世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

プラハ城の丘から眺める百塔の町は赤い屋根の連なりも印象的です(チェコ)

2018-01-14 08:00:00 | 世界遺産
 破壊された町並みを、壁の傷まで復元したのがワルシャワ旧市街でした。ワルシャワには、コペルニクス、ショパンそれにキュリー夫人に関連する施設も集中しています。ショパンは、生前にワルシャワに戻ることはありませんでしたが、遺言によって彼の心臓はワルシャワに持ち帰られ聖十字架教会に収められています。音楽家には母国を離れて活躍する人が多く、一時期は亡命する音楽家も数多くいたように思います。母国から離れて活躍した音楽家の中で、ドボルザークは、アメリカの潤沢な資金力で呼び寄せられた音楽家の一人です。ただ、ドボルザークの場合は、アメリカで一生を終えることは無く、晩年に故郷のプラハに戻っています。今回は、そのプラハの歴史地区を紹介します。

 プラハは、チェコ共和国の首都で、チェコの中ではやや北西よりの内陸都市です。ヴルタヴァ(モルダウ)川の両岸の旧市街、新市街が世界遺産に登録されています。ヴルタヴァ川が大きく東にこぶのように突き出て蛇行している南側が旧市街です。プラハ中央駅も旧市街の東端にあり、アールヌーボー風の芸術的な建物です。この中央駅からカレル橋の間に主な観光ポイントが集中しています。

 
 
 
 中央駅の北西500mほどにあるのが火薬塔のある広場で、この火薬塔は15世紀頃に旧市街の城門として建てられたそうです。この塔の隣には市民会館があり、ファサードの装飾が美しいアールヌーボーの建物です。そこから西に500mほど行くと旧市街広場で、中央にヤン・フスの像が立ち、広場を囲んで色んな建物があります。みんなが見上げるのが天文時計で、毎正時には文字盤の上の窓が開いて、奥を人形が行進しますが、さほどのことはありません。

 
 
 さらに西に500mほど行くとヴルタヴァ川に出ます。プラハ到着の夕食をこのヴルタヴァ川河畔で食べましたが、川面を見ていると、どこからかスメタナの「わが祖国」の一節が聞こえてきたように感じました。ヴルタヴァ川に架かるのが、有名なカレル橋で、14世紀に作られた石橋は、できた当時にはプラハの東西を結ぶ唯一の橋だったそうです。

 
 
 
 
 
 橋を渡って丘を上るとプラハ城です。お城の周りには、聖ヴィート大聖堂やイジー聖堂それにロレッタ教会があり内部も見学ができます。この丘や隣のペトシーンの丘からは、ヴォルタヴァ川を中央にプラハの市街が望めます。百塔の町と言われるだけあり、多くの塔が建っていますが、むしろ赤い屋根の連続する町並みの風景の方が印象的です。

 チェコと聞くと、ソ連による支配が続いた東欧圏のイメージから、後進国のようなイメージが強いのですが、戦前から優れた工業国の一つです。1930年代には世界第7位の工業国だったそうで、戦後のビロード革命後は高い経済成長を果たしています。AIの成果の一つがロボットですが、このロボットという言葉も、1920年にチェコの作家が造語したものです。先日、「プラハのモーツアルト」という題名の映画を見ましたが、全編がプラハでのロケだったそうです。150年ほども前のプラハといった画面ですが、現在のプラハの町並みのロケ画面に違和感はありません。再開発と称して、すぐに町並みを壊してしまう国と違って、古いものを大切にする文化のせいでしょうか。