世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

ベトナム戦争の傷跡が残るところと遺跡が残るところとが混在するフエ(ベトナム)

2008-04-06 21:20:40 | 世界遺産
 クロアチアが旧ユーゴからの独立に伴う内戦での被害は、ドブロヴニクでのロープウェイの駅の残骸などに見られますが、トロギルでは被害は無かったように見えました。人類は争うことが好きなのか、戦争の爪あとを目撃することも多いのですが、今回はアメリカに唯一戦勝したベトナムのフエを紹介します。世界遺産に指定されている旧市街の王宮は、激戦地であったこともあって、城門など一部の建物が残っているだけで後方に広大な草原がかつての王宮の広大さを物語っています。旧市街から郊外に出ると、かつての王族の廟が残されていて、こちらのほうは戦争の被害には遭わなかったようで保存性が良いようです。

 フエはベトナム戦争の頃には南ベトナムの北端に近く、戦争の後期のテト攻勢で解放戦線に占領され、これが契機となって、アメリカ軍の撤退へとつながったようです。両軍がぶつかったフエは、第二次世界大戦の頃まで残っていた王宮の遺跡もほとんどが破壊されてしまいました。観光客は王宮の南側の午門(王宮門)から入りますが、門の後方には大和殿があるのみで、残りの大部分は緑の草原です。

南西部分には長生殿や顕臨閣などの建物がかろうじて残っていて、これらと同程度の建物群が草原の場所に残っていたら、さぞや壮観な眺めであっただろうと思います。

 こんな王宮の遺跡ですが、土日の夜には午門のライトアップがあって、暗闇に浮かび上がる姿は昼間に見るのとは違った美しさがあります。

ただ、なぜか見物する観光客の数は少なく、ちょっと不思議な気がします。あまり宣伝をしていないのでしょうか。

 王宮からフォーン川にそって西に行くとティエンムー寺ですが、この寺にもベトナム戦争時代の痛ましい物が置かれてあります。川に沿った道路から階段を上ると、八角七重の塔がそびえ、境内も奥行きの深いお寺です。

境内では僧侶とすれ違うことも多い、現役の修行寺院の一つのようです。このお寺の境内に入って、やや行った左手に古いオースティンの車が置かれています。なぜ、お寺の境内に時代物の英車が置いてあるのか不思議に思いましたが、奥に飾ってある写真を見て分かりました。アメリカがベトナム戦争に本格的に介入する前夜、当時の南ベトナム大統領の仏教と弾圧に抗議して焼身自殺をする事件が起こりました。オースティンはこの僧侶が、ティエンムー寺からサイゴンまで乗っていった車だったのです。

 王宮の遺跡は破壊されてあまり残っていませんが、郊外の廟は保存性がよいようです。公共の輸送機関がないので、ツアーの船に乗るか、車をチャーターしなければなりませんが、それだけの価値はあるように思います。2箇所の廟を訪れましたが、最初に訪れたカイデン廟は、阮朝第12代の啓定帝(在位1916~1925)の廟で比較的新しいものです。廟内はレリーフと色タイルで飾られていて、なかなか豪華な感じがします。

色合いはまったく違うのですが、ポルトガルのアズレージョを思い出す光景です。

 次に訪れた、トゥドゥック廟は第4代の嗣徳帝(在位1847~1883)のもので、100年以上前のものになり、派手さはありませんが、内部に池や川があって離宮のような趣を感じます。

内部も広くて、奥までしっかり廻ると、かなり急いでも1時間では足りません。

 破壊された遺産をどうするかについては、いろいろと意見が分かれるところがあります。ばらばらになった建物などの部品を寄せ集めて、できる限りもとの形に修復するというのが一般的ですが、消えてゆくのも歴史の流れの一つという考え方もあるでしょう。逆に、破壊された部品が残っていないにもかかわらず、元の外観に似せて新たに作り直した町もありました。ワルシャワの旧市街がその例で世界遺産にも登録されています。オリジナルは残っていないのに世界遺産?という感じもします。一方、破壊されたのではなく、一度壊して再組み立てを行ったのがエジプトのアブシンベル神殿ですが、このプロジェクトがきっかけで世界遺産の制度を作るきっかけとなりました。立体的なジグソーパズルのような作業はさぞや大変だっただろうと思います。おそらく、切り刻んだ岩に塗料か何かで番号を記入して管理をしたのでしょうが、ICタグを貼り付けて管理するには少々大きすぎたでしょうか。


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