銚子・角巳之・三代目

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夢・秀・伸

2009年09月28日 | インポート

061066 写真左からブランド豚・三元豚(さんげんとん)の去勢:夢氏、真ん中が中ヨークシャー種(いも豚などとしてこれまたブランド)の去勢:伸氏、そして右がデュロック種のメス:秀氏(デュロックは肉質が良く、オスは一般的な豚肉の多くに掛け合わせとして使用されておりますがメスを見る機会はほとんどないです) いずれも非常に珍しい豚3種。知人の紹介、ご縁あってこれら3氏とご対面して参りました。銚子のお隣・旭(旧飯岡)にて....。しかもその日は、この3氏が食肉センターに送られる2日前....。高名なルポライターさんが、自分で豚を育て(夢・伸・秀と名前を付けたそうです)、それを食肉センターに送って肉にして、東京・新宿にてプロのシェフが血の一滴まで無駄にしない料理を作り、関係者一同で食す...企画だったのだそうです。もうすでに肉になっている頃、その後どうなったのでしょうか?....。可愛い子豚の頃から生活を共にし、いつしか豚の間で序列が生まれ(左の夢氏が暴君として君臨していたそうで....)、一番いじめられていた伸氏をかばいながら、その間隙を突いてエサを食べる秀氏の要領のよさに笑みがこぼれて....。そんなこんな....でも、豚は経済動物。人間に食べられるために生きている...。映画“豚のいた教室”をDVDで観ました。非常に重なる部分が多い....。“可愛い”から情が湧き、やっぱり食べるの(殺すの)“かわいそう”になるのですが、そこが人間の身勝手な部分。やはり最後は“ありがとう”となるべきで、故に血の一滴も無駄にしない....。感謝して食べる。目の前のトンカツ、生姜焼き、ハンバーグ、ハム、ソーセージから豚を連想することは、時としておかしなヤツだと思われるかもしれませんし、お前が子供の頃、豚を殺すことを連想しながら豚肉食っていたのか?、豚が殺されて豚肉になること考えずに生きて、何か不都合でも....。あらゆる反論が容易に想起されますが、命をいただいて人間は生きている、むろん魚も野菜も米も卵も、すべて食べ物は....。いつも名指ししてしまい誠に恐縮ですが、旭のH先生、この記事ご覧になりましたら、3氏のその後をお知らせ下さい。


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2 コメント

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人は愛をつむぎながら、歴史を作る (芋屋ぶー太郎)
2009-09-28 14:11:47
人は愛をつむぎながら、歴史を作る
女神なんてなれないまま私は生きる

「残酷な天使のテーゼ」ですわ!

すまん、テーゼは英語ではなく、ドイツ語でありまして
テーゼ=定立(指針・要領・政治要綱)という意味らしいです



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いえいえ名指しは光栄至極にございます。 (ハイハイ)
2009-10-02 20:52:12
いえいえ名指しは光栄至極にございます。
ありがとうございます。

また難題をふっかけましたね。
これはもう、また偉そうにうだうだ言っていいってことですよね。
では・・・あの三頭がどうなったのか、ということから。

飼い主であるライターさんのこれから執筆されるものに触れてしまうとよろしくない気がするので、
さらっとしか書けませんが、秀も伸も夢も、「伝説の出荷」を経て屠場へ行きましたよ。
私もと畜に立会い、彼らの肉や各部位を余さず回収しつくすために、お手伝いをさせていただきました。
彼らは繋留所ではどちらかというと「VIP待遇」で、最後にバナナのおやつをもらったりしてひょうひょうとしているように見えました。
でも伸の体表はピンク色になっていて、ひどく緊張しているのがわかりました。
秀も相変わらずどっちりと寝そべっていましたが、奥のほうから「ギャー」とか「ガシャン」とか大きな音がするたびに、
耳をビクッとさせるので、やはり相当緊張しているのがわかりました。
最後、彼らが追い込まれて息の根が止まるところをちゃんと確認してから、ビニール袋を持って配置につき、いろいろ回収する作業をやりました。
豚足もかしらも、ここもそこも回収しました。
3頭で2時間半。
終わった時はさすがにくたくたでした。
かしらの処理を見たのは初めてでしたが、あれはまさしく職人技。
とても穏やかで荘厳なデスマスクでした。
彼女の豚の、枝肉での評価とカット肉としての評価は、どうぞご本人のブログをご覧ください。
内臓のチェックで屠場に来ることはよくありますが、自分も飼育に深く関わった対象のと畜や解体の全作業に関わる、
しかもそれを口にする、こんな経験は今までもこれから先もまずできないと思います。
機会を下さった彼女に感謝です。

で、こないだの火曜日、東京は神楽坂にある某シアターにて試食会が催され、行ってまいりました。
彼女のブログの告知にあるとおり、3頭のうち1頭が韓国・フレンチ・タイ料理に供され、皆様のお口に運ばれました。
3頭の記録映像が流れる中、私も食べました。
変な表現ですが、口に入れた瞬間「ああ、奴らだ」とわかり、それが震えの来るようなうまさでした。
「ありがとう」でなく、ただただ「美味い」。
それが脳天衝くような感覚として降ってきました。
ああ、うまい。うまい。うまい。
それだけです。
品種がどう、とか飼育方法がどう、とか、肉質がどう、とか関係なかった。

よく、最後には殺されてしまう家畜の獣医をしていてつらくないの、とか聞かれます。
あー、なんもわかってないんだなーこの人。なんて思って
「私はよりおいしく彼らを食すためにこの仕事をしているんです」と答えるのですが、
どうせやっぱりよくわからないんだろうよ、と思っていました。
でも数日前、官能的なまでに「おいしかった」ときまで、私も自分の言葉を理解していなかったのだと。
思い知りました。

何が、そんなにおいしかったのでしょうね?
何だと思います?
自分でも今回のことをよくよく反芻しているところなのですが、だから今のところの自分の考えなのですが、
私が食べたものは、豚肉とそれにまつわるすべての経験だったのかなと。
ご本人が苦労なさって豚舎を作ったこと、慣れない田舎暮らしをしながら豚を本当にかわいがっていたこと、たくさんの方々が協力されていたこと、3頭がどんな風に育ったか、
どんな風に個性的だったか、、
どんな風に殺されたか、
どんな風に人々に食されたか。
そして普段私が接している農家さんたちが日々どれだけ真剣に豚を育てているか。
こういったことが全て、私の感覚に受容されて血肉になる、その実感だったのかなと、思っています。

体験が特殊過ぎて普遍化できませんが、つまりこういうことです。
食、目の前にある食について、どれだけ関わってきたかに「美味さ」はかかっている。
たぶん、その「食」がどれだけ個人の栄養になるかも。
豚はもともと「ありがとう」なんて言って欲しくはないと思います。
自分のこと「かわいそう」だなんて思ってないと思います。
誰も食べられたくなんてないし、でも誰だって食べなきゃ生きていけないんですから。
だったら、せいいっぱい「うまいっっ!!」って言ってもらいたい。
その分の栄養で精いっぱい働いて考えてもらいたい。
ありがたがらないでいい、って言ってんじゃないですよ。
ありがたがればいいってもんじゃないって思うのです。

いま、自分が日々口にしているものがどこでどう作られたものか、さっぱりわからなくなりすぎています。
もっと知りたいです。
知るほどに、きっとおいしい。
未知のうまさが待っている。
そう考えると、この先すっごくわくわくします。

ああ今日を支える美味し糧よ。
美味し糧へと続く今日という日よ。

結局行き着くところは前回と同じです。
そしてすみません、やっぱり長くなっちゃいました。









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