世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

兵馬俑は紅衛兵の嵐の余韻がある頃に発見されました、破壊から免れて人類の宝として後世に引き継げられて幸運でした(中国)

2021-06-13 08:00:00 | 世界遺産
 フエ市内にある旧王宮よりも豪華で見応えがあるのが、郊外にある歴代皇帝の廟でした。お墓で最も巨大な物はエジプトのピラミッド(墓ではなかったとの説もありますが)で、面積ではわが国の仁徳稜かもしれません。権力者は死んでからも権力の余韻を残したがり、権力者のお墓には巨大なものが多いようです。今回は、秦の始皇帝廟と廟に付属する巨大な兵馬俑を取り上げました。

 
 
 始皇帝陵は、西安の東35kmほど、兵馬俑はさらに東.5kmほどで、路線バスもあったようですが、現地発着のツアーに参加しました。兵馬俑などに加えて母系氏族社会の村落の遺跡である半坡博物館や始皇帝と楊貴妃のロマンスの場となった温泉施設の名残の華清池などに立ち寄ってくれます。華清池には楊貴妃の像もあって観光客の撮影ポイントでした・このツアーは、ガイドは最小限(あっても言葉が分からな)で、多少の土産物屋への寄り道もありましたが、かなり安かったように思います。中国(東南アジアもそうかも)では、中国語によるツアーが最も安く、次が英語で、一番高いのが日本語ツアーです。一番安い中国語ツアーに参加しましたが、集合時刻や場所などは英語のやり取りをやってくれて認識できましたから、問題はなかったのですが、観光ポイントの説明はさっぱりでした。

 始皇帝陵は、造られた当時はピラミッド型の土塁で高さが76mほどあったと推定されています。ただ、現在の姿は、長年の風雨の浸食などによって、田んぼの中の丸い小山といった感じです。この小山に直登できる階段があって頂上まで登れるようでしたが、ツアーでは車窓から眺めただけでした。地表からの調査によって地下30mのところに東京ドームの倍ほどもある地下宮殿の存在が確認されていますが、、未だ発掘調査は行われていないようです。その代わりなのでしょうか、秦稜地宮という博物館風の施設があります。ガイドさんの説明は当然わからず、当時は黄色のガイドブックにも載ってなかったのでどこに連れていかれたか分かりませんでした。後で調べてそれが始皇帝廟の地下宮殿を想像して再現されたものと分かりましたが、中央に始皇帝の棺と思しきものがしつらえられ、周辺は装飾過多の空間でした。1号坑は、

 
 ツアーの料金に昼食代は含まれていませんでしたが、「ここで食べろ!」といった食堂に案内されます。料金は外人価格のようでしたが、鶏肉の煮込みの上にとてつもなく幅広の麺を乗せた一皿は辛くはなく美味でした。帰国後に調べたらビョンビョン麺という西安名物の麺で、漢字で書くと57画もあり、この漢字には麺を表現する用途しかないのだそうす。この麺は日本でも食べられる店もあるようです。

 さて、メインの兵馬俑ですが、発見したのは付近の農民で1974年、毛沢東による文化大革命の名による忌まわしい破壊行為が続いていた時代です。一つ間違えば、兵馬俑は人々の目に触れないまま破壊されていた恐れもあったそうですが、始皇帝関連の遺跡ということで、破壊を免れ、現在のように世界中の人が見ることができる遺跡として保存されたようです。ただ、調査発掘されたものは一部で、周辺には広大な未発掘の遺跡が残されているそうです。発掘すると兵馬俑の表面の彩色が消える恐れがあるとの理由で土の中に眠っているようです。

 
 
 中国の兵馬俑などの世界遺産の観光地の入場料は、元から円に換算してもさほどの額ではないのですが、中国の物価指数に照らし合わせるとディズニーランドほどではないにしても、かなり高額のように思います。ただ、周りを見回しても、ほとんどが中国人ですから、このような場所に来るのは富裕層なのでしょうか。この外人の感覚では高くはない入場料を払って入場しても、ゲートから俑坑まではかなりの距離があり、有料のトラムが走っています。トラムを降りると秦銅車馬陳列館や1~3号坑で世界遺産のマークが仰々しく表示されています。秦銅車馬陳列館は出土品のうち馬車などを陳列したものですが、かんじんの馬車は1/2のレプリカで、以前に東博で開催された時にも展示されたものです。



 
 
 兵馬俑は1号坑が一番規模が大きく、観光写真でおなじみの体育館のような覆い屋根で覆われた坑です。とにかく規模が大きく圧倒され、一つ一つの人物像を眺めているときりがないようです。これだけの人形を一つずつ掘り出して、修復して並べるのは、ものすごい人手が必要だったのではと思いますが、そこは中国得意の人海戦術だったのでしょうか。かつては撮影禁止だったそうですが、これだけの広さですから、取り締まるのは無理と諦めたようです。

 
 
 
 1号坑は全部を掘り出して、人物像もできた当時のように並べて、大きさを見せる演出ですが、2号坑、3号坑は部分的な開削で、人物像に加えて動物の像も見られます。また2号坑(だと記憶していますが)は、人物像などは地表に寝転がり、あちこち割れていて、発見当時の状況が見られるような演出です。

 始皇帝の地下宮殿の池は水銀で満たされ、現在でもその痕跡が検出できるとのことです。水銀は赤の顔料や消毒薬のマーキュロクロム(赤チン)さらには水銀アマルガムによる歯の治療などに使われてきましたが、その有毒性から製造禁止などの措置が取られてきています。始皇帝の時代には水銀化合物は不老長寿の薬と信じられ、始皇帝は水銀中毒で亡くなったのではないかとも言われています。かつては、常温で液体である唯一の金属として、電気電子分野でも便利に使われてきました。接点の動作を確実にするため高速動作のリレーや、傾きを検知する水銀スイッチなどで、現在はどちらも代替品が使われているそうです。健康管理のため体温や血圧の測定に使われた水銀(血圧の単位は、現在でも水銀柱の高さをmmで表したもの)ですが、時代とtもに悪者に転落、現在もてはやされているIT分野の物質も将来は悪者になるかもしれません。


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