赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼言葉とネットの相関図

2023年09月11日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

 むかし、当ブログに、以下のような雑文をさらしたが基本の考えは今もおなじだ。当時はまだ昨今流行の動画でしゃべくりまくる個人サイトは皆無であったはずだ。ところがいまやネットでは、動く絵(動画)による個人的主張が全盛となっている。これは別に、悪いことだとは思わない。実際、わたしも新聞を読んだり本を読んだりする時間よりは、よほどおおくの時間を動画見物に費やしている。
 それでもなお、わたしの場合は、実際、古いヒト科で、ネットにせよ何にせよ、自分が発する主張があるなら、それは文字による表現(発信)しか、できないだけなのである。これ以上のことは技術的にも到底無理だし、活字信仰と言われようが、旧いと言われようが、当ブログを根城となして、このままの調子で最後まで行こうと思っている。

 

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 <以下 2009.11.22 記>

 先日、久しぶりに当ブログ「新平家物語」(現在は赤いハンカチ)にお顔を見せてくれた小林さんのブログの記事の中に、次のような、お話が書かれてあった。

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○○さんという人が興味深い話をしているので紹介してみます・・・○○さんの指摘によれば、ネットの時代とは「空前の<自己テキストの時代>」が始まった時代だという。リアルなコミュニケーション、ネットワークでは表現できないテキストを、自己テキストとして表現し得ることの可能性を述べているのだろう。おいらがかねてより、ネットの達人(かもめさん達)に対してかんじていた、考えていたキーワードを表しているとも見えた。そこには「日常からの解離」もまた存在し、ネットコミュニケーションを面白くさせている。ネットもまだまだ捨てたものではないのである。
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 結論からすれば、小林さんの考えの方向性と、文中○○さんのネットに対する考え方に、わたしもまったく同感したところである。わたしは文学通ではないが文学好みであるとは思っている。「活字好き」という言葉があったが、それとは、少々違う方向で、やはり文学好きであり、ようするに新しい言葉を読みたい書きたいという欲求は隠せない日々を送っている。だからネットを金のかからない手ごろなひとつの道具と心得て、安直に使いまわしているだけだ。書籍は見ないとは言えないが、図書というものは、金がかかるし、読了するには骨を折る。ネットは安直で手ごろなのである。いまのところ、わたしのネット感は、それ以上でも以下でもない。だが文学という概念にかかわるのかどうかは知らないが、文字や言葉に対する欲求は、さらに、新しい言葉による新しい事柄を、自分の手で、なさしめてみたいという思いばかりが募りに募る。
 やはり内心からの欲求として、新しい言葉を読みたい書いてみたいのは山々で、だが、そうは言っても、それが簡単に入手できないもどかしさを感じている毎日でもあって、それがまた面白いと言えるのではないかと、できないことを言い訳じみて、逆説をもてあそぶ日々なのではあるが、こればっかしは結局、人々の歴史、文化の総体がかかっているようなので、非才なわたしにどうにも、どうにも、しようのないことなのかもしれないと思って、またまた言い訳じみてくるばかりなのである。それにしても、なぜ、言葉が面白いのであろう。それこそ問題だと思っている。
 小林さんもそうなのだろうが、われらには言葉(活字)なしには、一日たりとて過ごせない。不遇にも、そうなってしまったのである。そうして、この先もえんえんと、くだらないのかどうなのかは知らないが、あいかわらず安直に、歴史が作ってきてくれた言葉を弄していくのであろうと予想ぐらいは立てられる。ここで、ひとつだけ、ネットと言葉に対する、わたしの覚悟といったものを披瀝しておきたい。別に小難しいことではないのだが、これらは、まさにネットで学んだという確信があるから述べるのである。
 一口で言えば、言葉は私語につきるということである。私語以外の言葉などは、捨てておこうという、よいか悪いかは知らないが、わたしの個人的な覚悟ができたということである。これが当面、文字を読み書くという行為を意味づける、わたしの方向性となるはずだ。法律も理論もそうだし、新聞、雑誌、図書の多くがそうなのだ。文学史や哲学史などという、それらしく、まとめられた文言の多くが、わたしの欲する「言葉」とはほど遠いものかということが、つい最近分かってきたのである。いささか傲慢に聞こえるだろうが、ネットを通じて思想化された方向性として、わたしは、いまや人々個々が発っしてきた、または発しつつある私語以外の美辞麗句は眼中におかないようにしている。

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