世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

二川宿の本陣跡は車の行きかう道路に面していますが坪庭などあって昔を偲べます

2015-12-06 08:00:00 | 日本の町並み
 長崎街道の本陣跡の建物が残り、近くに日帰り温泉もあるのが佐世保郊外の江迎でした。本陣跡というのは、行って見ると、石柱が建っているだけで、がっかりすることも多く、東海道の宿場町では、品川宿をはじめ、ほとんどが石柱状態です。建物まで残っている宿場は、滋賀県の草津と愛知県の二川のみで、今回はその中から二川宿を紹介します。

 二川宿は、現在の豊橋市の東端にあり、東海道線では豊橋の一つ東京寄りの二川駅が最寄の駅となります。旧東海道は、東海道本線のの北側に並行して東西に伸びていて、本陣跡は駅から少し東に歩いた所にあります。京都の町屋ほどではありませんが、道路に面した間口に比べ奥行きの長い本陣の建物が残っています。現在は、本陣資料館として、隣の旅籠の清明屋の遺構と共に、公開されて内部の様子が見学でき、付属の資料室で往時の道具なども見ることとができます。

 
 
 本陣跡と旅籠の清明屋は接していて、東側に清明屋、西に本陣跡があります。旅籠の清明屋の前には、道路との間に木の垣根があり、その中央に門があって、かつてはここから出入りをしていたのでしょう。門の西側には、旅籠の帳場のような場所で、垣根越しにも中がうかがえ、お客対応をしているらしき様子が人形で再現されています。

 
 
 
 内部に入るには、西側にある本陣跡を廻りこんなだところにある資料館入り口から入ったように思います。入り口付近には、高札所跡の石柱や、再現された高札が建っていました。本陣跡は、大名が泊まった部屋に、かつての料理の模型が飾ってあったり、坪庭があったりと旅籠より豪華にできているようです。かつて使われていた道具なども展示されていて、名の通りの資料館です。

 
 二川宿は、本陣跡が残っていますが、前回の江迎にも増して、宿場町の雰囲気はさほど残っていないようです。それに、これも江迎と同様に本陣前の道路の交通量が多くて、落ち着きません。現在の移動手段が車なので、交通の要所であった二川ゆえのことかもしれません。江戸時代には、本陣前の道路を人や馬や籠が行きかったのかもしれません。また、街道から少し入った所には大岩明神宮や妙泉寺など街もあって、豊橋を訪れたついでに、1駅乗って途中下車をしても、損はしない町並みかもしれません。

 本陣を利用するのは大名行列の主人公でしたが、参勤交代制度は徳川幕府の権力維持のためにだけ設けられた無駄遣いのように思われます。ただ、この制度は、結果的に弊害だけでは無く、宿場制度の整備や流通の円滑化、それに情報の伝達などで利点もあったようです。インターネットなどの普及で、日本中はおろか、世界中の情報が、パソコンに向かうだけで手に入る現代では想像も難しいでしょうが、江戸時代の人と情報とが一緒に動かねばならないことも多く、まどろっこしかったでしょう。伝送ゲームで経験するように、人づての情報は、元の情報から大きく歪むことも多かったでしょう。ただ、これだけ自由に情報が手に入るご時勢にも、権力によって情報操作により歪むことはありうることに注意が必要でしょう。


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