goo

⚫小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」狼病編..(15)

 15.

 雨は降っていないが夜空は重い雲が垂れ込めていて、月も星もまったく見えない。真夏の夜だ、湿気がジトジトとしていて、時折吹き抜ける風も生暖かい。もう直ぐ雨になるのかも知れない。湿気と暑さで寝苦しい夜になるだろう。

 山々の森林が見える田畑の中に、白っぽい長い建物が見える。農家がぽつんぽつんと点在する広々とした農地の中に、区切られたように開いた広い敷地の中に、コの字形の宿舎のような建物が立っていた。鉄筋コンクリート製らしいビル造りだが平屋建てだ。敷地の大部分はフェンスで囲まれている。コの字形の建物の中央は運動場のような広場だ。

 森林と田畑の中を走る舗装された道路に沿って、宿舎のような建物の正面玄関がある。玄関前は鉄柵の門が閉まっていた。普通の民家では早いところはもう消灯して寝もうかという時刻である。長ひょろい建物に均等な間隔で嵌め込まれた窓々の灯りは全て消されていた。

 深夜の施設建物の鉄条門の前に人影が立った。ほっそりした体形に髪が長い。城山まるみだった。城山まるみはついこの前まで、この施設に勤務していた。管理事務所内で主に事務職として働いていた。もう二年は普通のOLとして毎日、この施設まで自分の軽自動車で通勤していた。

 今の城山まるみは、半袖ブラウスにタイトスカートの夏服姿だが、ロングヘアの髪はボサボサで服装は乱れていた。深夜の闇で解りにくいが、上下の衣服とも相当汚れているようである。

 何日か前、風邪ぎみで微熱があり、城山まるみはこの職場を休み、伯母が入院する都市部の病院へ見舞いがてら診察を受けに行った。そしてその病院の病棟で、まるで獣のようになった異常な状態の老婆に襲われ、首の付け根部分を噛み着かれた。そこで、たくさんの血を流し失神した。

 気が付くと病室のベッドに寝ていて、ベッドに拘束されていた。若い女性の看護師に頼み込んで何とか拘束を解いて貰い、トイレと偽って病院を脱け出す。タクシーを拾い、とにかく駅まで向かったが駅構内で体調が悪くなり目眩をもよおす。

 構内のベンチで休んでる間に身体ごと変調をきたし、まるみは自分の意識がぼんやりとして来る。朦朧とした状態のまるみは無意識の内に、かつて相思相愛だった藤村敏数の住まいへと向かう。

 藤村敏数のアパートに着いたまるみは、無断で敏数の部屋へ訪れ、敏数と二人で部屋に居た、敏和の新恋人、有馬悦子に襲い掛かる。城山まるみは普通の人間としての自分を失い、怪物になっていた。全体的な容姿は人間のままだが、両目は白目部分まで真っ赤に充血し、口は両端に獣のような長い牙が生え、両手の爪も獣のように固く長い爪になっていた。

 完全に人間としての意識を失った状態で、野獣のようになってしまっている城山まるみは、藤村敏数の恋人、有馬悦子の首筋の肉を喰いちぎって殺害してしまう。部屋の主である、藤村敏数は命からがら部屋を脱出して走り、警察を呼ぶ。

 藤村敏数のアパートから逃走した、怪物化した城山まるみは殺人事件の重要参考人として警察の大々的な指名手配となるが、その後行方不明状態となる。

 しかし城山まるみは、都市部歓楽街場末の古い雑居ビルにある、流行らないキャバクラ店に潜伏していた。このキャバクラ店の中は実は、魔物の巣窟のようになっていた。

 その場末の飲み屋を取り仕切る、怪物の親玉のごとき存在に、意のままに操られる状態になっていた城山まるみは、そのキャバクラ店に浸入して来た、また別の怪物=ヒトオオカミを、ゾンビ化したことで身に着けた身体能力で迎撃を試みるが、超人的な力ではヒトオオカミの方が上で、まるみは簡単に倒されて失神してしまう。

 ゾンビ化したことで異常な身体能力を持った城山まるみは、その後回復し、意識朦朧としたままふらふらとキャバクラ店を出て行き、無意識の本能部分だけで行動し、いつの間にか自分が何日か前まで通っていた職場まで来ていた。

 

 大佐渡真理は夜間勤務だった。社会福祉施設の現場職員をやっている。大佐渡真理の勤める施設は三交替制を敷いていて、今晩の勤務は午後五時から職場に出て来ている。時間はもう夜の十時だ。受け持ち現場の施設利用者の人たちは、消灯時刻の十時を待たずに各々の部屋に戻って床に就いた。早い人は九時前から就寝している。

 大佐渡真理は施設内の浴室に居た。利用者たちが入浴する、銭湯並みの大浴場があり、真理はそこの広い脱衣場で、もう一人の夜間勤務者の蟹原友宏を待っていた。蟹原友宏の今晩の勤務は男性利用者の生活棟の受け持ちだ。

 「あー、カニトモ君遅いな」

 大佐渡真理は独りごちた。そわそわして焦っているような様子で居る。そうしている内にガチャリと浴室のドアが開いた。脱衣場に蟹原友宏が入って来た。

 「あ、カニトモ君」

 真理が目の前に来た蟹原友宏を見て言った。蟹原友宏は職場では同僚から略して通称、“カニトモ君”と呼ばれていた。蟹原友宏は大学で剣道をやっていて、小学生の頃から剣道を続けている有段者で、大学剣道では腕を鳴らせたなかなかの強者だった。長い間剣道をやっていただけに体格がよくガッシリとしている。上背もある方で、筋肉質の広い肩幅から実際よりも身体が大きく見える。

 二人は薄暗い脱衣場内で向き合った。二人とも施設の夏場のユニフォームである、下は黒色のジャージズボン、上は半袖の白いポロシャツを着ていた。胸に施設名が刺繍で入っている。

 「何だよ? 風呂掃除なら明日の朝やろうぜ。男子は今部屋に戻ったばかりでまだ半数は寝付いてないんだよ」

 大きなガタイの蟹原友宏がせかせかした調子で言った。

 「ううん、違うのカニトモ君。お願いがあって…」

 真理の様子が何だか焦っているように見えて、友宏はいぶかしんだ。

 「どうしたんだよ、何か緊急事態でも起こったのか?」

 友宏の問い掛けにも、真理は焦っている様子で表情は苦しそうにさえ見える。

 「何だ、具合でも悪いのか?」

 真理は言いにくそうにモジモジしている。返事を待つ友宏に向かい、意を決したように言った。

 「して欲しいのよ…」

 「は?」

 真理の言葉に意味が解らず、友宏はきょとんとした顔で真理を見詰める。

 「だから、して欲しいのよ!」

 語気を強めて真理が繰り返した。

 「何を? ってまさかおまえ…」

 蟹原友宏は少年時代からのスポーツマンで、高校·大学時代は女にモテた。今でも女性に人気があり、なかなかのプレイボーイである。友宏はまんざらでもないようにニヤニヤした。

 「してくれっておまえ、おまえは今別の彼氏が居るんだろ? 確か辞めて行った藤村さんが働いてる会社に居るんじゃなかったっけか」

 「いいのよ、そんなことは!緊急事態なのよ。とにかくしてよ!」

 怒ったように真理が言った。声を抑えてるが、まるで叫ぶような言い方だ。相変わらず苦しそうな表情である。今のセリフは切羽詰まって出た叫びのようだ。

 「どうしたんだよ、いったい?してっておまえ、職務中だし、確か事務所にまだ副施設長が居たぜ」

 真理が苦しそうな表情の中にも驚いて訊ねた。

 「え?副施設長がまだ残ってるの?どうして?」

 「知らねえよ。机に着いて何か帳簿みたいの見てたぜ」

 「カニトモ君、お願い。一度だけ、して。恩に着るから」

 友宏は片手で顎を撫でながら思案していた。

 大佐渡真理は藤村敏数に紹介して貰って在吉丈哉と付き合い始める以前、同じ職場の同僚の蟹原友宏と男女の仲で付き合っていた。女にモテて男女交際の派手な友宏が、大学時代から長く付き合っていたが、他の女に乗り換えて別れていた昔の女とまたヨリを戻して会っていたのを知って、怒った真理が友宏から離れたのだ。一時は二人は頻繁に逢瀬を重ねる恋人どおしの仲だった。

 しかし、友宏が大学時代の恋人だった女と自分との二股をしていることを知ると、真理は交際をやめ、それからしばらくは口も利かなかった。だが、真理も在吉丈哉という新たな恋人を得てからは、最近は、蟹原友宏ともただの職場仲間として普通に対応していた。

 友宏も以前は毎日のように抱いていた女と今からできるのかと思うと、職務中ながら、数ヶ月前のベッドでの真理とのいろいろな痴戯の記憶を呼び覚まし、身体に興奮が起きて来た。

 思わず友宏は真理の小さな身体を抱き寄せた。真理の方もどういう訳か興奮しているようで友宏の背中に回した両腕にグッと力を籠める。身長差のある二人が抱き合い、友宏のいきり立った男性の局所が真理の鳩尾のあたりを突いて来る。

 興奮を抑えきれない真理は、自分の顔を友宏の胸からみぞおちあたりに強く押し付けて、じゃれるようにぐりぐりと頭を動かした。真理の尋常ではない興奮の強さに反応して、友宏は真理の肩を抱く両腕に力が入り、そして、顎を上げた真理の唇に、自分の唇を強く押し付けた。二人はお互いの唇を貪り合ってディープキスに入る。 

 友宏には抱き締めた真理の身体が熱く感じられた。体温としてはかなり熱い。友宏は異常に思って真理にそれを問おうとしたが、真理が友宏の胴をきつく抱き締めていた両手を突然離し、友宏のジャージズボンに手を掛けたので、驚いた友宏は言葉を呑み込んで、真理の肩を抱く両手の力を緩めた。

 友宏のジャージズボンの両脇に手を掛けた真理は、思いきりズボンをずり下げた。ゴムと軽く縛った紐だけで胴を締めてあるズボンは簡単にずり落ちて、下着のパンツごと膝上あたりまで下がった。ビョンと勢い良く、友宏の一物が跳ね上がる。その体格に応じた立派な代物だ。

 友宏のズボンを下げた後直ぐに、真理は自分のジャージズボンも下着ごとずり下げた。友宏は呆気に取られていた。確かに真理は性格的に活発な面もある。しかしまだまだ若い娘の真理は、友宏と付き合っていた頃も男女のことに及ぶときは、それなりの恥じらいを見せていた。付き合う男が変わるとこんなにも大胆になるものだろうかと、友宏は驚きと共に不思議に思った。

 熱いくらいに感じる体温の高さや、男女の営みに入ろうというときの大胆な積極性、まるで何かに追い立てられてるような焦燥状態と、真理の様子や態度などがあまりに異常に思われて友宏は、一旦落ち着こうと身体を離そうかとも思った。しかし欲望もピークに来ていて、途中でやめてしまうには相当な強い自制力が要る。已然、自分の一物は屹立したままだ。

 友宏が真理に一言、言葉を掛けようかと思ったが、そのとき真理が、力を抜いていた友宏の片手を握り、ズボンの片方から引き抜いた自分の片足の太腿に、友宏の手を掛けさせた。真理は今やズボンをほとんど脱いでしまった状態で、女性の下腹も露になっている。真理が友宏の手を誘導して、自分の片足を横に上げさせる。

 欲望が頂点に達している友宏は思わず、拡がった真理の股間に屹立した己自身をぶち込むように挿入した。声を上げた真理が切なげな顔で見上げ、友宏の唇を求めて来る。何が何だか解らない状況の友宏はただ己の欲望に従って、真理の股間に突き刺してピタリと合わせた自分の腰を動かした。真理自身もそれに応えて激しく自分の腰を振る。背を屈めて真理の唇を吸い続ける友宏。二人はお互いの興奮を激しくぶつけ合った。

 友宏は片方の手で真理の片腿を上げて、もう片方の手で肩を抱き締め、真理は強く押し付ける唇をときどき離しては喘ぎ声を上げた。就寝時間の過ぎた施設内の浴室の脱衣所の隅で、夜間勤務当番の二人は自分たちの欲望の発露以外は何もかも忘れてしまったように、ただお互いの肉体をむさぼり合っていた。

 

 わずか数日前まで勤めに毎日通っていた施設の、表門の鉄柵を乗り越えた城山まるみは、本能的に残っている記憶に誘われて、施設の玄関前に立った。施設の建物の大半を占める居室の明かりは全部消えている。玄関隣の事務室の照明だけは、閉められたブラインドから漏れている。まるみが玄関の取っ手に手を掛けると鍵が掛かっていなかった。居住棟の消灯を過ぎているが施錠はまだのようだ。

 音もなく開いた玄関のガラス扉の間から、まるみは施設の中へ入った。勝手知ったる自分の職場。まるみは自然と室内へと上がった。ただし靴を履いたままだ。玄関内フロアの真横に事務所のドアがある。いかにも自然にまるみがドアを開けた。

 事務室の中では部屋の真向かいの大机に座って、男性が何事か書き物をしていた。副施設長だ。白髪交じりの刈り込んだ頭髪で金縁の眼鏡を掛けている。体格の良い男性だが、初老といった感じだろうか。副施設長が頭を上げた。

 六つの事務机が組まれた距離を挟んで、城山まるみが悠然と立っている。部屋の照明が煌々と照らす室内で、まるみは長い髪はボサボサで赤いブラウスはところどころ黒ずんで汚れ、襟元は少し裂けている。黒のタイトスカートもくすんで汚れているようだ。

 副施設長は驚きでしばし声が出なかった。そして、テレビや新聞で知っている世間を騒がせている報道を思い出し、初老のシワの多い顔が恐怖にゆがんだ。目の前に立つ部下は、現在指名手配で追われている、殺人事件の容疑者なのだ。

 何とか冷静を取り戻そうと笑って見せた。

 「あ、あ…。城山くん、どうしたんだこんな時間に…?」

 恐怖心から副施設長は自然と立ち上がっていた。改めてまるみの顔を見詰めると、化粧は落ちて本来色白の顔は汚れ、両方の目は白目が充血を通り越して真っ赤だ。表情はとても普通の人間と思えず、今から獲物を狩ろうとする野獣のようだ。副施設長は慌てて椅子から離れて脇へと跳び退いた。

  城山まるみが真っ赤な目で睨み付けながら、両手を上げて構え、口を開いた。開いた口の両端には獣のような犬歯が現れた。副施設長は恐怖に顔を歪めた。

 ここの施設のナンバーツーのポジションに居る副施設長は、目下の者を注意するとき感情が出るタイプの上司で、ときに怒りの表現が行き過ぎて、部下に対して大きな声を出して暴言を吐くことも多い。また粘液質なところもあり、一度目を付けた部下にはネチネチと執拗に責める面も持っている。だから部下に寄ってはこの上司に対して恨みや憎しみの感情を抱く者も居て、特に若い男性職員では副施設長の暴言的な叱責に対して同じように感情的になり施設を辞めて行く者や、これは男女ともだが、何度も怒られたことで不満が溜まり嫌気が差して辞めて行く者も後を絶たなかった。

 この施設の管理部門で事務職員として働く城山まるみも、同じ職域で毎日仕事をしていて、副施設長の機嫌が悪いとき何度も怒られ、ときには暴言を浴びせられてストレスが溜まり、嫌になっていた。

 狼病ウイルスに感染してゾンビ化した城山まるみは、通常の人間が普段するような思考力がなくなって、本能だけで行動しているような状態になっている。脳の前頭葉があまり機能せず、強い印象や刺激として刻み込まれた記憶に従って、まるで夢遊病者のように行動している。

 毎日通っていた職場に本能的にやって来たまるみは、いつもの職場の事務室に入って、そこに上司の副施設長を見たとき、記憶に強く刻み込まれたいつもパワハラを受けていたという印象が呼び覚まされ、目の前の副施設長に対する憎悪感情が起こったのだ。性格的に普段おとなしく黙って耐えていただけに溜まり溜まった感情があり、本能的に復讐意志が爆発してしまった。

 また狼病ウイルスが脳を支配しており、とにかくできるだけ多くの人間に感染させてウイルス自体を増やして行こうとする習性から、誰であれ人間を見れば襲い掛かり噛み付くことで一人でも多く感染させて仲間を増やそうとする。

 副施設長がそろりと廊下側のドアの方へ移動しようとする。そうすると両腕を上げて構える城山まるみもゆっくりとドアの方へ動く。副施設長が元の位置へ戻る。組んだ机の塊を挟んで鬼ごっこのような状態になった。

 副施設長も最初は何か甘言を言って懐柔しようかと思ったが、元部下の城山まるみの今の状態があまりにも異常でとても人間相手の方法で当たっても通用しないと判断し、ただこの場から逃げることだけを考えた。しかし玄関フロア側か廊下側のドアから出るしか逃げ道はない。並んだ机の向こうには怪物と化した城山まるみが構えている。状況は絶望的だ。

 副施設長は、今ここに夜勤当番の職員が入って来てくれないかと願った。大声を上げれば利用者の居住棟か職員用の事務室に居るであろう職員が来てくれるだろうか?それとも何か物を持って戦うか?モンスター然とした城山まるみに通用するか?非常ベルはこの事務室には設置されてない。副施設長の頭の中を目まぐるしくいろいろな考えが回る。バットが立て掛けてあるのだがあいにく城山まるみの後ろの壁だった。

 ゾンビ化してしまっている城山まるみの頭の中はほとんど本能的なものしかない。城山まるみは本能的に毎日通っていた職場までやって来て、ここのところよく怒鳴り着けられ冷たく当たられていた上司の副施設長に対して恨みや憎しみのような感情が残っていて、その感情の記憶に従って今目の前の副施設長に襲い掛かろうとしている。

 

  浴室脱衣場の夜間勤務者の男女二人は、お互い立ったままで激しく性行為に没頭していた。女性職員の小さな身体を宙に浮かせるような勢いで、蟹原友宏は腰を突き上げていた。その内、友宏は異変を感じて欲望の発露に熱中しながらも疑問と躊躇いが頭に浮かんだ。いや、もともと大佐渡真理を抱き締めたときから、ヒトの体温にしては随分と熱いなといぶかしんでいた。それでも欲望が勝り、行為を続けた訳だが、行為に熱中すればするほど女の体温が上がっている。ヒトが風邪をひいて熱を出す程度ではない、もうとても人間の上げる体温とは言えないと思った。

 「おい、大佐渡。おまえ変だぞ。身体が熱過ぎるぞ!」

 呼び掛けられた大佐渡真理は、ハアハアと荒い息を吐きながら小さな身体を上下させている。

 「あ、熱い熱い!」

 友宏が叫ぶように声を上げた。真理の身体全体に高い熱を感じるが特に密着した局部が、火傷するような熱を感じ始めた。友宏は真理の中に挿入している己自身とその回りの密着部分に異常な高熱を感じ、尋常でなく「熱い」と思った。このままでは火傷する!友宏は非常事態に抱いていた大佐渡真理の身体を突き放そうとした。

 友宏が真理の両肩を掴んだ両手を突っ張って、真理を引き剥がそうとしたが、真理の身体が仰け反るだけで真理は友宏から離れなかった。接合した友宏と真理の局所が外れないのだ。真理の秘部がきつく友宏の一物をくわえ込んだまま固く閉じていて離れない。友宏は両腕で真理の上半身を勢いよく押して身体を離そうとする。友宏に弾かれた真理の上半身は一旦仰け反るが、下半身の結合が離れないためにバネ仕掛けのように上半身が戻って、友宏の上半身に強く当たり、お互い痛みに顔を顰めた。

 真理の身体が反動で戻って来て、真理の頭部が友宏の顎から首に当たって、友宏はその衝撃で頭がくらくらしたが、何よりも下腹部の熱さが尋常ではない。とにかく自分の一物とその周囲が熱い。抜こう抜こうと腰を退くが一向に抜けない。やがて焦げ臭いにおいがして来た。

 「大佐渡、熱いよ熱いよ、焼けるよ、大佐渡!」

 火傷する熱さにたまらず友宏が叫び声を上げる。

 真理の着ている衣服も焦げるような臭いがして来た。真理の全身から相当な高温の熱を発しているようだ。真理もどうしてだか解らずどうしていいか解らず、困惑の極みで頭が真っ白だった。

 真理の身体のこの異変の兆候は最近出ていた。真理が何日か前、吉川愛子・和也姉弟を訪ねたとき、弟の方の和也がサイキックだと解って、自分と同じものを感じ取った日の夜から、悪夢にうなされ、目が覚めると驚くほど身体が熱くなっていた。もともと霊感や軽い予知する力があった真理だが、その翌日から自分の感覚が異常に研ぎ澄まされたのが解り、自分の通勤路の大きな交通事故を予知したり、離れた場所の渋滞が見えたりした。そして時折、信じられないように性的な欲望が昂ぶることがあった。しばらく性欲の大きな波に耐え、恥ずかしい話だが下着がビショビショに濡れてしまったりする。その欲望の嵐が5、6分程度続き、また治まる。そしてこの激しい欲望を感じているとき身体が火のように熱い。最近、こういう自分の身体の異変が起きて、正直戸惑い、困っていた。

 「熱い、熱い、熱いよーっ!」

 友宏が絶叫して、全力で真理の身体を押し退けようと、両腕で突っ張り続けた。真理を自分から引き剥がそうと懸命になり、真理の肩を掴む両腕に友宏の全ての力を込めた。

 スポンッ!とワインのコルクを抜く音を何倍も増幅した大きな音と共に、真理の身体が離れて向こうへ飛んだ。同時に反動で友宏も後ろに尻餅を着いた。友宏の怪力でムリムリ引き剥がした真理の小さな身体は、脱衣場の一方の端まで転がって行った。

 床に尻餅を着いて、開いた両足の友宏の股ぐらでは、真っ赤に腫れ上がった状態の友宏の一物から湯気が上がっていた。

 「熱いよ、熱いよーっ!」

 再び叫び声を上げて友宏が跳び起きて、脱衣場から浴室へと走った。急いで洗い場のシャワーを取り、湯気を上げる胯間に水道水を掛けた。全開のシャワー口からは勢いよく水が出て友宏の胯間を冷やす。

 脱衣場の隅まで飛んだ真理は、床に倒れたまま起き上がれず、苦しそうな顔をしていた。真理の胯間からも湯気が立っている。床に落ちたとき頭を打ったらしく、両手で頭を押さえて苦悶の表情で、頭部をゆっくりと左右に振っている。

 ここ二日くらいの間に起きた自分の身体の変調で、時折猛烈な欲望を感じるようになり、度々恋人の在吉丈哉にメールや電話をしたが、丈哉が仕事が忙しくてなかなか会えなかった。いくら恋人どおしの仲だといえど、激しい欲望の波が来て堪らないから是が非でも自分の元へ来てくれとも言えず、その内真理の仕事で夜勤の日になり、この尋常でない欲望を解消するために、とっくに別れた元彼氏の蟹原友宏をセックスの相手にしたのだ。

 荒い息を吐く真理は、ひとまず激しく沸き上がっていた欲望は治まった。燃えるように熱かった身体の熱も納まってるようだ。呼吸が元に戻って来た。後頭部を打ってくらくらしていた頭もはっきりして来た。

 浴室のシャワーの音が止まった。友宏が慌てて浴室から出て来た。下半身がびしょびしょに濡れていて脱衣場の床に水滴を撒き散らし、濡れた足跡を着けて回る。壁面いっぱいに設えた脱衣棚の端の箱から、バスタオルをひっ掴んで急いで自分の股ぐらを拭いた。

 「いや~、たまんねえな。熱くて熱くて、まだヒリヒリするぜ。医務室行って何かクリーム塗らなきゃな。火傷してるぜ」

 友宏は身体を拭きながら床に仰向けに寝たままの真理を見た。

 「おい、大佐渡。おまえ大丈夫か?何かおかしいぞ。身体が火事になってるみたいだったぞ」

 真理がゆっくりと身体を起こした。

 「うん…。もう大丈夫。ごめんねカニトモくん」

 友宏が脱衣棚からもう一枚バスタオルを取って真理に投げた。真理はハッと自分が下半身丸裸のままだと気付いて、慌ててバスタオルで下半身を隠した。

 「ごめんなさい、カニトモ君」

 真理はもう一度謝った。

 「良いけどさ。おまえおかしいぞ。何か変な病気だよ。早く病院行って検査して貰った方が良いぞ。何か信じられない事態だ」

 「うん、そうする…」

 力なく真理が応えた。 

 友宏は真理とのセックスに際して脱ぎ捨てたパンツを拾い上げ、両足を通して、穿いたパンツのゴムを拡げてしげしげと自分の股間を眺めてひとりごちた。

 「あ~あ、チンコの毛まで焼けちゃってるよ」

 真理は友宏が一緒に居るのが恥ずかしくて堪らなかった。友宏には早くこの場を離れて欲しかった。

 友宏がジャージズボンを穿き終えて身支度を整えたときだった。脱衣場の扉越しにギャーという男性の叫び声が聞こえた。

 友宏と真理が顔を見合わせた。

 「何、あれ?」

 真理の問いに友宏が答えた。

 「副施設長の声だ。何だろう?」

 「カニトモ君、行ってみて」

 「わかった!」

 友宏は急いで廊下に出て行った。

 とにかく真理は独りになれてほっとした。やおら立ち上がり脱ぎ捨ててあったパンツを穿き、ジャージズボンを穿いた。

 

 廊下を急いで玄関前フロアまで来て、男子居住棟を見やると、廊下は灯りを落としたままで薄暗く、男性利用者が起きて廊下に出ている気配はない。今夜の男子棟責任者になる蟹原友宏は自分の受け持ちに対して取り敢えずほっとした。

 男子居住棟の手前の玄関脇に施設の事務室兼応接室がある。事務室の一角をハイ·パーティションで区切って応接室として利用しているのだ。友宏は事務室のドアを開けた。真っ先に目に入ったのは突っ立って見下ろす姿勢で居る城山まるみだった。長い髪はボサボサで幾筋か顔に貼り付き、服装は赤いブラウスが黒ずんで汚れ襟元が破れている。黒色のタイトスカートも転んで土で汚れたようにところどころ白っぽい。表情が角度と顔に貼り付いた髪で見えづらい。

 城山まるみが頭を垂れて見下ろしている先には男性が倒れている。副施設長だ。うつ伏せに倒れた身体の方は机の陰に隠れて見えない。横になった頭部は応接室側を向いていて表情は解らない。だが身体がピクリとも動かない。意識がないようだ。

 倒れている副施設長を見定めた友宏は声を掛けようとして、横を向いた副施設長の頭部と肩の辺りの下に、床に血だまりができているのを見つけ、しかもその血だまりが少しずつ床に拡がっているのを認めて、友宏は息を飲んだ。尋常ではない事態に声が出ない。友宏は我を忘れたように呆然とした。

 城山まるみがゆっくりと首を回して友宏の方を見た。色白のまるみの顔は汚れていて何よりも異様なのは両方の目が真っ赤だ。黒目が解りづらいくらい白目も目全体が血のように赤い。無表情に見えるが人間の表情ではない。呆然と立っていた友宏は全身を恐怖が稲妻のように走るのを感じた。

 友宏の方を見るまるみがゆっくりと口を開いた。大きく開いた口の両端には獣のような牙が生えている。城山まるみはまるで般若のような形相をしている。蟹原友宏は子供の頃から長年剣道を続けて来た武道の強者だ。友宏は目の前の相手がこちらを襲撃して来る殺気を感じ取り、直ぐに我に帰って、何とかしなくてはならないと構えた。

 城山まるみは見掛けは以前と変わらず華奢な女性だ。だが今は指名手配された殺人事件の容疑者であり、変わり果てた形相と威圧感はまるで得体の知れぬ怪物を目の前にしてるようだ。友宏は怪物と対峙した恐怖感に気後れしそうになるがしかし、勇気を震い立たせて戦う意志を決め、襲って来た瞬間、顔面にパンチを入れてやろうと身構えた。

 城山まるみの怪物が両腕を上げる。その両手の先の指の爪がまるで獣のように長く尖っている。あれにかぎられては大怪我をするに違いない。こちらのカウンターが上手く入れば良いが、あの凶器のような爪がこちらの身体を裂けば深手を負ってしまう。友宏は後退り作戦を変えた。

 剣道はかなりの腕前だが格闘技は我流だ。ローキックを放ってもこの怪物に何処まで通じるか。ふと斜め後ろに目をやると、キャビネットと壁の間にバットが立て掛けてある。利用者が余暇時間に施設中庭の運動広場で、ソフトボールの練習をするときに使っている道具だ。大股で一歩横に動けば、友宏が手にできる。

 怪物と化している城山まるみは今にも襲い掛からんばかりに両腕を自分の頭の脇まで上げている。

 大きく開けた口の両端に牙を覗かせたまるみが凄い形相で飛び掛かって来たのと、友宏が横飛びに移動した瞬間が同時だった。まるみの両手が空を掴む。まるみの襲撃を間一髪かわした格好になった友宏は左手にバットを掴んだ。猫背のまるみが友宏を捉えようと身体の向きを回し始めた刹那、友宏はバットを両手に持って抜き胴をまるみの腹に見舞う。

 手応えがあった。だがまるみは何事もなかったように身体を友宏の方に向けた。友宏は驚いた。大学剣道界で鳴らした剣道三段の腕前の友宏の抜き胴に、何のプロテクトも着けていないまるみは倒れないどころか平気で居るのだ。ダメージを感じさせないまるみがまた両腕を構えて口を大きく開く。目の前の獲物を掴んでその長い牙で咬み裂くつもりだろう。

 狭い事務所の中でバットを持つ友宏は、一番有効な攻撃は剣道の突きだろうと考えた。まるみが前に出るが早いか、友宏がまるみの鳩尾にバットで突きを入れた。カウンターでバットの先がまるみの鳩尾に突き刺さった。今度はダメージがあったようでまるみは身体を屈めて何歩か後退した。まるみが口を閉じ少し苦しそうな表情を見せる。

 だが怪物まるみは倒れない。屈めた身体を起こして猫背の態勢に戻り、真っ赤な両目で友宏を睨み付けた。友宏は呆然とした。そして恐怖感が身体を走った。身震いがする。怪物になってしまってるとはいえ、城山まるみは同じ職場の同僚でありしかもまだまだ若い娘だった。友宏はバットでの突き攻撃のとき、急所である喉を突こうかと思いもしたが一瞬の迷いで突きを鳩尾に入れた。バットでとはいえかなり力の入った突きだ。

 しかし、剣道三段で体重が80キロはある友宏の力の入った突きを鳩尾に喰らっても、怪物化したまるみは何歩か後退したものの、直ぐに立ち直っている。たいしたダメージはなかったようだ。

 友宏に不安感が沸いて来た。相手を牽制するようにバットを前方に構えた友宏は「どうすればいい…」と焦った。今の友宏の剣道の突き技を怪物·まるみが学習していれば、この次の友宏の攻撃の、今度は喉へ入れる突きを避けられるか、あるいは腕で払われるかも知れない。まるみはまた猫背の姿勢で両腕を上げて構え、じわりと近付いて来る。

 まともに突きで行ったらかわされるか払われるかも知れないと、友宏は先手で出て、まるみの前に構えてる片方の腕を小手打ちして、自身の態勢を落とし、第二打でバットの先を下から突き上げるように顎の下に入れた。今度は手加減なしで下からの渾身の突きだったが、急所の喉仏を狙ったものの下から差し込んだので顎の下を突き上げる形になった。

 さすがにこの攻撃は効を奏して、まるみの身体はふっ飛ぶように後方に倒れて行った。仰向けに飛んで応接室のテーブルの端で後頭部を打った。床に倒れたまるみはダメージを受けたらしく首や手足をぐにゃぐにゃ動かしている。まるみの怪物はいくら攻撃を受けても少しは苦しそうな表情こそすれ、全く声を上げない。

 まるみの怪物は、施設内に侵入してからこっち、一言も声を発せず、怪物らしく唸り声を出す訳でもない。終始黙ったままゆっくりした動作で動くのが不気味なのだった。

 友宏は机の陰でうつ伏せで倒れている副施設長を見た。さっきからピクリとも動かない。顔は向こうを向いているので表情は見えず呼吸をしているのかどうかも解らない。首から肩の下は床に血だまりができている。早く通報しなければ。友宏はハッとしてその事に気付き、机の上の電話に目をやった。

 電話器に手を伸ばそうとした友宏の視界にまるみの姿が目に入った。まるみがゆっくりと立ち上がりその真っ赤な両目で友宏を睨む。何ということだ、剣道三段の友宏の喉元狙った渾身の突きも、まるみの怪物はたいしたダメージを受けてないのだ。

 猫背のまるみが口を開けてまた両端の牙を覗かせた。友宏の背中にゾッと恐怖感が走る。こいつは化け物だ、人間ワザでは倒せない。アメリカ映画みたくライフルで連射でもしない限り無理だ。倒れて動かない副施設長の生死も気になるが、逃げる方が先だ。逃げてとにかく何とかして警察を呼ぼう。友宏はそう考え玄関フロア側のドアに寄った。

 男子宿直室まで行って自分の携帯電話で掛けるか、女子利用者棟責任勤務の大佐渡真理に伝えて警察に通報させるか。とにかくここは逃げるしかない。友宏の直ぐ後ろのドアは入って来たとき同様少し開いたままだ。

 そのとき突然ドアが開いた。

 「友宏っ!」 

 大佐渡真理だった。真理は今は他の企業に勤める在吉丈哉と付き合っているが、元は同僚の蟹原友宏と恋人どおしだった。今はみんなと同じように友宏のことを“カニトモくん”と呼んでいるが、かつて交際していた頃は“友宏”と呼んでいた。浴室で、真理が自分の異常に沸き起こった欲情を何とか解消しようと、つい以前の恋人の友宏と一抹の肉体関係を持ったことで無意識の内に、“友宏”と呼んでしまった。

 真理は開いたドアから首を覗かせ、事務室の中を見て、恐ろしい形相で立つ変わり果てた城山まるみを認め、ハッとして首を引っ込めた。勿論、真理も城山まるみが元同僚の藤村敏数の恋人を殺した容疑者として警察の指名手配が掛かっていることを知っている。

 真理が突然現れたことに慌てた友宏は真理の方を振り返り叫んだ。

 「大佐渡、警察に電話だ!」

 真理が解ったとの合図で首を振り、踵を返した。そこまでの間僅か数秒、友宏は後ろを向き、怪物·まるみから目を離した。

 「ぐあぁっ!」

 友宏が叫びを上げた。急いで自分の携帯電話を取りに女子宿直室へ向かおうとしていた真理は友宏の異様な叫びに振り返った。

 まるみの怪物が友宏の肩に咬み着いている。まるみは体格の良い友宏の首に両腕を回し両足も胴体を挟んだ状態で肩を咬んでいる。まるみの怪物は友宏に飛び掛かったのだ。友宏がまるみの重みに耐えきれずまるみごと床に倒れ込んだ。

 ゾンビ化したまるみはオリンピック選手かそれ以上の身体能力を得ている。友宏がまるみから目を離した一瞬に三メートル近く離れた位置からひと飛びで襲い掛かったのだ。

 床に倒れた友宏に覆い被さるまるみはなおも執拗に友宏の肩を咬み続ける。友宏の肩から吹き出る血液で床に血だまりが拡がる。真理は女子宿直室に行くのをやめて事務室内に入り、まるみの髪を後ろから掴んだ。噛み付くまるみを友宏から引き剥がそうと真理はひっ掴んだまるみの髪を思いっきり引き上げる。

 「ぐあぁっ!」

 悲鳴と共に友宏の肩と頭が浮き上がる。まるみは噛み付いた肩を離さないのだ。うつ伏せの状態で頭を上げた友宏は苦悶の表情だ。真理はまるみの髪を離した。

 まるみの怪物は咬んでいた友宏の肩を離した。友宏は苦痛に唸り続けている。友宏の白いポロシャツは肩から袖が真っ赤でその下の床には血だまりが拡がっている。

 早く救急車を呼ばなければ。机の陰では副施設長も倒れたまま動かない。真理はこのままここを離れてとにかく電話のある場所まで走るかと考えた。友宏に貼り付いた状態だったまるみがぬっと立ち上がった。攻撃対象を真理に決めたらしい。

 真理はそろそろと後退して事務室から玄関フロアまで出た。まるみの怪物がゆっくりと追って来た。二人は間を開けて玄関フロアで対峙する。

 真理には勿論、怪物と化している城山まるみに恐怖心もある。しかし、この施設内で施設ナンバーツーのポジションの上司である副施設長が倒され、今晩の夜勤の施設男子棟責任者の蟹原友宏も倒され、今やここには各部屋で就寝している施設利用者以外は、女子棟責任者の自分しかもう居ない。まだ救急車も呼んでなければ警察にも通報していない。大佐渡真理は思った。何とかしなければならない。

 大佐渡真理は逃げるよりも戦おうと思った。このモンスターと戦うのだ、と強い意志を持った瞬間から身体に熱が沸いて来るのを感じた。何だか自分の中の熱量がどんどん高くなって行ってる気がする。先程、浴室に蟹原友宏を呼んだときは性欲のたかまりが抑えられなくて、蟹原友宏を前にしたとき性欲の昂りと共に身体の中に高い熱が発生して来るのが解った。

 真理は自分の身体の中の熱がどんどん高くなって行くのが解る。もう直ぐ着ている衣服が燃え始めるかも知れない。そんな感じがしている。今の真理には性欲など微塵もない。あるのは闘志だけだ。

 真理と対峙するモンスター·まるみは獣のような爪を伸ばした両手を開いて自分の顔の両脇で構え、開いた口の両端には獣のように長い牙を覗かせ、般若のような形相で、猫背の姿勢は今にも飛び掛からんばかりだ。

 真理はモンスター·まるみに対して構えた。いつでも来いっ!というような気持ちになっている。まるみがジワリと近付いて来る。真理の身体の熱は相当高まっている。自分の着ているポロシャツや下のブラジャーまでも焦げて来てるのが解る。まるみが開いた口をさらにいっぱいにまで開いて、爪の伸びた両手を前に、真理に飛び掛かって来た。

 まるみの怪物はその長い牙で真理の首筋か肩を咬み付くつもりだ。真理の白色のポロシャツは前面が焦げて茶色くなっている。真ん中辺りは焦げて黒ずんでいる。飛び掛かったまるみを真理は受け止めて抱きかかえた。

 「ウギャーッ」

 まるみが叫ぶ。真理の首や肩を噛むどころではなかった。熱いのだ。焼けるほどの熱さ。小さな身体の真理に抱き締められたまるみは空中で手足をバタバタさせた。明らかに苦しがっている。真理の身体の前面から煙が出始めた。

 真理は開いた両足を踏ん張ってまるみを抱きかかえたまま、その真理の身体から発する高熱でまるみを焼いて苦しめているのだ。真理のポロシャツも焼けているがまるみの赤いブラウスの前面も焼けて来て、二人の身体の合わさったところからは煙と炎が上がっている。

 「ギャア~ッ!」

 空中で手足をバタバタさせてもがくまるみは焼かれる熱さに苦しがって叫び続ける。あまりにまるみが暴れるので、つい真理がまるみの胴を締めている両手の力が抜けた。

 まるみの身体がドンッと床に落ちて、まるみは苦しがってフロアの床を転がった。立っている真理の衣服は焼け焦げて大きな穴が開き、こぶりな乳房の下半分も露になっている。真理の服はもう燃えてはいないが大きな穴の周りは黒焦げて煙が立っている。

 真理から離れたまるみは床を二転三転転がって起き上がり中腰になった。やはり衣服が焼けて、服の真ん中に大きく穴が開いている。城山まるみは身体は細身だが両方の乳房は大きかった。焼けた服の穴から大きな乳房が覗いている。

 もう真理の身体の異変は治まっていた。真理は仁王立ち状態でじっとまるみを見詰めていた。まるみの方は真理を見据えながら、獣のような素早さで玄関ドアに移動し、あっという間に玄関ドアから外に出て行った。真理の高熱を発する異様な力に恐れをなして逃げて行ったのだ。

 真理は自分の体温が平温に戻っているのが解った。真理は自分の胸に手を宛て、落ち着け落ち着け、と言い聞かせて、先ず何をするべきか考えた。とにかく救急車を呼ぶことと警察に通報だ。真理は開いたままのドアから事務室に入って行った。

 

 施設玄関から外へ出たまるみは小走りで施設正門へと向かった。戸外は小雨が降っている。夕方から重たそうな雲が空一面に垂れ込めていたが、ついに雨が降り始めたようだ。

 門扉の鉄棒に手を掛けたまるみはその超人的な運動能力で軽々と門扉を跳び越えた。真理の熱焼攻撃を受けたダメージがあったのか慌てていたのか着地に失敗し、門扉の前で転んだ。直ぐさま起き上がる。

 まるみの衣服は真ん中が大きく穴が開き、両の乳房も下半分が見える。雨で濡れた地面に転んでまた汚れてしまった。施設前の道路はゆるやかな坂道になっている。まるみは道路を登り方向へと向かった。

 施設前道路の登り方向、施設の外れになる、施設が管理する農地脇に、黒色のセダンが停まっていた。ガチャリと音がして運転席から人影が降りて来た。小雨降る深夜、暗くて見分けが着きにくい。

 大柄な男性だ。背広を着て紳士然としているようだ。男は自動車を離れて道路の真ん中に移動した。ゆるやかな坂道を走ってまるみがやって来る。まるみの行く先をとうせんぼするかのように男は立っている。

 走って来たまるみは行き先を塞ぐように前に立っている男を認めて立ち止まった。男は上背もあり体格も良く、きちんと刈った髪を七三に分けている。深夜なのにサングラスを掛け、口元には髭を蓄えている。スーツを着こなして悠然と立ち、まるみの行く手を塞いでいる。まるみに用があるようだ。

 ゾンビ化したまるみは単純な思考しかできない。自分が感染している狼病ウイルスを撒き散らしウイルス量を増幅させて行くため、目の前の人間を襲って咬みつきウイルス感染させるか、または野生の獣の本能のように目の前の人間を敵とみなして襲撃するか、いずれにせよ相手を襲って倒すことを考えるのだ。

 まるみが猫背の姿勢のまま、両手を顔の脇に構えて口を大きく開き牙を覗かせる。いつものまるみの戦闘態勢だ。

 目の前の男は小雨の中、落ち着き払って立っている。三、四メートル開いた距離から、一気にまるみが飛び掛って来た。ゆるやかなカーブを描いて上方からまるみが身体ごと襲い掛かって来る。男の首筋を狙って上から咬みついて来るのだ。

 まるみの野獣の牙を持った顔が男に近付いた瞬間、男が片腕を空中に伸ばした。上から咬みつこうと掛かって来たまるみの顔の、首部分を男の片手がガシッと掴んだ。まるみの頭部が空中に固定され、まるみの身体はその反動でぶんぶん揺れた。

 ネックハンギング状態だ。まるみの身体は空中で吊り下げられた状態になった。男はかなり上背があるようだ。空中で吊るされた状態でまるみが手足をバタバタさせてもがく。男の片手はまるみの首をがっしりと掴んだまま固定している。

 男が空いた方の手に拳を作り、宙に浮いたまるみの身体のみぞおちにパンチを入れた。軽く叩いたように見えるが大柄な男のパンチは強力だったようだ。手足をバタつかせていたまるみは、ボディーに喰らった一撃でおとなしくなり、ぶらんとぶら下がって動かなくなった。

 失神したまるみを見て、男は首を掴んだ手を離した。ドサリとまるみの身体が道路に落ちる。まるみはそのまま動かない。男は背広の上着を開き、片手で内ポケットを探った。男が何か平たいケースを取り出す。

 大きな手でスマホサイズより少し大きめのケースを器用に開いて、中から細くて小さなペンシル型のものを取り出した。使い捨ての注射器のようだ。男はケースをポケットにしまうと、中腰に屈み込んで、道路上で寝たまま動かないまるみの頭を起こした。まるみは意識がないままだ。男は注射をまるみの首筋に打った。頚動脈に何らかの薬剤を注入したようだ。

 男は立ち上がって、ボソリと独り言を言った。

 「ここまで進行していては、元に戻るかどうか解らないがな‥」

 男は自動車には戻らず、施設の方に向かって歩き始めた。

 

 大佐渡真理は事務室に居た。警察に通報もし、救急車も呼んだ。また、急いで女子宿直室まで走り、ロッカーから自分の私服のTシャツを取って燃えたポロシャツと着替えた。女子居室棟・男子居室棟共に確認したが、騒ぎに利用者は起き出して来てなかった。真理はこの作業をわずか数分で終えて事務室に戻って来ていた。

 事務室の床に倒れている、蟹原友宏と副施設長だが、友宏の方は意識はしっかりとあり苦しそうに荒い呼吸をしている。意識を失って倒れている副施設長の方も心臓は動いていた。しかし二人とも肩口からの出血がひどい。真理は焦る気持ちで救急車の到着を待った。

 ハッと真理は気が付いた。まだこの施設のトップのポジションに居る施設長にこの騒動の連絡を入れてなかった。この施設内では平社員である真理はいつも、仕事上の連絡は直属の上司である主任か副施設長に入れていた。先ず滅多に施設長に直接連絡を入れることはなかった。今はナンバーツーのポジションの副施設長は意識を失ったままだ。

 緊急事態だ、退社後多分家に居るだろう主任に連絡を入れるよりも、直接施設長への報告だろう。真理は副施設長の机の上に敷いたビニールマットの下の職員連絡表を覗いた。

 真理が施設長の携帯電話に連絡を入れようと事務室の電話の受話器を取った。そのとき、半開きになったドアの間からヌッと男性の顔が覗いた。真理は驚いて上げていた受話器を戻した。

 ついさっき警察に通報していたので最初、刑事かと思った。背広を着てネクタイを締めてるが、顔が違った。外人なのだ。体格が良く上背のある白人男性。顔にはサングラスを掛け口には髭を蓄えている。真理は戸惑った。

 男性は背を屈めるようにして事務室の中を覗いている。そういえば玄関ドアは怪物·まるみが出て行った後施錠してなかった。外国人男性を前に真理はドギマギした。

 「あの、あなたは誰ですか?」

 真理は英語ができない。焦りながらも一言問い掛けた。白人男性はサングラス越しだが真理の方を見た。

 「私は医師だ」

 驚いたことに白人男性は流暢な日本語で答えた。

 真理が次に何を問おうか考えていると、男はツカツカと事務室の中に入って来た。リノリウムの床は上履きなのだが男は革靴のままだ。男は真理には構わず蟹原友宏の傍に屈み込み、背広の内ポケットからケースを取り出した。ケースから細くて小さな注射器をつまみ上げると、苦しそうな顔をして唸っている友宏の首筋に注射を打った。

 次に副施設長のもとまで行き、同じように副施設長の首筋に注射を打つ。

 真理は呆然として突っ立ったまま、白人の男のすることをじっと見ていた。男は立ち上がりながらケースを内ポケットにしまった。

 真理の前に立って男が問うた。

 「咬まれたのはこの二人だけか?」

 「は、はい」

 真理は慌てて答えた。

 「この二人は咬まれて時間が経ってない。今の薬でウイルスは死滅する。しかし出血がひどい。病院に連れて行くことだ」

 「救急車を呼んでます」

 「そうか」

 真理は男を見ていてハッと思った。真理の背中に電撃のように戦慄が走る。真理は気が付いた。この男は普通の人間ではない。

 「うん…?」

 自分を見詰める真理の様子の変化に白人男性はいぶかしむ表情を見せたが、直ぐに了解したというふうに真理に対して微笑を浮かべた。

 「そうか。君はそうだったのか」

 男は戸外を指し示すように顎をしゃくって見せて話を続ける。

 「あのゾンビの犠牲者がこの二人で済んだのは君が追っ払ったからだな。あのゾンビを撃退できるとはよっぽどの力だな」

 喋る男に対して真理は恐ろしい存在を目の前にしたように全身をこわばらせて緊張した表情で居る。油断できないというふうに構えている。

 「私の正体が解るらしいな。心配するな。私は君の敵ではない」

 肩幅広く体格の良い大きな白人男性は、グレイのスーツに身を包んでネクタイを締めて紳士然としているが、深夜なのにサングラスを掛け七三に分けて整えた髪はグレイというよりは銀色に近い。口髭も銀色だ。心配するなと言われたが真理は緊張を解かなかった。さっきから解っている。この男は人間ではない。

 そうしている内に外からサイレンの音が聞こえて来た。真理が電話で呼んだ救急車とパトカーが来たらしい。白人男性が外を気にするような仕種で言った。

 「私はあまりああいうものとは関わりたくないんでこれで失礼する」

 男はドアに手を掛けながら最後に真理に対して言った。

 「サイキックの君はかなり強い力を秘めてるようだが気を付けることだ。そういう力は強ければ強いほどコントロールが難しい」

 それだけ言うと男は事務室から出て行った。

 真理は呆然と立ったままだったが、サイレン音が近付いたことに気が付いて、施設正門の鉄条門が閉めたままかも知れないと、慌てて事務室を出た。玄関フロアを抜けて施設の外へ出たが、門は閉めたままで門の前には煌々と赤い回転灯を点けて救急車が止まっている。その後ろには同じく回転灯を点けてパトカーが居る。

 あたりを見回したが、医師だと名告った謎の白人の姿は何処にも見当たらなかった。真理は急いで門を開けて救急車とパトカーを招き入れた。

  

(この章終わり。次回へ続く)
※「じじごろう伝Ⅰ」狼病編‥(15)はこれで終わります。次回、狼病編‥(16)へ続く。 

◆「じじごろう伝Ⅰ」狼病編‥(1)2012-8/18

◆「じじごろう伝Ⅰ」狼病編‥(9)-α- 2013-4/9
◆「じじごろう伝Ⅰ」狼病編‥(9)-β- 2013-4/9

◆「じじごろう伝Ⅰ」狼病編‥(14)2017-2/24

◆「じじごろう伝Ⅰ」長いプロローグ編‥(1)2012-1/1
◆「じじごろう伝Ⅰ」長いプロローグ編‥(2)2012-1/19


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「恐怖の原子... 「学校の探偵」 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。