世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

緑のガーデンシティのキャッチフレーズのシンガポールですが、観光の中継基地のような気がします(シンガポール)

2018-06-17 08:00:00 | 世界の町並み
 ヴァチカン市国を除いて世界最小の国が観光と賭博で成り立っているような国がモナコでした。背後に山があって、国土の平均的な人口密度はさほどでもと思いましたが、世界第1位なのだそうです。それでは2位はというと、シンガポールで、続く3位がヴァチカンなのだそうです。都市の人口密度ということになると、モルディブのマレやマカオ、香港の方が上回りますが、マレー半島の先端の島に多くの人が暮らすのがシンガポールです。今回は、ちょっと古い情報に元ずくシンガポールの紹介で、現在は状況が変わっているかもしれません。

 
 シンガポールは、ユーラシア大陸最南端のマレー半島のさらに南、ほぼ赤道直下にある63の島からなる国です。面積は東京23区とほぼ同じ程度で、標高の一番高いところが163mという平らな国土です。19世紀の初めに、イギリスの東インド会社のラッフルズによって、植民地化され、日本の占領を経て、第二次大戦後にマレー連邦の一員となりましたが、2年後には袂を分かっていいます。中継貿易、金融業それに観光と多方面で存在感を増し、アジア地区では我が国をしのぐ金融や流通の拠点となっています。シンガポールを訪れると、緑豊かで、美しい町並みが続き、素晴らしい国のよう見えますが、何かよそよそしさを感じます。その原因は、北朝鮮をしのぐほどの独裁強権政治によるものかもしれません。初代のリー首相は「民主主義は間違っている」と標ぼうし、民主主義の敵とも呼ばれました。たしかに、低所得、低学歴の大衆が独裁者を生むことは中南米、東南アジアそして某超大国で証明され、東洋の某国でもそのきらいがあります。リーは、優秀で小さな国を世界に通用する国に押し上げた功績があり、古代ギリシャの賢人政治に通じるところがあるかもしれません。しかしながら、権力の世襲制と反対勢力を力でねじ伏せるのは独裁暴君に他なりません。

 
 
 
 
 筆者が初めてシンガポールを訪れたのは35年以上も前で、当時のお決まりの観光コースには、タイガーバーム・ガーデンが含まれていました。タイガーバウムの創始者が作った公園で、香港に次いで作られたものですが、現在はパウパーヴィラと名称を変えているようです。軟膏の製造で財を成した胡兄弟の遺産的な庭園で、儒教や仏教の教えを人形などげ作り込んだものです。中国式の庭園と言えば、島の南西部に広大な中国庭園があり、隣には日本庭園もありますが、ちょっと変な感じです。また、近くには、ジュロン・バードパークがあり、こちらは様々な鳥を見ることができて、鳥好きにはたまらない施設かもしれません。動物と言えば、シンガポール動物園は、オラウータンと一緒に朝食を、というイベントで有名になりました。また、夜間の動物の生態を、トラムに乗って観察できるナイト・サファリは、他ではあまり見かけないアトラクションで、人気があるようです。

 
 
 
 
 
 シンガポールの観光地は、マーライオン周辺、島の中央南部に集中していて、セントーサ島、マーライオン公園、クラーク・キー、ラッフルズ・ホテル、セント・アンドリュース大聖堂、ナショナル・ギャラリー、オーチャード・ロード、スリ・マリアマン寺院などなど。マーライオン像は、かつては世界三大ガッカリの一つでしたが、像の位置が変わり、口から常時水を吐くようになってから、その汚名を返上したようです。水陸両用者のダックツアに乗って海から眺めるのも面白いかもしれません。散歩に疲れたら、ラッフルズ・ホテルのアフターヌーン・ティーは思ったよりリーズナブルな価格設定だったように思います。おそらく、現在のシンガポールの観光地は時々刻々変化をして、新しいスポットが出現しているようです。ただ、石油のお金の上に浮いている国々よりはましですが、どれも、金に物を言わせて人工的なものを乱立させているような気がします。チャンギ国際空港は、評判の良い空港で、ここをハブにして各地に空路が伸びています。所詮は、シンガポールは、中継貿易ならぬ、観光の中継基地のような気がします。

 チャンギ空港は、東南アジア最大のハブ空港と言われています。空路のネットワークをハブ・アンド・スポークといって拠点空港間と拠点から放射状に延びる空路で結ぶ方式と、ポイント・トゥー・ポイントといってすべての拠点を網の目状に結ぶやり方があります。エアバスの巨人機A380はハブ間を結ぶ機体として開発されましたが、最近は乗り換えの手間が要らないポイント・トゥー・ポイントに傾いていているようです。航空路だけでなく、電話のネットワークでもハブかメッシュ(ポイント・トゥー・ポイント)かが議論されてきました。昭和時代を通じて使われたステップ・バイ・ステップという交換機は、電話機の回転ダイヤルから出される信号で機器的に動作していました。交換機にはダイヤル数字を記憶する機能は無く、次の機械を選ぶ数字は1回使えるだけで、電話局間をハブで結ぶと、ダイヤルの桁数によっては、目的の電話局にたどり着けないこともありました。飛行機のネットワークは、利用者の都合に左右されるようですが、電話のネットワークの場合は、機械の能力の都合で変わるんですね。


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