赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼ヴォーカル大好き<山城赤月名>

2014年09月16日 | ■今丼政幸君との対話

昔は、横書き文も、右から始まって、左に向かって読むのであった。おそらく日本語の場合、書くのも読むのも右からが優先されていたせいであろうと思われる。

縦書き文章は、上から下へと文字を連ね、行を替える場合は、もちろん左側に余白をとって、行をとり、また上から下へと文字を追って書き連ねてくるものであり、また、そのように目を追って文字を読むのが大昔からの通例だった。

そもそも文章が横に向かって書かれているなどという逆転現象は、われら民族には未経験の出来事だったのである。そこで苦慮した結果、横書きの場合も、通例の縦書き文がそうであるように、右から左へと読んでもらおうという結果になったのだろう。このような慣例が、おそらく大正期あたりから、昭和40年近くまで、続いていたように思われる。今日でも、今や廃墟と化した昔の街道の場末のあたりで、ペンキのハゲかかった古い乾物屋の看板の右下のほうに

八四三一(六二)九0 話電 店商井今

などと書かれた文字を、まれに見ることがある。

さて、文章に右利き左利きがあるものか、または無いものか等々の「ご議論」は、後日、おっていたすこととして、今日は東海林太郎氏のデビュー曲として名高い演歌を一つご紹介する。昭和14年に発表され大ヒットに及んだ。真珠湾攻撃に突入せし二年前のことであった。このレコードのラベルが、やはり右からだった。<山城赤月名>とある。

とくに二番の歌詞がいい。定年後、または定年間近の中高年なる日本男子なら誰にしろ、この歌詞ばかりは心にぐっとくるものがあるに違いない。本日は演歌の女王島津亜矢さんに歌っていただいた。ご覧あれ。

http://www.youtube.com/watch?v=hX2fdshLwW4

 

意地の筋金 度胸のよさも
いつか落ち目の三度傘
言われまいぞえ やくざの果てと
悟る草鞋に 散る落ち葉

 

 見事なる七五調である。七五調を馬鹿にするものは美空ひばりに笑われる。

 

 

 

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