今日は朝方に、ほんの少し雪が降った。さて、私も野良猫の写真ばかり撮っていても、なにか物足りない気持ちがわいてきて、町内の犬にもレンズを向けるようになったのは、ごく最近のことだ。猫に飽きたというわけではないのだが、町内の猫たちからは相当に嫌われているらしい。私が歩いていく方向の、先のほうでは、示し合わせたように猫たちが、さっーと隠れてしまう雰囲気が出来上がってしまっているのだ。考えてみればこの数年、エサも与えず、食事中であろうと昼寝中であろうと猫のネグラに踏み込んで、一方的に写真を撮っていく狼藉がたたった。そのツケが、やってきたらしい。毛嫌いされてまでレンズを向けるずうずうしさが私には足りないのか。写真根性がないと言われれば、返す言葉もない。かと言ってやはり、私から猫の写真をとってしまっては、ホームページの価値が半減する。今後いっさい猫の写真は撮らないと言っているわけではない。写真を撮らせていただく見返りとして、ポケットにエサの少しも携えていくべきかどうかと、悩んでいるのである。ところで、犬も猫も同じで、いつかも書いたが気に入った写真が撮れるのは、たまにあるかどうかだ。まれによさそうな写真が発見できたとしても、決して私の腕がよいとか、カメラの性能のせいにはできない。方法論や技術は二次、三次の問題である。むしろ偶然とか、出会い、または撮る側と撮られる側双方の気分に左右されているような気がしてならない。レンズ越しに彼らの命の存在の大きさのようなことを、ふと感じることがある。それはもう、彼の精神と言ってもよいだろう。多くの場合、行きずりだが彼と出会った決定的瞬間の幸福な経験が、何枚も何枚も撮ったうちの一枚に刻印されていることがある。
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