
「写真のワナ」(新藤健一)という本を昔、読んだことがある。その本によれば、今では誰でも知っている話だが、例えばロシア革命時に撮られた写真なども、その後の為政者の政治的意図によって、さんざんに改ざんされてしまったというような事例が書かれてあった。群集に向かって演説するレーニンの横にいるはずのトロツキーが消された写真が、われわれが教科書などで見せられてきた写真なのだという。「合成写真」などというのも、その類だろう。さらに、それを言うなら最近の映画には、なくてはならないコンピュータ・グラフィックスなどは、どう解釈すればよいのだろう。
さて、本日、私が撮った上の写真もワナがある。騙すつもりはなかったのだが、私の意図的なトリミングの結果、こうなってしまった。上の絵は、そのときレンズに入ってきた風景のほんの一部なのだ。この絵を見ただけでは小さな子どもが、ずっと先を歩く母親から離れてしまい、あわてて追いかけているように見える。
実際はどうだっただろう。実は、子どものずっと先を歩いている赤いコートの人物は、シャッターを切る前に私が確認したところによると男性のようだったし、子どものすぐ後ろから父親らしき人が歩いていたのである。
さて、本日、私が撮った上の写真もワナがある。騙すつもりはなかったのだが、私の意図的なトリミングの結果、こうなってしまった。上の絵は、そのときレンズに入ってきた風景のほんの一部なのだ。この絵を見ただけでは小さな子どもが、ずっと先を歩く母親から離れてしまい、あわてて追いかけているように見える。
実際はどうだっただろう。実は、子どものずっと先を歩いている赤いコートの人物は、シャッターを切る前に私が確認したところによると男性のようだったし、子どものすぐ後ろから父親らしき人が歩いていたのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます