60~90年代名作漫画(昭和漫画主体・ごくタマに新しい漫画)の紹介と感想。懐古・郷愁。自史。映画・小説・ポピュラー音楽。
Kenの漫画読み日記。
「恐怖の原子人間ムーズ」..闇の画廊 -ホラーコミック傑作選-
海沿いの国道で道路破損があり、深夜、一台の自動車が転落事故にあった。駆け付けた警察官が見ると、道路のアスファルトがまるでアメのように溶けて、道がでこぼこで通行不能状態になっていた。刑事部屋の長椅子で仮眠を取っていた南刑事は、この報せの電話で起こされて、南刑事も現場へ急行し、怪現象の状況観察にあたる。事故車は運転手・乗客とも海に落ちていた。火山地帯の中に通る国道のことで、自然現象なのではないかと推理していたが、事故現場近くで真っ黒に焼けた犬の死骸が見つかる。死体の引き上げを待つことにして南刑事は一旦引き上げる。
事故で亡くなった死体の身元が判明し、南刑事のもとへ連絡が入り、被害者は億万長者の金木成造で、道路の溶けたアスファルトから放射能が検出された。原子力研究の権威、東博士は金木成造の資金援助で研究を続けていたが、原子力の家庭化という研究が失敗に終わり、金木は援助した金を返せ、と東博士に迫って来たらしく、どうやらそれで東博士が金木成造を恨んでいたらしい、という情報が警察に入って来た。
黒焦げになった被害者、金木成造の死に対して動機が考えられ、当日のアリバイがないということで、東博士が警察の事情聴取に呼ばれ、直ぐに、容疑者疑惑があるとして、新聞記事に載ってしまった。警察で絞られたが決定的証拠がなく、帰宅して来た東博士を家族が心配する。深夜になっても自宅の研究室に閉じ籠ったまま出て来ない父親を心配して、東博士の息子、八郎少年は研究室に父を見に行く。
研究に失敗して犯罪者扱いの疑いを掛けられた東博士は、精神的に疲弊していて、遺書を残して自殺してしまう。悲嘆に暮れる家族。八郎少年は父親の無実をはらすことを誓い、警察の南刑事の前で、中学生の自分が真犯人を捕まえることを宣言する。
翌日、またも犬の黒焦げ死体が発見され、その次には、一市民が交番に駆け込み、人間の黒焦げ死体を見つけたと通報する。それから何日か、警察の捜査は滞ったままで、新聞にも、警察の捜査は行き詰まりか、などと書かれる。その内、次の犠牲者が出たが、今度は被害者は生きていて身包み剥がれる強盗にあっただけだった。
中年男性の被害者の身包み剥いだ、二人組みの強盗は武装していて、一人は拳銃を持ち、もう一人が原子銃というショットガンふうの武器を持っていた。全身を覆面とコスチュームで覆って、原始銃で黒焦げにされたくなければ金目の物を置いていけ、と脅して強奪するのだった。その後も原始銃強盗は犯罪を重ね、ついには商店や銀行までも襲って強盗する始末。また、黒焦げ死体も次々と発見されていた。
父の疑いをはらすべく深夜パトロールを続ける東八郎少年は、深夜、南刑事と遭遇する。南刑事の帰宅せよという忠告を聞かず、八郎少年は警察捜査の後を追う。警察に追われる原始銃強盗の二人組みは、貨物置場に追い詰められて警察と銃撃戦を繰り広げていた。
南刑事の弾丸の当たった拳銃を持った方の強盗は、拳銃を落として倒れたが、片方は逃げた。落ちている拳銃を拾った八郎少年は、原始銃を持った方のもう一人を追う。簡易倉庫に逃げ込んだ強盗を見つけた八郎少年は、原始銃強盗に掴み掛かる。原始銃強盗は原始銃を撃たずに、原始銃を振り回して八郎少年を叩く。駆け付けた南刑事に捕らえられた原始銃強盗の一人。くだんの原始銃を見てみると、原始銃とは手製のオモチャでしかなかった。この二人組みの犯罪者は、頻発する黒焦げ死体事件に便乗した強盗でしかなかった。
なおも夜のパトロールを続ける東八郎少年は、深夜の公園で黒焦げ死体を発見する。電話で南刑事を現場へ呼び、八郎少年は帰宅するよう南刑事に諭される。現場を見張っていた刑事が銃声を聞いて銃声の方へ行くと、二人の刑事が拳銃を手にしたまま黒焦げになっていた。仲間を黒焦げ死体にした犯人を捜すべく辺りを回ると、不気味な笑い声と共に何者かが現れる。慌てて拳銃を構える警官だったが、謎の怪人が全身発光し怪光線を警官に浴びせる。たちまち警官は黒焦げに焼けてしまった。
さらに仲間の警官が相方を探しに行くと、またも発光怪人が現れ、その警官も黒焦げにされる。悲鳴を聞いた南刑事が駆け付けると警官はまだ生きていて、「光る人…」という謎の言葉を残して息切れた。
翌日バイクで八郎少年と共に最初の現場へと向かう南刑事。現場の山向こうには大きな洋館が立っていた。野球少年がボールを拾いに敷地に入ると、窓越しに研究服姿の老人が見えるのだが、呼び掛けても何も応えず姿は動かないのだと言う。野球少年の話す洋館を訪ねる南刑事と八郎少年。
洋館で窓越しに研究服姿の老人を見つけ、南刑事はこの老人が既に死んでいると気付き、強引に洋館へと入る。窓の部屋へと向かうと老人は消えていた。不穏な足音を追って廊下へ出ると廊下の先で白衣の老人が倒れている。背中に短刀が刺さり死体となっていた。何者かが老人の遺体を運んだものらしい。
死体は原子力研究者の鷲田博士だった。博士の懐から手帳が出て来て、研究過程が書き込んである。博士は助手のムーズを実験台に使い、原子力に寄って生き返らせた。実験成功を喜ぶムーズだったが、ムーズが怒ると身体に異変が起きて、強烈な発光と共に高熱を発して傍にある物を黒焦げまで焼いてしまう、という副作用が生じていた。吠えてきた野良犬を焼き殺したムーズは自分の能力を試したくて、外出しては人を焼き殺して楽しむようになった。ムーズの犯罪行為を咎める博士までも短刀にて殺害する。
連続黒焦げ死体殺人事件の真相と、真犯人の怪物人間のことを知った、南刑事と東八郎少年の前についに、原子力人間ムーズが現れる。南刑事の撃つ拳銃の弾などびくともしないムーズは、身体が発光を始め衣服を焼いて原子力人間となる。二人を追うムーズだったが発熱したために研究所の屋敷ごと焼いてしまう。
火事で全焼した焼け跡からムーズが起き上がり、警察の発砲を意に介さず付近の村へと侵入する。子供連れの女性が襲われそうになるのを拳銃を撃って守る南刑事だったが、発光発熱するムーズが迫って来た。危うし南刑事、もう駄目かと思われた間一髪、原子力人間ムーズが倒れた。発光発熱を続けた原子力人間はエネルギーが切れてこと切れたのだった。原子力人間ムーズが滅びて、多くの犠牲者を出した怪事件は落着した。
関谷ひさし先生の傑作SF怪奇短編漫画「恐怖の原子人間ムーズ」は、1957年の秋田書店の児童雑誌「まんが王」に掲載された作品です。僕が漫画を読み始めるのが62年の暮れか63年初頭頃で六歳時ですから、当然のように雑誌初出ではこの漫画は読んでません。僕が初めてこの短編漫画を読んだのは、角川ホラー文庫レーベルのホラーコミック傑作選「闇の画廊」の中の収録からです。ホラー漫画短編集「闇の画廊」の初版発行は96年で、僕が読んだのもだいたいその当時ですね。
もともと角川ホラー文庫は角川書店が編集・発行する、怪奇小説に特化した文庫本レーベルで、怪談・怪奇小説や世界のホラー小説の歴史や主要作品を解説した評論など、活字表現の書籍で、最初はコミックは編集・発行されてませんでした。95年・96年頃から日本漫画史上の怪奇漫画の秀作を編集して、文庫本の漫画で同レーベルで発刊するようになりました。日本の怪奇漫画ではレジェンドの楳図かずお氏や古賀新一氏、水木しげる氏、少女漫画の怪奇系ではささやななえこ氏・美内すずえ氏・高階良子氏などの、優れた傑作怪奇漫画作品を編集して文庫本として怪奇漫画集を刊行しました。
手塚治虫先生の怪奇漫画の短編集も、このレーベルから出てますね。また各有名漫画家のホラーコミックの秀作を集めて編集した短編集もいっぱい出ています。言わずもがな、手塚治虫先生は稀有なストーリーテラーの天才ですが、漫画家業の初期から怪奇作品の秀作が多く、どのホラーストーリーも16ページから40ページくらいの漫画の中で、きっちり起承転結を着けて物語をちゃんと成立させています。勿論、ホラーだけでなくSF もヒューマンストーリーも全作品。“漫画の神様”手塚治虫が「天才」と呼ばれる一番の由縁は、僕はこの物語を作り上げる力だと思います。SF のショートショートの神様、星新一氏が千編のショートショート·ストーリーを作り上げたけれど、手塚治虫のお話作りの力と功績は、僕はそれ以上ではないかと思っています。
角川ホラー文庫のコミック部門の中で、60年代後半の週刊少年キングに企画連載された、小栗虫太郎の人外魔境シリーズのコミカライズを、当時の一流漫画家がリレー形式で作画して行った短編作品数編をまとめたものを、漫画文庫で編集·発刊した作品集は良かったですね。珠玉のダークファンタジー短編漫画集で。世界の果ての未知の地域の不思議で怪奇な現象を描いた短編作品集。手塚治虫先生の回だけはストーリーが小栗虫太郎の原作小説からではなくて、手塚治虫オリジナルストーリーだった。この短編漫画の各ストーリーも小栗虫太郎の原作小説とはお話が若干違い、短編漫画用に脚色しているようですね。
角川ホラー文庫レーベルのホラーコミック傑作選、「闇の画廊」は、日本を代表するホラー小説家の一人である、菊池秀行氏が数多ある日本の怪奇漫画作品から厳選した氏お気に入りのホラーコミックの短編集です。ホラー小説家・菊池秀行編集の怪奇漫画短編集ですね。怪奇漫画短編集「闇の画廊」の巻頭を飾るのが、関谷ひさし氏のSF風味の怪奇短編「恐怖の原子人間ムーズ」です。
角川ホラー文庫はメインは日本の怪奇小説ですが、幽霊やモンスターや怪異現象をテーマにした小説の長編や短編集の他に、ホラーコミックの数々、またスリラーやサスペンスタッチのミステリー作品も同レーベルで刊行されてますね。例えば江戸川乱歩や横溝正史の小説作品など、物語の風味が怪奇味たっぷりだけど、どちらかというとミステリとか推理小説ジャンルに入る作品も多くこのレーベルに収録されてますね。
角川ホラー文庫のホラーコミック傑作選第1集「HoLY」の初版発行は1993年12月になっていますから、この当時からこのレーベル内のコミック版は刊行されてたんですね。ちなみに角川書店が角川ホラー文庫のレーベルを創刊したのが1993年4月からです。
◆闇の画廊 (角川ホラー文庫―ホラーコミック傑作選 第2集) 文庫 –
◆妖獣都市 邪体曼荼羅 <闇ガード> (ミューノベル) Kindle版
◆魔殺ノート退魔針 (1) (幻冬舎コミックス漫画文庫) Kindle版
◆Holy (2) (角川ホラー文庫―ホラーコミック傑作選 第3集) 文庫 –
◆華舞鬼町おばけ写真館 路面電車ともちもち塩大福 (角川ホラー文庫) 文庫 –
◆決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様 (講談社文庫) 文庫 –
僕の子供時代、児童漫画の月刊誌は六冊出ていて、講談社の「ぼくら」、集英社の「少年ブック」、光文社の「少年」、少年画報社の「少年画報」、秋田書店の「冒険王」と「まんが王」の六冊。いずれもペーパークラフトみたいな紙製の組み立て付録と、B5判の本誌に対してB6判の32Pから64Pの別冊付録がだいたい3冊から5冊。別冊付録は後にA5判くらいの大きさで120Pから160Pくらいの大型別冊にまとめられる。一冊本の別冊付録に漫画が3本か4本くらい収録という形になる。「ぼくら」などは本誌と同じ大きさのB5判で48Pくらいの別冊付録も登場する。で、これら漫画本はだいたい小学生読者対象で、まぁ小一・小二くらいから中一くらいまでが読者対象の内容かな。その中で「少年」「冒険王」「少年ブック」「少年画報」がお兄ちゃん格で、まぁ小三くらいから中一・中二くらいの読者対象で、弟格が「ぼくら」と「まんが王」で小一から小四・小五くらいまでの読者対象。「少年」「冒険王」「少年ブック」「少年画報」が少年誌で、「ぼくら」「まんが王」が幼年誌という区分かな。はっきり決まっていた訳ではないけど、雑誌の編集方針がだいたいそんな感じでした。「ぼくら」と「まんが王」が毎月3日発売と謳われているけど、僕の住んでいる地方ではほとんど毎月1日の夕方には本が来てましたね。当時は鉄道で来てたんだけど。「少年」「冒険王」「少年ブック」「少年画報」は毎月6日発売になってて、僕の住む地方には、貨物列車で毎月5日か6日に来てたと思う。子供の頃の僕は毎月毎月、この月刊誌の発売を超心待ちで楽しみに待ってましたね。1日や5日は学校が退けてから、まだかまだかと何度も本屋まで行って見ていた。
秋田書店の月刊誌「まんが王」の1957年に掲載された、関谷ひさし氏のSF風味の探偵漫画「恐怖の原子人間ムーズ」は子供対象に描かれた物語としては凝ってますよね。冤罪を掛けられた科学者の自殺と、その息子が父親の疑いを晴らすべく真犯人捜査に乗り出す。連続黒焦げ怪死事件の便乗犯。SF的なシチュエーションの原子人間というモンスターの登場。SFというよりもどっちかというとミステリですね。推理探偵ドラマ方向の物語。児童漫画誌「冒険王」の弟雑誌「まんが王」は幼年誌扱いの漫画本です。「恐怖の原子人間ムーズ」のお話は、幼年誌の掲載にはちょっと難し過ぎるんじゃないかな、と思うけど。当時の子供なら小学校三年生くらいではお話がよく解らないのではないかな。僕が子供のときでも小四くらいでもあんまりよく解らなかったかも。絵柄も幼年誌向けじゃないよね。
「冒険王」の増刊号が「漫画王」になり、後に「まんが王」になったんだよね。「漫画王」と漢字表記タイトルがひらがなで「まんが王」になったのっていつ頃からだろ?僕が「まんが王」を読み始めるのって1962年の暮れか63年の初頭頃ですからね。当時六歳。この頃は既にひらがな表記。「恐怖の原子人間ムーズ」が掲載された1957年はまだ漢字表記の「漫画王」じゃないかな。調べたけど、よく解らないな。1958年はまだ「漫画王」で漢字表記ですね。
僕が初めて「まんが王」を読んだ六歳のとき、関谷ひさし氏の作品が連載漫画の中にありました。タイトル「キャプテン8-ハチ-」。海賊を扱った漫画なんだけど、この作品は時代劇でしたね。主人公の少年が、多分、海賊で、長い髪の毛を後ろで束ねて戦国時代劇に出て来る甲冑を身体に巻いてて、頭部は素顔なんですけどね、腰には刀を差している。この当時の「キャプテン8」は「まんが王」の看板漫画の一つで、本誌カラー掲載から別冊付録に続くスタイルの連載だったけど、六歳七歳当時の僕は時代劇漫画が苦手で、この当時僕は「キャプテン8」をちゃんとは読んでないですね。海賊がテーマの時代劇だった、というのは記憶しています。
小一時代の僕は成績表が5段階のオール1という馬鹿子供でしたし、小二でも多分、ちょっと良くなってオール1に2が混ざった程度だったと思います。児童漫画誌の収録漫画でも、ちょっと難しい設定や内容はもう解らなくて理解できず、飛ばしてたんじゃないかな。小三の初めくらいまでは、戦争漫画、時代劇漫画、野球漫画は苦手でろくに読まずに飛ばしてたように思う。ちょっと賢い子なら理解して読んでただろうけど、僕はこの当時は比較的知能の弱い子供でしたからね。自分で言うのも何ですけど。
「キャプテン8」 の連載が「まんが王」で終了した後、「まんが王」では引き続き関谷ひさし先生の漫画が新連載された。今度はSF漫画でタイトル「火星犬サンダー」。僕は子供の頃、SF漫画が大好きだったので、この漫画はちゃんと読んでます。「火星犬サンダー」が「まんが王」に連載されてた時期って1964年頃かな?65年か?済みません、はっきりしなくて。SF漫画大好きな僕は「火星犬サンダー」はけっこう熱中して読んでると思うけど、何せ数十年前の話でストーリーとかほとんど記憶してません。連載期間は比較的短かったように思う。「火星犬サンダー」は65年新年号から連載が始まったんだっけかなぁ?初めは看板漫画扱いで本誌カラーページから別冊に続く連載だったけど、途中から本誌モノクロ連載になったような気がする。
「キャプテン8」も「火星犬サンダー」も後にコミックス単行本化されてないと思う。勿論、僕はコミックスで再読したことはありません。「キャプテン8」はどうかな‥?でもコミックスは見たことないので、多分間違いなく両タイトルともコミックスにはなってないと思う。
関谷ひさし先生の作品は、月刊誌「まんが王」では、僕の記憶では「キャプテン8」「火星犬サンダー」以降では連載はなかったように思うけど。関谷ひさし先生のデビューは1957年で、「恐怖の原子人間ムーズ」執筆と同じ年ですが、「恐怖の原子人間ムーズ」がデビュー作かどうかは僕には解りません。その確かな描写力のうまさから58年頃からブレイク、1960年前後には「冒険王」の「じゃじゃ馬くん」から「じゃじゃ馬球団」、「少年」の「ストップ兄ちゃん」と両月刊誌の看板漫画となる作品が大ヒットし、50年代末から60年代前半は超売れっ子漫画家の一人でしたね。この時代は少年月刊誌・少年週刊誌・学年誌と数多の作品を描いていて、超大忙しだったでしょうね。関谷ひさし先生の作品は60年代末頃になると見なくなったなぁ。70年代の漫画誌で僕は関谷ひさし先生の作品を見たことはないですね。あくまで僕自身の記憶ですけど。関谷ひさし先生が漫画界で大活躍されてた黄金期は58年59年頃から67年頃までかな。関谷ひさし先生の漫画作品は、シリアスな作風もあったけど、「ストップ兄ちゃん」みたいな等身大のストーリー漫画だけどユーモアたっぷりのコメディータッチの作品がウケてたかな。
「恐怖の原子人間ムーズ」のお話の冒頭で、「原子力を家庭化するための研究‥」というフレーズが出て来るんですが、この当時の一般的な空想では「原子力の家庭利用」なんてことが出て来るんですね。まぁ原子力発電で得た電力を家庭に配電してる訳だから、今の原発も「原子力の家庭利用」と言えなくもないですけど。「恐怖の原子人間ムーズ」の中では「原子力の家庭化」という言葉が出て来るだけで、詳しいことは書いてないですけど、多分、イメージとしては普通の一戸建て住宅の外付けの蓄電池みたいなものですかね。1950年代後半から60年代、児童漫画はロボットブームで、たくさんの正義のロボットが活躍する漫画が児童雑誌に掲載されました。この時代の児童漫画の花形は忍者とロボットですね。悪を退治する正義のスーパーロボット。
僕が漫画を読み始めたのが62年の暮れか63年初頭からですが、この時代の児童漫画誌の看板漫画はSF漫画が多かった。中でもスーパーロボットの活躍を描く痛快SF冒険アクション漫画がいっぱいありましたね。代表的な作品は雑誌「少年」の看板漫画「鉄腕アトム」と「鉄人28号」。まぁ他にもたくさんあるんですけど、後は代表的なもので週刊少年マガジン連載の「8-エイト-マン」。鉄人28号では謳ってないけど、鉄腕アトムとエイトマンの動力源は原子炉ですね。「エイトマン」でははっきりと超小型原子炉と謳ってます。鉄腕アトムの「アトム」は英語で「原子」のことで、鉄腕アトムは原子力で動いてます。アトムもエイトマンも超小型原子炉を身体に動力源として備えている。
こういうところからも解るようにこの時代の空想では、原子力エンジンというものをやがて超小型で作ることができるのではないか、と期待してたんでしょうね。等身大ヒューマノイド型ロボットのアトムやエイトマンの身体に収めることができると空想されてたんですから、家庭用エネルギーに原子力を利用する機械を普通の住宅に設置できると空想されたんじゃないですかね。
日本は太平洋戦争の最末期、1945年の八月に広島・長崎と原子爆弾を落とされ何十万人という日本人が殺されて、また、1954年三月にアメリカのビキニ環礁水爆実験で、当時の遠洋マグロ漁船・第五福竜丸が放射能のいわゆる死の灰を浴びて、乗組員全員が被爆した事件として大きな国際問題となりました。
でも当時の子供の読む漫画雑誌の花形のロボットたちは、呑気に原子力エンジンを小さな身体に搭載して悪人たちをやっつけていた。この時代、一般的に原爆・水爆という核兵器と原発に代表される原子炉など原子力技術は、イメージとして全く切り離されて考えられてたんでしょうね。
柳田理科雄さんのベストセラー好著「空想科学読本」の中で、鉄腕アトムが実在したら、原子力で動くアトムは、アトムの歩くところは後から後から核汚染されて大変なことになる、というようなことが書かれてました。原子力で動くアトムを作ると動くには原子炉が稼動(作動)するから、必ず核廃棄物が生み出されてアトムの行く先々で死の灰が撒き散らされる、ということでした。原子炉で生み出されるエネルギーで動く訳だから必ず核廃棄物が生み出されるんですね。そして小さな身体で核廃棄物を格納や処理ができず、当然死の灰が漏れ出して周囲は大変な惨状になる、ということでしょう。
当時は原子力というものを一般的にはあんまり深く考えられてなかったんでしょうね。原爆・水爆の核兵器と原子力エンジンはほとんど別物としてイメージされてたんでしょうね。あの時代、原子力というのは、栄光の未来社会を作るための花形の科学技術くらいに考えてたんじゃないかな。だから50年代から60年代、70年代、世界中で先進国はバンバン原子力発電所を建造して行った。1986年のチェルノブイリの原発大事故が起こる前までは。チェルノブイリの前にも世界中でちょくちょく原発事故は起きてはいたんですけどね。深刻な大災害にまでなったのはチェルノブイリが初めてで。
でも「鉄腕アトム」の漫画やアニメで、アトムがお尻や胸からエネルギー補給してるシーンがよくあったけど、あの「エネルギー」って何だったんだろうな?ガソリンスタンドのホースみたいのを、チューブでアトムの身体に差し込んでエネルギー補充してたけど。漫画見てたときは深く考えずに電気くらいのイメージで見てたけど。
(2021-1)僕は全く知らなかったコトなんだけど、原子力電池なるものがあるんですね。放射性物質がα崩壊するときに熱が出て、この熱を電気に変換する技術らしい。60年代から研究されていて70年頃から宇宙ロケットなどに実用されてたんだとか。他にも利用が考えられていたが、何せ原子力電池なので被爆リスクがあり、発展して来なかったみたい。ロケットも落下して放射能撒き散らした事故もあったよーな。漫画の中の「原子力の家庭化」というのは、この原子力電池のコトなのかな?と思った次第でして。
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