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▼蝶の研究

2012年05月27日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.05.27 世田谷区

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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2 コメント

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素敵な写真ですね (泥炭)
2012-05-29 09:13:42
腕を上げたようですね。
自然とはかくも美しいものであったかと
教えられるここちがします。
どうしてあの根性悪のかもめさんに
こういう写真が撮れるのか
不思議です。

かもめさんって
きっとおしゃべりさえしなければ
素晴らしい人なんでしょうね。
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根性悪と善人 (鴨目)
2014-09-17 22:20:35

こんにちは、泥炭さん。お久しぶりにござ候。

さて、あなた様よりいただいた上のコメントは二年以上も前のものですが、改めて読み返してみるに、拙者についての、あまりにも図星なコメント。

そこで感心したあまり泥炭さんをして、一献さずけしお誘いする次第にてござ候。

そこで言っておくのですが、わたしが「根性悪」に見えるのは、それなりに理由と魂胆があるのです。

まっ、この年になっても、自分についてばかりは、自分ではうまく批評はできがたし。

せめて、根性が悪そうな男として「振る舞っておこうという」という、わたしになりに選んだネットにおける態度のことなのです。

「善人」と思われるより「根性悪」と思ってもらったほうが、どれほど気持ちが助かるか。

この先も根性悪で通していこうと固く心しておるところなり。もちろん、これぽっちも「素晴らしい人」なんかでは全然ありませんよ。

実に小汚い老人の一人に過ぎないと確信しているところです。間違いありません。善人でもなければ素晴らしくもありません。

それでよければ、どうでしょう。どこか場末の赤提灯で一杯やりませんか。

ほうれん草と魚肉ソーセージの炒め物が絶品で、大人気の立ち飲み屋を知っています。

人恋しくてなりません。馬鹿でもなんでもいいのです。少々雑談できて、わたすの話に耳を貸してくれる御仁なら、アンポンタンであろうとなんであろうとかまいません。

ご安心くだされ。昔はともかく、今となっては話が合わないからといって、殴り合いの喧嘩をするほどの体力もなし。

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