世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

砂漠の中のオアシス都市である敦煌には列車で行くのがお勧めかもしれません(中国)

2019-02-10 08:00:00 | 世界の町並み
 マトマタやクサール・ハッタダはサハラ砂漠の砂と石ころの平原に突如として集落が現れました。一方、中国の西部に横たわるゴビ砂漠の中にもいくつかのオアシス都市があります。今回は、中国三大石窟の一つで世界遺産にもなっている莫高窟観光の基地である敦煌周辺を紹介します。

 
 敦煌は、中国の西部の甘粛省にある古代から栄えたシルクロードの分岐点にあるオアシス都市です。市街地は北東から南西に幅10kmほど長さ20kmほどで延び、それ以外は岩山と砂漠です。かつての都であった西安(長安)から飛行機で3時間近く、列車だと24時間ほど西に走ったところにあります。直線距離で1,500km以上、鉄道の距離では1,800kmほどもあり、函館と鹿児島間、ちょうど新幹線の最長区間くらいになり、さすがに中国は広いと感じます。この広さを実感するには、飛行機ではなく、列車での移動がお勧めです、万里の長城の西の端である嘉峪関を過ぎたあたりから、車窓から見えるのは、行けども行けど延々と続く砂漠です。ただ事前に寝台券を現地の旅行代理店などに手配して席を確保しておく必要がありますが。昔は、敦煌の最寄り駅はトルファンなどに行く路線の途中駅で、敦煌との間はバスでかなりかかったようですが、現在は敦煌を終点とする支線ができて市街の中心から東へ10kmほどの所に到着します。敦煌空港も、この駅のすぐ南で、このあたりが交通の要なのでしょうが、滑走路は砂漠の中で、空港の南10kmほどの山麓にある三大石窟の莫高窟まで延々と砂漠が続きます。

 
 敦煌の観光を代表するのは、世界遺産の莫高窟ですが、莫高窟についてはすでに紹介済みなので、そのほかの場所を紹介します。敦煌市の人口は13万人で、成田市や我孫子市くらいの規模で、周りに砂漠しかない都市にしては多いように思います。ヨーロッパでもそうですが、町の中心部には野菜など売る露店や、道路にテーブルを並べた食堂が並んでいて、活気があります。

 
 町の中央部あたりのロータリーには反弾琵琶像といって片足で立って背中で琵琶を弾くというアクロバティクな像が建っていて、莫高窟にも描かれ敦煌のシンボルのようです。このロータリーの近くにには市立の博物館もあり、4千点もの収蔵品を持ち入館料も無料でしたが、ほとんど人影もありません。陵墓からの出土品や絹織物に興味のある方には穴場かもしれません。

 
 市街を南北に流れる川を西に渡った所にあるのが白馬塔で、4世紀に敦煌に経典を運んだ鳩摩羅什が経典を積んでいた白馬がこの地で死んでしまったのを悼んで建てたという塔があります。



 
 

 一方、市の中心部分から南に5kmほど行くと大きな砂山にぶつかります、鳴砂山です。標高差にして100mほどもあるでしょうか、鳥取砂丘とは比べようもありません。入口で、靴の上から履く布製のブーツのようなものを貸してくれますが、これで靴への砂の侵入は止められますが、砂山の頂上まで登るのはとても無理です。有料の木製の階段も作られていましたし、ラクダに乗れば連れて行ってくれたのかもしれません。砂丘の麓には月牙泉という三日月湖があって、そばには塔のある寺があります。この三日月湖は砂漠の中に在って枯れたことが無いのだそうです。

 
 
 市街地の西南端には、日中共同制作映画の「敦煌」のオープンセットを利用したテーマパークがあり、古い中国の町並みが再現されています。1970年台から構想がありましたが、ごたごたが続いたようでオープンセットができたのは1987年で公開は1988年でした。京都にある東映映画村ってところでしょうが、映画村ほどはにぎわってなく、ほとんど人影を見かけませんでした。

 地球上の多くの砂漠はかつては緑豊かな大地であったところが多く、人間が木を伐りすぎて、悪循環の末に砂漠化してしまったようです。ところが、この砂漠の砂の主成分は、人類に恩恵をもたらしているITを支える半導体の原料のケイ素であることは皮肉です。多くの砂漠では、現在も砂漠の拡大が進行していてます。人口が増えすぎて大地が支えきれない状態になってしまったの原因で、地球の歴史からすれば、人類も自然淘汰の対象から逃れられません。その面から、大地が支えきれなくなった後進国の子供に金をばらまくだけの支援は長い地球の歴史の中で考えるとおかしいのでは思います。


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