宮沢賢治記念館の建つ山の胡四王神社を紹介した一文がある。記した方は杉山氏という。
当神社周辺は縄文、弥生の時代すでに集落が形成されていたことは胡四王山南斜面一帯から発見される竪穴住居跡によって知ることが出来る。昭和32年東京大学東洋文化研究所の発掘調査により須恵器の大甕土師器の広口甕が発見されております。
胡四王神社は、大同2年今から1196年前、坂上田村麿東征の折、自ら兜の八幡座に納めてきた薬師如来像を安置し医王山胡四王寺と命名、従士杉山右京を別当として守護せしめたことに始まり 後、建久元年817年前源頼朝、平泉を攻め奥州を平定 山陰左中将の末葉、中山五郎為重に稗貫郡を賜り当山に18寺院を建立、祈祷第一の霊場とし更に麓六坊なども大いに栄えたという。
降って天文年中、諸国兵乱に明け暮れ帰依の庶民○○し領主も造営にいとまなく霊場は頽廃(たいはい)薬師堂1宇(う)を残すのみの廃れようでした。文化15年188年前別当を詞官と改め神道医業の神、国土開発の神として大巳貴命(おおなむちのみこと)少名彦名命(すくなひこのみこと)の二神を祀り現在に至っている。
花巻の生んだ稀代の絵師、八重樫豊沢の筆になる「薬師如来像」(花巻市博物館蔵)慶応3年、花巻の名棟梁 高橋勘次郎の手により彫られた彫刻が拝殿を彩る。
又、「俳星」「獺祭(だっさい)」他の俳句雑誌によって岩手県出身の岡本不衣、岩動炎天らと共に俳句で活躍した熊谷一谷(いっこく)の句碑が胡四王山中腹の展望台に建っている。
この書を著した杉山氏(矢沢在住)は絵画、書をたしなみ、麓研修館には郷土史年表を掲示されていたが紛失した。残念の至りである。ご子息も還暦年令の筈、ということは氏も80才は超えているはずだが今もって元気で畑仕事に取り組んでおられる。益々ご活躍をお祈りいたします。
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