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ドゥブロヴニクの赤い屋根と青いアドリア海は内戦の悪夢を忘れさせます(クロアチア)

2007-06-24 17:15:41 | 世界遺産
 チュニスの旧市街は城壁に囲まれたメディナと呼ばれる一帯でした。ヨーロッパには城壁に囲まれた都市が多いように思います。陸続きの国々では、外敵から都市を守るために城壁は必須なのかもしれません。現在は無くなっていても、かつては存在した都市も多いかもしれません。今回は、現在も城壁に囲まれている都市の中からクロアチアのドゥブロヴニク旧市街を紹介します。

 ドゥブロヴニクはクロアチアの南東にアドリア海に面して細長く伸びた先端あたりにあります。ちょっと内陸に入ると、ボスニア・ヘルツェゴビナ領になり、陸路で首都のザグレブに行く場合にはボスニア領を横切る必要があります。これは、細長く南東に伸びたクロアチア領の一部に、ボスニア領が海岸まで伸びで分断しているからです。かつては、チトー大統領率いる旧ユーゴスラビアの頃は、同じ国だったのですが、その後の民族紛争による内戦状態で多くの犠牲者を出したことは、記憶に新しいところです。ドゥブロヴニクも戦場になり、危機遺産リストに登録されましたが、1998年にリストから外され再登録されています。しかし、旧市街を展望するスルジ山のロープウェイは破壊されたままで、旧市街からも山上駅の廃墟が痛々しく望めます。

 城壁は物理的な防備になりますが、論理的というか外交手腕により国の独立を保つのも重要です。ドゥブロヴニクは、地中海貿易の拠点として14~17世紀にわたって独立都市国家として栄え、その反映は優れた外交手腕によるところが大きいと評されています。旧市街取り囲む城壁は一周2kmに及び、歩いて巡ると高低差があって、けっこう疲れます。

しかしながら、かなりの高さとなる山側の城壁からは、赤い屋根瓦の連なりが印象的で登っただけのことはあります。その向こうには真っ青のアドリア海が広がっていて、絵葉書より美しい?景色です。

こんな風景を見ていると、ほんとにここで戦争があったんだろうか、と信じがたい思いにかられます。

 城壁に囲まれた、旧市街には、新しい建物はなく、細い通りがほぼ碁盤の目状に通っています。もちろん車などは入って来れません。観光客は城門の外でバスから降ろされます。町のほぼ中央を東西に伸びる広い通りがプラツァ通りで、教会や修道院、それに宮殿などはがこの通に面しているかすぐ近くにあります。観光客がぞろぞろと歩いているこの通り、かつては運河でこの通りから南側が本来の旧市街だったそうです。

 城壁は外敵から町を守るものでしたが、インターネットの世界で、外敵から自分のサイトを守るものがファイアウォールといえるでしょうか。ファイアウォール=防火壁という名前が付いているのは、外部からの害は火事だけを想定してるのでしょうか。城壁がそうであったように、完全というものは存在しないようで、ファイアウォールも、これを破ろうとする不心得者との知恵比べです。インターネットの世界にも、かつてのドゥブロヴニクが得意であった、外交手腕による防備ってのはあるのでしょうか。


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