世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

世界遺産に登録の京都の社寺は広域に散らばっていて全部を廻るのは大変です(日本)

2019-05-19 08:00:00 | 世界遺産
 古都京都の文化財の紹介の2回目です。前回は京都市街の中心部を紹介しましたが、今回は周辺部を取り上げます。古都京都の登録社寺は全部で17か所で、前回が6か所で、今回は残りの11か所ですが、そのうちの何か所かは写真が古くて見当たらず写真抜きです、悪しからず。



 
 前回同様に、北の方から順に南下することにします。最初は比叡山延暦寺ですが、寺息のほとんどは滋賀県で、京都の社寺というのは厳密にはおかしいかもしれません。最澄が開いた天台宗の総本山で、空海が開いた和歌山の高野山と並び称される寺院です。江戸城の鬼門封じの寛永寺と同様に、京都の鬼門封じの寺として位置づけられ、寺院の庭のからの借景として重要な位置を占めています。京都側からも滋賀県側からもケーブルカーがあり、稜線伝いに南北にドライブウェーはあって難行苦行をしなくても根本中堂などを訪れることができます。この比叡山は、京都と滋賀の間に着いた手のようにそびえていますが、京都側の山麓で離した蚊が滋賀県側の山麓で発見されたそうです。まさか、ケーブルカーに乗って移動したわけでもないと思いますが。
 次は高山寺です。デュークエイセスの「おんな一人」に謳われたためでしょうか、他の三尾の高尾、槙尾を差し置いて唯一世界遺産に登録されています。国宝や重文の数では神護寺に及ばないのですが、鳥獣人物戯画は、京都、東京の博物館の特別展で待ち時間が3時間以上の人気でした。国宝指定の建物は石水院だけですが、新緑や紅葉の頃に訪れると、真っ黒の床にとのコントラストが絶品です。

 
 
 糺の森の北にある二つの神社は通称は上賀茂神社と下賀茂神社ですが、正式には、賀茂別雷神社(かものわけいかづちじんじゃ)と加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)となります。京都で最も古い神社の一つで、奈良時代に加茂氏の氏神をまつる神社として創建されました。下賀茂神社は、天平の頃に上賀茂神社から分神されたという説もあるようです。斎王を中心とする行列が。御所を出て下賀茂神社を経由して上賀茂神社に至る葵祭は京都三大祭りとして有名ですが、古文で祭と言えば葵祭を差しました。共に本殿は国宝で、多数の建物や工芸品が重文に指定されています。上賀茂神社の近く明神川に沿って、神官の住居(社家)の並ぶ社家町があります。なかなか、趣のある街並みで、神社に参拝したらぜひ寄りたい町並みです。

 続いて市街地の西に位置する寺院群です。竜安寺は石庭で有名で、虎の子渡しなどと呼ばれていますが、現在の庭の様子は、創建時とはだいぶ異なったと言われています。有名になりすぎたこともあって、学生時代以降は訪れていないので写真は掲載無しです。国宝は無く、北条など重文が2点のみです。竜安寺の南西にあるのが仁和寺で、こちらは国宝だけで11点、重文に至っては30点以上と文化財の宝庫です。9世紀の仁和年間の創建で、皇室床入りの寺であったことが文化財の多さにつながるのかもしれません。宇多上皇の出家所が境内にあったので御室(おむろ)御所と呼ばれるようになりました。電気メーカのオムロンはこの御室に因んだ命名なのです。皇室とつながり権力も集中し反感を買ったのか、徒然草に登場するダメ僧侶は決まって仁和寺の僧のようです。
 
 仁和寺から嵐電に乗って終点まで行くと天龍寺、嵐山駅で阪急に乗り換えて上桂まで行って西に行くと西芳寺です。どちらも長らく行っていないので写真はありません。天龍寺は14世紀の創建で、一時期は京都五山の第一として栄えましたが、その後、戦乱や度重なる火災で被害に遭い、現在の伽藍はすべて明治以降のもので、重文に夢窓国師像など10点を所有するのみになり、有名なわりに文化財はほとんどありません。一方の西芳寺は、9世紀にあった草庵が鎌倉期に寺になったものです。江戸時代には荒廃をして、元あった石庭が苔だらけとなり、現在の苔寺になったそうです。石庭では有名にならなくても、放っておかれて苔だらけになり有名になったのは皮肉です。したがって文化財は重文2点のみですが、苔が有名なためか高額な拝観料と予約を必要とするようです。

 最後は、地下鉄の東西線で東南方向へ、、醍醐駅の東にある醍醐寺と、東西線の終点からさらに先の宇治にある寺と神社です。まず、醍醐寺は9世紀の創建で、醍醐とは醍醐味の言葉のようにチーズのような乳製品の一種です。室町期の戦乱で五重塔遺骸を失いましたが、秀吉の醍醐の花見をきっかけに多くの建物が再建や移築をされ、5棟の建物、絵画や仏像など15点が国宝指定です。重文に至っては70点ほどを所蔵し、文化財の宝庫です。学生時代に訪れて五重塔や三宝院の写真などを撮りましたが、少々古くて使えませんでした。

 
 宇治には京阪電車とJRの宇治駅があり、それぞれ宇治川の右岸と左岸戸に分かれています。京阪電車の駅のある右岸にあるのが宇治上神社で、創建は不明ですが10世紀に執筆された延喜式にその存在が書かれています。現在の本堂は11世紀に建てられたもので現存最古の神社建築で国宝指定です。他に拝殿が国宝、建物1棟と絵画1点が重文指定です。一方、JRの駅のある左岸にあるのが、10円玉でおなじみの平等院で、11世紀ごろの創建です。宇治は源氏物語の宇治10帖にも表れるように貴族の別荘地だったようで、藤原氏によって現生の浄土を実現するべく建てられたのが鳳凰堂です。現存の平等院は池の前に鳳凰堂んどが建つのみですが建物や仏像など多数の国宝と重文とを保有しています。

 京都の地下鉄は、東西と南北の2路線のみで、ほとんどの寺院への移動手段はバスになります。今回値上げされましたが、市バスの1日乗車券は随分と割安感があります。バス停で、次のバスまでどれくらい待つかを知る手段がバスロケで、現在ではGPSと無線とを組み合わせて、かなり正確な表示をしてくれるようです。京都ではこのバスロケが比較的早く導入されたように思いますが、観光客、特にアジア系の観光客の爆発的な増加で、来るバス来るバスが満員で乗られないことが多くって困ります。バス停にもセンサーを置いて、待っているお客が多いと臨時を出すシステムにしてほしいですが、観光客の増加が道路の容量を越えて、お手上げなのかもしれません。


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