世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

奥の細道の終着点の大垣には町中のいたるところに綺麗な水が沸いていました

2009-04-05 22:08:56 | 日本の町並み
 黒いセルロイド製のキューピー人形が飾られていたのは姫路の網干でしたが、かつて最もセルロイドを主原料としたフィルムの製造工場は綺麗な水がたくさん必要なため小田原の奥のなど、都会から離れたところに作られています。ところが、都会の真ん中に多くの綺麗な水が自噴していて現役で生きている都市の一つが岐阜県の大垣です。今回は、市内の湧水や芭蕉の「奥の細道」関連の場所を紹介します。

 大垣市は、岐阜県の南西の端辺りに位置しますが、合併のために旧大垣市を挟んで東西に二重の飛び地を持っている唯一の市です。今回紹介する湧水の多い地域は、大垣市の中心部で大垣城の周辺、JR大垣駅の南側一帯になります。

 大垣駅というと、青春18切符の乗客が多い「ムーンライトながら」の終着駅ということで有名ですが、ほとんどの乗客は大垣始発の電車に乗り継いで関西方面に行ってしまい、大垣で下車する人は少ないようです。この「ながら」もJRの合理化のあおりで、九州行きのブルートレインと共に廃止になり臨時列車に格下げになってしまいました。

 湧き水の井戸は、通りのそばや公園の中にあって、町の風景の中に溶け込んできます。時おり、ペットボトルなどを持った市民が水汲みに訪れる姿が見られます。この井戸の形がさまざまで、四角い井戸の形あり、

土管状あり、

はたまた水のみ場風ありです。

四角な井戸の形のものも底から湧出しているものや、流れ落ちる先が四角な井戸状ののものもありました。

湧水の故郷といわれる場所は多くありますが、これだけいろいろな形の井戸があるのも珍しいのではないでしょうか。水が美味しい土地には、造り酒屋さんをよく見かけますが、こちらでは古風な羊羹屋さんを見かけました。綺麗な水は、どんな食物でも味を引き立てるのでしょう。

 湧水はやがて川に注ぎますが、その川の一つの水門川のほとりに建っているのが、「奥の細道むすびの地」の石碑です。石碑のそばには芭蕉と木因が並んだ銅像が立っています。

ちなみに木因は大垣の回船問屋の主人で、芭蕉とは俳句を通じた友人なのですが、奥の細道に同行した曾良ではないのです。曾良は北陸の大聖寺で別れ、大垣までは芭蕉一人旅だったためなのでしょうか。石碑付近には、記念館や木造の住吉灯台もあって、川ぞいの並木の美しいところです。芭蕉は、この川を船で下って桑名まで行ったということですが、こんな内陸の遠くから船で行けたのかと思いますが、かつては船による移動が最も楽だったので、船を通すためのインフラは現在より整っていたのかもしれません。木造の灯台もその名残でしょうか。

 諸国を巡った芭蕉には幕府の隠密説もあります。奥の細道の記述についても、曾良の記録との食い違いが多く、行動をカモフラージュするものだとの説がありますが、そもそも文学作品の奥の細道を日記と同一視することには無理があるようです。通信や交通の発達していない江戸時代にあって、幕府に不都合な情報の収集に隠密の役割は大きかったのでしょう。情報の氾濫する現代においても本当に必要な情報は、流通していないし、簡単には手に入らないのではないかと思います。ところが、日本では、日常的に流通している情報であっても、一部の国では権力に不都合があれば、抹殺されるようですが、権力に情報流通を握られたくないものです。


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