赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼わたしが愛するアゲハ蝶

2011年05月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

昼ごろになって、三日ぶりに雨があがり太陽が顔をだしてきたので、午後から電車にのって沿線のはずれの方にある「こどもの国」に行ってきた。

2011.05.30 横浜市 こどもの国


アカボシゴマダラ蝶(♂)。先日見かけたのはメスのほうで、今日の蝶は
尾羽に赤い模様があったのでオスだとわかった。メスにはこれがない。


いまだに私は、黒アゲハとカラスアゲハの区別がつかないのである。
今日見たアゲハは右の尾羽が欠けていた。これなどまだ良いほうで、
ほとんどボロボロになった羽根で、飛び回っている蝶をよく見かける。

 

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1 コメント

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Unknown (泥炭)
2011-05-31 08:33:33
> 美しい花がある、花の美しさという様なものはない・・・小林秀雄

 素晴らしい山がある、山の素晴らしさと言うようなものはない。
 美しい女がいる、女の美しさと言うようなものはない。
 素晴らしい政治家が居る、政治家の素晴らしさというようなものはない。
 
言えてる様な、今一ぴったり来ない様な。 これもまた、私には使いどころ、文脈次第と言う心持がします。

 ところで、お写真の花に寄る蝶や蜂達、彼等もやはりこれらの花を美しいと感じているのでしょうか。 彼等がそれを感じ、慕い寄ってくればこそ、花も子孫繁栄のためいよいよ美しく装うのでしょう? してみれば、これらの花が美しいと感じる心は蝶や蜂や私達でさまで変わらない。 あんなに小さな虫達が私達とさまで変わらぬ美的感覚を持っている。 なんだか不思議ですね。
 
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