での翻訳・研究
 
 『孫子』が欧米で広く知られるようになったのは、20世紀になってからである。1905年にイギリス陸軍大尉E・F・カルスロップによる英訳版が出た。日本人の助けを借りて完成させたものだった。だが、イギリス人のシナ学者ライオネル・ジャイルズは、その翻訳を厳しく非難し、シナ語の原典から訳した『孫子』の英語版を1910年に出版した。同じ年、別の翻訳者によるドイツ語版も出た。
 こうしてようやく欧米人も『孫子』を読めるようになったわけだが、その前からある程度、紹介はされていた。1772年、清朝の時代に、イエズス会の宣教師ジョセフ・マリー・アミオ(銭徳明)が抄訳に解説を付けたものをフランス語で出版している。
 第2次世界大戦後、『孫子』は欧米で高く評価されるようになった。現在、『孫子』はクラウゼヴィッツの『戦争論』と並んで、東西の二大戦争書と位置づけられている。両書は各国の高級指揮官教育において不可欠な教材となっている。アメリカ国防総合大学校やイギリス王立国防大学校をはじめとする国防関係の教育機関で教育・研究されている。
 両書を比較すると、『孫子』は古代シナ文明における前近代国家の戦争を論じているのに対し、クラウゼヴィッツの『戦争論』は、近代西洋文明における国民国家の戦争を論じている。基本的に、国家のあり方、武器の発達の程度などに大きな違いがある。特に重要なのは、『孫子』は「戦わずして勝つ」ことを最善の策とするのに対し、『戦争論』は決定的会戦を重視し、軍事力の正面衝突による敵兵力の殲滅、敵国の完全打倒を目指して戦争を論じているところにある。
 『戦争論』の戦争観を延長すれば、戦争は拡大を続け、ついには国家の総力を投入する総力戦とならざるを得ない。世界大戦の時代は、こうした戦争観への反省をもたらした。総力戦論を批判したリデル=ハートは『戦争論』より『孫子』を賞賛し、『孫子』を古今東西の軍事学書の中で最も優れていると評価した。そして、直接的な武力衝突ではない「間接的アプローチの戦略」によって勝利すべきと論じた。(詳しくは後の項目で述べる)

◆現代における活用

 現代において最も『孫子』をよく学び、活用しているのは、中国共産党である。毛沢東は、シナ文明の春秋時代・戦国時代の兵法書を愛読し、それを革命の軍事に応用した。国民党軍と交戦しながら延安に向かった長征の間に戦略を練った際、『孫子』や『資治通鑑』等から大いに学んでいる。『矛盾論』や『持久戦論』等に、書名を挙げてその内容を引用している。シナの共産化の実現には、欧米流ではない『孫子』の兵法が生かされたのである。
 米国の中国研究の権威マイケル・ピルズベリーは、中国共産党は19世紀半ばから100年にわたり欧米諸国によって支配された屈辱に復讐するために、中華人民共和国建国以来、100年後の2049年には世界の覇権を米国から奪うという野心をもって、「100年マラソン」を着々と走ってきたと主張する。彼は、この「100年マラソン」戦略は、中国で「タカ派」を自称する者たちが『孫子』『戦国策』『兵法三十六計』等をもとに作り上げたものだと指摘している。(詳しくは後の項目で述べる)
 『孫子』は、経営の世界でも幅広く活用されている。マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツが愛読していることは、よく知られている。日本の経営者やビジネスマンに人気のある雑誌は、しばしば『孫子』を取り上げ、評論家・ジャーナリストなどが現代の経営の観点から解説している。

 次回に続く。

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戦略論18~『孫子』の軍事戦略・作戦戦略・戦術

2022-06-25 08:06:36 | 戦略論
●『孫子』(続き)

◆思想(続き)

#軍事戦略
 孫子は、計篇で、戦争を行う前に、敵味方の実情を詳細に比較・分析し、充分な勝算が見込める時にのみ兵を起こすべき、と説く。軍議においてその比較・検討を行うために、「五事」「七計」を挙げる。
 五事とは、「道」すなわち国民が君主と心を同じくして死生を共にして危険を恐れないこと、「天」すなわち昼夜・寒暑・季節などの自然の条件、「地」すなわち遠近・広狭・地形などの地理的条件、「将」すなわち智・信・仁・勇・厳に係る戦争指導者の力量、「法」すなわち軍の編成・制度・規律等――をいう。
 七計とは、君主は敵味方のどちらが人心を掌握しているか、将軍はどちらが有能か、天候・地形等はどちらの軍に有利か、軍法軍令はどちらがよく守られているか、軍隊はどちらが強いか、兵卒はどちらがよく訓練されているか、賞罰はどちらが明確に行われているかーーをいう。
 以上のような事柄を比較・検討して、勝算の有無を判断する。その上で計画を立て、こちらが有利だった場合は、戦争を準備すべきだと説く。「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」という言葉は、こうした考え方をよく表している。
 謀攻篇にて、孫子は説く。「彼を知りて己(おのれ)を知れば、百戦(ひゃくせん)して殆(あや)うからず。彼を知らずして己(おのれ)を知れば、一勝(いっしょう)一負(いっぷ)す。彼を知らず己(おのれ)を知らざれば、戦うごとに必ず殆(あや)うし」
 (大意: 敵を知り己を知るならば、百戦しても危ういことがない。敵を知らず己のみを知るのであれば、勝率は五分五分である。敵を知らず己も知らなければ、戦うごとに危うい」

#作戦戦略及び戦術
 作戦戦略及び戦術については、主に謀攻篇、形篇、勢篇、虚実篇、軍争篇、九変篇、行軍篇、地形篇、九地篇、火攻篇、用間篇において説かれている。
 その作戦戦略は、「兵は詭道なり」の一句に集約される。詭道とは、敵に対して、騙す、偽る、隠す、出し抜く等の策略を用いることである。例えば、有能であるのにそれを隠して不能を装ったり、必要なのに不必要に見せたり、近づくとみせて遠ざかり、遠ざかると見せて近づいたりする。強力な相手に対しては争いを避けたり、卑屈な態度をとって驕り高ぶらせたりする。などである。
 また、作戦行動においては、次のことを実行することを説く。主導権を握って変幻自在に戦うこと、敵の準備不足を攻め不意を衝くこと、敵と対峙するときは正攻法の作戦を採用し奇襲によって勝つこと、守勢の時は鳴りをひそめ攻勢の時は一気にたたみかけること、勝算があれば戦い、無ければ戦わないこと。兵力の分散と集中に注意し、たえず敵の状態に応じて戦うことなどである。
 『孫子』には『易経』の思想の影響が指摘されている。その点は、「戦略研究の哲学的課題」の項目に書いた。影響が最も色濃く見られるのは、勢篇である。『易経』繋辞上伝に「一陰一陽これを道という」とある。その大意は「あるいは陰となり、あるいは陽となって無窮の変化を繰り返す働き、これを道という」ということであり、物事を固定的でなく、無限の変化の相としてとらえている。『孫子』は、こうした世界観に立って、戦いにおいては常に変化する状況に応じて判断・行動すべきことを教えている。
 なかでも、勢篇において、変化に応じて勢いに乗ることを説いているのは、豊富な実戦経験に基づくものだろう。勢いに乗るとは、兵に対して坂道を転がる木石のような勢いを発揮させることである。丸い石を谷底へ転がすような態勢を作り、人員を充てることを説いている。こうした勢いは、戦いの流れを変え、勝機を生み出す。勢いに乗ることは、勝敗の運をつかむことにも通じる。
 こうした作戦戦略のもとに、具体的な戦術論が示されている。行軍の仕方、地形に応じ戦い方、火攻めの仕方などである。
 最後の節は、用間つまりスパイの活用を説く。諜報活動によって敵情を調査し、その情報を戦いに生かすのである。用間には、相手の領民を使って探る郷間、相手の役人を買収して探る内間、相手の間者を手なづけて逆用する反間、命を投げ打って相手に被害を与える死間、相手領内から生還して情報をもたらす生間の五つがある。
 用間を任せる人物は、全軍の中でも信頼できる者を選び、厚い待遇を与えなければならない。その行動は誰に対しても極秘にする。機転の利く知恵と、裏切らない人格を備える者でなければ、良い働きは期待できず、使いこなすこともできない。
 間者が極秘情報を流すなどした場合は、本人のみならず情報提供を受けた者も、処分するようにする。敵方の間者が忍び込んできた時には、探し出して買収し、反間として逆用する。二重スパイである。優れた君主や将軍であってこそ、優れた間者を起用して大きな成功を収めることができる。
 用間の行動は戦争の要であり、全軍の行動が用間の働きに左右されるといっても過言ではない、と孫子は説いている。諜報活動は、戦術のレベルだけでなく、軍事戦略のレベル、さらに国家総合戦略のレベルにとっても重要である。孫子は、戦争を行う前に、敵味方の実情を詳細に比較・分析すべきと説くが、敵方の実情をつかむには、諜報活動が欠かせない。また戦争のそれぞれの局面において、相手の状態を把握して効果的な戦術を採用するためにも諜報活動が欠かせない。

 次回に続く。

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戦略論17~『孫子』の思想

2022-06-23 07:18:19 | 戦略論
●『孫子』(続き)

◆思想

#国家総合戦略
 孫武は、『孫子』の序論に当たる計篇の冒頭で、次のように述べる。
 「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の地なり。察せざるべからず」
 (大意: 軍事は国家の大事であり、国家の死生、存亡に深く関わる。ゆえに熟考しないわけにはいかない)
 孫武は、戦争を軍事中心ではなく、国家の盛衰興亡という観点から考えている。私は、国家に不可欠なものの一つとして、国家目標を挙げる。国家目標は、自らを維持し発展させることにある。この点で、私は、孫武の思想は国家の維持・発展という国家目標の実現を目指すものと理解する。
 国家は、国家目標・国家方針に基づく政策を策定するに当たって、戦略を必要とする。戦略には、国家総合戦略、個別分野の戦略があり、個別分野の戦略の一つに軍事戦略がある。『孫子』の思想はそうした戦略論を含むものであり、国家総合戦略のレベルに立つものと私は考える。
 国家総合戦略のレベルに立つ戦略論であることの証左の第一は、軍事と国家経済の関係を重視していることにある。
 「およそ兵を用(もち)うるの法は、馳車(ちしゃ) 千駟(せんし)、革車(かくしゃ)千乗(せんじょう)、帯甲(たいこう)十万、千里にして糧(りょう)を饋(おく)るときは、すなわち内外の費(ひ)、賓客(ひんかく)の用、膠漆(こうしつ)の材、車甲(しゃこう)の奉(ほう)、日に千金を費(ついや)して、しかるのちに十万の師挙(あ)がる」
 (大意: およそ軍を動かすのは、戦車千台、輸送車千台、兵卒十万人等と準備を整えてから始める。そして軍に物資を送り続けなければならないから、国の内外に経費がかかり、外交や物資調達や兵器の補充等に、日々莫大な費用が必要である。それらを揃えることができた後に、軍の行動を高揚できる)
 特に、長期戦になった時の国家運営への影響を重視している。
 「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり。それ兵久しくして国の利(り)する者は、いまだこれあらざるなり」
 (大意: 戦争は、拙速の成功例は聞くが、上手くやろうとして長期的な行動をした時の成功例は聞かない。そもそも長期の軍事行動は国家に利益をもたらすことにはつながらない)
 このように孫武は、戦争の長期化が国家に与える経済的負担を考慮している。
 『孫子』が国家総合戦略のレベルに立つ戦略論を説くものであることの証左の第二は、軍事とともに外交を重視していることにある。
 孫武は「戦わずして勝つ」を最高の戦略とする。この戦略は、軍事戦略であると同時に外交戦略でもあり、それらを含む国家総合戦略でもある。
 謀攻篇で、孫武は次のように説く。「孫子曰く、およそ兵を用(もち)うるの法は、国を全(まっと)うするを上(じょう)となし、国を破(やぶ)るはこれに次(つ)ぐ。軍を全(まっと)うするを上となし、軍を破るはこれに次ぐ。旅(りょ)を全(まっと)うするを上となし、旅(りょ)を破るはこれに次ぐ。卒(そつ)を全(まっと)うするを上となし、卒(そつ)を破るはこれに次ぐ。伍(ご)を全(まっと)うするを上となし、伍(ご)を破るはこれに次ぐ。このゆえに、百戦(ひゃくせん)百勝(ひゃくしょう)は善の善なるものにあらざるなり。戦わずして人の兵を屈(くっ)するは善の善なるものなり。
 ゆえに上兵(じょうへい)は謀(ぼう)を伐(う)つ。その次は交(こう)を伐(う)つ。その次は兵を伐(う)つ。その下(げ)は城を攻(せ)む。城を攻(せ)むるの法はやむを得(え)ざるがためなり。」
 (大意: 相手の国と戦わずに無傷で降伏させるのが上策であり、戦って破るのは、これに次ぐ策である。相手の軍隊と戦わずに無傷で降伏させるのが上策であり、戦って破るのは、これに次ぐ策である。百戦百勝が最善というわけでなく、戦わずに相手を降伏させる事が最善である。
 ゆえに、上手い戦い方は、相手の謀略を見破って討伐することである。次は相手の同盟関係を断つことである。その次は、軍隊と交戦することである。それよりも下策が、城攻めである。城攻めはやむを得なく用いる手段である)
 こうした考え方は、軍事より外交の重視につながる。孫武は、軍略家として単に軍事戦略を説いているのではなく、軍事戦略より外交戦略を重視していると見ることができる。
 このように『孫子』は、単なる兵法の書ではなく、国家総合戦略レベルに立った書ということができる。ただし、あくまで軍事に関する範囲で述べるものであって、国政の全般に係る総合戦略を提示しているわけではない。

 次回に続く。

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