世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

ブランデンブルク門も美しいのですが、ベルリンにはドームが似合うようです(ドイツ)

2013-04-21 08:00:00 | 世界の町並み
 南北に分かれた国が統一されて首都になった都市がベトナムのハノイでしたが、東西に分断された国家が再統合され分断前の首都がよみがえった都市がドイツのベルリンです。ベルリンやその周辺には世界遺産もいくつかありますが、今回は世界遺産の範囲ではないベルリンを紹介します。

 ベルリンは、第二次世界大戦で敗戦し、東西ドイツに分断されるまでのドイツ帝国の首都でした。国が分断後はベルリンも東西に分断され、東ベルリンは東ドイツの首都でしたが、西ドイツの首都はベートーヴェンの故郷のボンにありました。西ベルリンは、東ドイツに囲まれた、孤島のような存在だったので、首都機能は無理だったのでしょう。事実、当時のソ連によるベルリン封鎖で、大変な目にあっています。現在のベルリンには、東西を遮断したベルリンの壁はほとんどが撤去され、ほんの一部がモニュメント風に残されています。地図などを調べないと、どこにベルリンの壁があったのはも判然としません。



 
 ベルリンの壁とともに象徴的に扱われるのが、ブランデルブルク門で、ブランデンブルク門の西側に壁が作られ、門は東ベルリンの一部になっていました。もともと、この門は城塞都市であったベルリンを囲んでいた城壁の門で、唯一現存するものです。門の上には、戦車に乗った女神像が乗っていますが、この像にもいろいろ逸話があるようです。門ができてすぐに、ベルリンはナポレオンに占領されて、女神像は戦利品としてパリに持ち去られたそうです。その後のナポレオン戦争にプロイセンが勝利し、像は再び門の上に戻されたそうです。そして、東ベルリンの一部となったときには、女神が持つ杖の先にあった鉄十字紋章はオリーブの枝に置き換えられ、東西統一後は元に戻されたそうです。

 ブランデンブルク門の周辺は、現在は綺麗になっていますが、大戦後は瓦礫の山になり、無人地帯の中に門だけが建っていたそうです。ドイツの建物は、戦災に遭って破壊された後、再建されているものを多く見かけますが、あえて壊れたまま残されている教会がカイザー・ヴィルヘルム教会です。元は、19世紀松に建てられたネオ・ロマネスク様式のプロテスタント教会でした。ベルリン大空襲で破壊されたままを補強して、時計台などの用途で使われています。





 
 カイザー・ヴィルヘルム教会が無残な姿とすれば、ジャンダルメンマルクト広場は世界一美しい広場と言われています。広場をコの字型に3つの建物が囲んでいます。正面は、コンツェルト・ハウスでベルリン・シンフォニーオーケストラの本拠地になっている18世紀初頭の建物です。この建物の両脇には、双子の教会が建っていて、一方はフランスドーム、他方はドイツドームと呼ばれ、18世紀初頭に建てられています。てっぺんのドームが印象的な2つの教会は極めて似ていて、コンツェルト・ハウスとの位置関係で判別する感じです。

 
 いっぽう、世界的なオーケストラのベルリンフィルは、コンツェルト・ハウスではなく、ポツダム広場に近いベルリン・フィルハーモニーという黄色の近代的な建物です。この、ポツダム広場近くには、フェルメールの絵画も収蔵する絵画館やソニーのヨーロッパ拠点のソニーセンタの巨大なドームなどがあります。

 
 ベルリンの町には、ドームが似合うのか、ジャンダルメンマルクトの2つのドームや、ソーニーセンターの現代的なドームの他に、シャルロッテンブルク宮の細身のド-ムや、博物館島にあるベルリン大聖堂の大小のドーム、筆者は訪問し損ねましたが国会議事堂のガラスのドームなど素材の種類もいろいろあるようです。

 ベルリンの壁の周辺には多数のセンサが設置され、壁を越えようとする人々を監視していたようです。センサは物理的な量や化学的な量を電気信号に変えるのに無くてはならないものです。自動改札では、一人ひとりを識別したり、親に連れられた子供の判別など、認識技術のノウハウのかたまりだそうです。改札では、不心得ものの進入を阻止しているセンサですが、ベルリンの壁のような使われ方は未来永劫なしにしてほしいものです。


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