赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼「資本論」序文

2018年09月20日 | ■ヨニウム君との対話

>ある年代の日本人男性の場合、ともかく太宰・三島・小林・ドストエフスキーについて
>知ってることを書いたり言ったりすれば「文学がわかっている」という記号になるらしい。
>なんでやねんなぁ……。

おっしゃる通りだとは思いますよ。思いますし、それにひがんで言うのではないのですがね。やはり、売れた本に良書なしは本当のことのようですね。上のあなたの言の感想ですが単純にまた好意的に解釈すれば、あなた様が名を挙げておられる小説家各氏が残した作品が忘れがたい感銘を読者に与えてくるということに帰着するのではないでしょうか。小林が多喜二ではなく秀雄であった場合ですが。文学がわかっているという記号になるかどうかは知りませんが、たとえばドスト氏の大長編『カラマーゾフの兄弟』などを読み終えれば、そりゃ大仕事を成し遂げたごとくに自分をほめてやりたくもなるものです。他人は、読んだ読んだと自慢しているようにしか見えない場合もあるでしょうが、ま、そこは大人の対応です。なにしろ、すごいことですよ。あれを読了するのは。さて文芸作品とは違いますが、似ような位置と現象がみられるのが、カールマルクスの『資本論』ですね。ま、あれを読み通すのもかなりの労苦が必要とされるようです。そういえば、上の小林秀雄が『資本論』について面白いことを言っている。『資本論』?ああ、あの本は序文だけ読めば、それで済むと。わたしも小林秀雄の実に簡単な一言批評でマルクスについての全面評価は事が済んでいるような気がしますね。 草々

 

科学的批判にもとづくいっさいの意見を歓迎する。私がかつて一度も譲歩したことのないいわゆる世論なるものの偏見に対しては、あの偉大なフィレンツェ人の標語がつねに変わることなく私に当てはまる。汝の道を進め、そして人々をして語るにまかせよ。

ロンドン 1867年7月25日 カール・マルクス

 

 

 

 

 

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