前回は、フランスで新しく登録されたニームのメゾン・カレを紹介しました。訂正ローマ時代に建てられた宗教施設です。用途はいろいろと変わっていますが、破壊されずに現在まで引き継がれてきています。一方、タイにある6つの世界遺産のうち最初に登録された宗教施設のアユタヤと巣個体は、その後の戦争でかなりが破壊されてしまっています。今回から続く4回はこれら2か所の文化遺産について紹介します、今回は、アユタヤの遺跡のなかで東に位置する2か所の寺院を紹介します。
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アユタヤはタイ首都のバンコクから列車やバスで1じかんちょっと、列車は旧市街を取り囲む運河の外の駅に到着し、運河を渡る橋までが遠いので、ショートカットできる渡し舟が運行されています。乗船したときは朝早かったので通学と思われる学生が多く乗っていました。チャリ通でも電車通でもない船通なんですね。
アユタヤの歴史公園は旧市街の西に運河に囲まれた東西に長い長方形の部分に集中しています。今回は、その中から旧市街に近い東の端に南北に並んであるワット・マハタートとワット・ラーチャ・プラナの二つの遺跡を紹介します。
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南に位置する寺院がワット・マハタートで、観光客も大勢やって来るアユタヤを代表するような遺跡です。13世紀に建てられた寺院ですが、誰だ建てたかは諸説あり謎の多い遺跡の一つです。仏舎利を収めて、かつては黄金に輝いていたと言われていますが、ビルマとの戦争によって徹底的に破壊され廃墟のような状態で、首を切り取られてしまった仏像が並んでいます。そうかと思うと、仏像の頭部だけが木の根に挟まって、撮影ポイントになっているのは皮肉です。おそらく、打ち捨てられていた頭部が木の成長とともに巻き込まれたのと思います。
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ワット・ラーチャ・プラナはワッタ・マハタートの北に隣接する寺院で、15世紀に王位継承の争いで亡くなった2人の兄を弔うために15世にに建てられました。ビルマとの戦争で被害を受けていますが、近年の発掘調査で塔の地下からは破壊を免れた壁画や仏像など宝飾品が数多く発見され博物館に収容されています。
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どちらの遺跡も、日没後にライトアップされ、昼間の猛暑も多少和らいで、昼間とは違った幻想的な姿が楽しめます。境内は18時には閉門されるようですが、寺院寺を取り囲む兵の向こうに仏塔などが望めます。
戦争になった時には、敵国で崇拝されている宗教施設を破壊するというのが通リになっているようです。アユタヤの寺院群ががビルマなどによって徹底敵に破壊されたのもその例でしょうあ。破壊することによって、戦争に負けたことを思い知らせる効果があるのかもしれません。我が国の最近のスマホの使い方を見ていると、スマホ依存症の病気を越えて一種の宗教の要にも思えてきます。戦争にでもなったら、真っ先にスマホのシステムの破壊のために攻撃があるかもしれません。他だ。これによって依存症の人は救われて、戦争は起こらなくても、破壊があってもいいかとも思えます。
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アユタヤはタイ首都のバンコクから列車やバスで1じかんちょっと、列車は旧市街を取り囲む運河の外の駅に到着し、運河を渡る橋までが遠いので、ショートカットできる渡し舟が運行されています。乗船したときは朝早かったので通学と思われる学生が多く乗っていました。チャリ通でも電車通でもない船通なんですね。
アユタヤの歴史公園は旧市街の西に運河に囲まれた東西に長い長方形の部分に集中しています。今回は、その中から旧市街に近い東の端に南北に並んであるワット・マハタートとワット・ラーチャ・プラナの二つの遺跡を紹介します。
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南に位置する寺院がワット・マハタートで、観光客も大勢やって来るアユタヤを代表するような遺跡です。13世紀に建てられた寺院ですが、誰だ建てたかは諸説あり謎の多い遺跡の一つです。仏舎利を収めて、かつては黄金に輝いていたと言われていますが、ビルマとの戦争によって徹底的に破壊され廃墟のような状態で、首を切り取られてしまった仏像が並んでいます。そうかと思うと、仏像の頭部だけが木の根に挟まって、撮影ポイントになっているのは皮肉です。おそらく、打ち捨てられていた頭部が木の成長とともに巻き込まれたのと思います。
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ワット・ラーチャ・プラナはワッタ・マハタートの北に隣接する寺院で、15世紀に王位継承の争いで亡くなった2人の兄を弔うために15世にに建てられました。ビルマとの戦争で被害を受けていますが、近年の発掘調査で塔の地下からは破壊を免れた壁画や仏像など宝飾品が数多く発見され博物館に収容されています。
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どちらの遺跡も、日没後にライトアップされ、昼間の猛暑も多少和らいで、昼間とは違った幻想的な姿が楽しめます。境内は18時には閉門されるようですが、寺院寺を取り囲む兵の向こうに仏塔などが望めます。
戦争になった時には、敵国で崇拝されている宗教施設を破壊するというのが通リになっているようです。アユタヤの寺院群ががビルマなどによって徹底敵に破壊されたのもその例でしょうあ。破壊することによって、戦争に負けたことを思い知らせる効果があるのかもしれません。我が国の最近のスマホの使い方を見ていると、スマホ依存症の病気を越えて一種の宗教の要にも思えてきます。戦争にでもなったら、真っ先にスマホのシステムの破壊のために攻撃があるかもしれません。他だ。これによって依存症の人は救われて、戦争は起こらなくても、破壊があってもいいかとも思えます。